戦・夢若屋

「やあ、大変な狸囃子だ」

 狸狩りと人狩りが交錯する床々山の戦場。その喧噪の中、愛馬を駆り矢雨をくぐる夢若屋の独り言は呑気であった。無論、呑気であるはずはないのだが、すれ違いざまにその声を耳にした狩人の一人などは、どこの童が紛れ込んだものかと一瞬戦を忘れかけた程である。

 夢若屋は呑気ではない。ただ、肚が据わっている。

 狸の山には慣れているのだ。

「ほら、おじさん。狸の死骸を拾って休んでちゃダメですよ。奴らは同族が流す血の匂いに一番敏感なんです。ボサボサしてると真っ先に狙われますよ」

「ひえっ。な、なんじゃ坊主」

 農民と思しき男は颯爽と馬を駆る童の登場に驚き、抱えていた狸の死骸を落っことした。

「ダメダメ。手柄は大事に抱えなきゃあ。……なんだおじさん、もう背中の籠がいっぱいじゃないですか。だったら欲をかかないでさっさと山を降りた方がいいですよ。こいつは私が貰って行きましょうね」

 背負った刺又を器用に使って狸を拾い上げると、夢若屋は男に向かって屈託のない笑みを見せた。男はまたドキリとさせられた。なんと、戦場に似つかわしくない童子だろう。年頃としては十一か二、少年から男へと変わり始める頃合いだが、笑った顔は娘のようでもある。

 しかし、と農民の男は三度たまげた。夢若屋の背後、鞍に乗せられた籠の中はすでに夥しい狸の死骸で埋もれていた。たらたらと流れた血が、馬の背を伝って腹から垂れ落ちていた。少年は血肉を背負うて笑っていた。

「さあ、さあ、お行きなさい。狸の山じゃあ足を止めるのが一番ダメなんです」

「あ、あんたは、どうなさる」

 男は目の前の少年が童と見えなかった。なにか、狸よりも得体のしれぬ化け物のように思えた。自然と口調も変わった。

「私は他にも仕事がありますので。ほら、ここに提げた矢を狩人の皆さんに届けるんですよ。もっとも、一番腕のいい狩人のところには行きませんけどね。そこはさすがに戦が激しいですし、どのみちあの人に補給は不要でしょうから」

「はあ、そんじゃあ、お気んつけなまし」

「そーれ!」

 泥土を跳ね散らしもの凄い勢いで去って行く馬の後尻を、男は放心したように見つめていた。やがて少年に言われた事と、己が置かれた状況を思い出して、転げるようにあたふたと山を駆け降りて行った。

 夢若屋は知っている。慌てる奴が死ぬことを。物心ついた時から馬とともに生き、届人を生業とし、多くの同業者が死んでいく様を見続けてきた。生き残るのに必要なのは冷静な頭だ。そして目だ。夢若屋の幼い眼は、血濡れた戦場を冷静に見ていた。

「狸狩り、意外に優勢だな」

 喜ばしいことではあるが、もっと凄惨な事になるのではというのが、夢若屋の正直な予測だった。狩人の腕は良いにせよ、不慣れな素人を山に連れ込んでは、思わぬ事故を起こすのではないか、と心配していたのだが、どうやら杞憂に過ぎぬようであったらしい。

 眼前に転がる死骸はほとんどが狸、狸、狸である。中には何狸だか知らないが、人との戦に向いていないような格好の狸もいる。時折狩人の無惨な姿も見られるが、十分に戦い抜いた後であることは見て取れる。不心得な農民が被害にあった気配はない。

「狩人たちはもっと上かな……? 戦線の上がり方が予想よりずっと早い。よその町から借りて来た狩人たちがよほど腕利きだったのかな」

「ほほ、私どもを忘れてもらっちゃ困ります」

 馬上に突然甘い声がして、夢若屋は背筋を震わせた。振り向くと、たった今下を通り抜けた木の枝に一人の人間がぶらさがっていた。

 そいつは仮面をかぶっていた。

 紅い牡丹を描いた仮面――天人の栗牧だった。

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