戦・夢若屋2
夢若屋はそこらの男よりも女を知っている。
多くの人間は狸を恐れ、生まれた町の中で生涯を終えるのに比べ、届人である夢若屋は方々の町を渡り歩く。そして行く方々で女にもてる。
なにも手管を使うわけではない。幼い子供が一丁前に馬を駆り、危険な旅を成し遂げているという噂一つで、女たちはどうしてもその話題の子を一目見ずにはいられないのだ。そして、見れば噂通り、荒っぽい仕事に似合わぬ可愛らしい顔立ちと、しっかりとした口の利き方、商いをする。
大抵の女は遠巻きに珍しいものを見るだけで気が済むが、中には図々しいのがいる。まるで母親か親類のような顔をしてあれこれと世話を焼きたがる年増の女というのが一番多いが、そういう手合いには夢若屋も素直に甘えてやっている。そうすると相手の女たちも心から喜ぶのだが、ただ一つ、「私をお母さんと思っていいのよ」という甘言だけは頑として食いつかなかった。たとえ顔も名も知らずとも、母は一人で十分だと夢若屋は信じていた。
それから、それなりに若い女の中にも夢若屋を気に入る者がいる。年齢が若いだけで中身は年増と変わらず、母とは言わず姉か従姉にでもなりたがるのがいる。ただし、あまり世話は焼いてくれない。どちらかと言えば珍しい犬かなにかを愛でるような可愛がりをしてくる手合いが多い。
同じ年頃の女の子たちはあまり寄ってこない。子供だてらに馬を駆る男の子が得体の知れぬ化け物にでも見えるのか、はたまた連れの母親があまりに他人の子を可愛がる様を見せつけられるのが居たたまれないのか……。
しかし、栗牧のような女は見たことがない。
「夢若屋さん、ご精が出ますわねぇ」
女は樹上からふわりと跳んだ。夢若屋は思わず馬を止めた。後々まで、夢若屋はこの時に馬の足を止めたことを後悔し続けることになるのだが、その時はたまらずの反射だった。
黒革の脚絆を巻いた女の足が、馬の背に見事に飛び乗った。蝶のような軽業だった。夢若屋は愛馬の顔を忍び見たが、そこには何の異変も現れていなかった。まるで馬そのものを乗っ取られたような不快感が少年の胸に疼いた。
「降りてください。この馬は一人乗りです」
「あれ、つれない事を。女の身一つ、どうにでもなりません?」
「あなたはただの女じゃない」
言ってから、夢若屋はどうしてそんな事を口走ったのかと驚いた。
「ひどい人」
栗牧は仮面の奥で笑い、乗った時と同じようにふわりと地に降り立った。夢若屋はよっぽどその隙に走り去ってしまおうかと思ったが、どうにも手綱を握る手が動かなかった。なにか、命令をしても思う通りに馬が動かぬような、あるはずのない幻想が掠めていた。
「狩人方はもっと上です。この辺りは私たち、天人の手で制しております」
気が付くと遠目に一人、仮面をかぶった天人が狸の死骸から木の槍を引っこ抜いていた。あたりの死骸をよく見ると、どれも槍で貫かれたような刺し傷があり、どうも天人は槍を主に使う連中らしいと見て取れた。そのこと自体は夢若屋の胸にいかな風も起こさなかった。天人の腕前が優れていることは少しばかり予想以上だったが、へえ、そうなのかと思っただけだった。
それよりも目の前の栗牧から逃れたかった。
「ならば私は無用ですね。もう行きます」
「いいえ、なりません」
夢若屋が馬を走らせようとすると、またしても女が跳んだ。跳んで、馬に乗って、今度は夢若屋の背中に後ろからしがみついた。
「ちょっと」
「ふふふ、小さいお体。でもこの身体で立派に働いておいでですのね。ねえ、夢若屋さん。ここで会ったのは幸いと言いたいところですけれど、実はそうじゃあありません。私はあなたを待っていたのですよ。あなたにお会いしたくて、お話をしてみたくって。……あなたになら、天人の秘密を明かしても構わないのではないかと」
「秘密?」
耳元でささやかれる声色が、少年の強張った背筋を不愉快に逆撫でた。
「六武太様にも少うしだけ打ち明けたのですが、ねえ。あの方はあんまりにも頑固で、十分におわかりいただけたかどうか……」
「へ、六武太さんがどうしましたって?」
意外な名が出たことに驚いて夢若屋が振り向くと、仮面の栗牧ともろに目が合った、その目は夢若屋を痺れさせた。
あれは夢若屋を子供と可愛がる女の目ではない。なにか違うものとして夢若屋を見ている。なんと見ているのだ。なにを欲しているのだ。あの欲深い蛇の目は。
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