戦・雄伝2

 狸の目を射抜いて仕留めたつもりか。

 ――馬鹿め。

 雄伝はほくそ笑んだ。狸は目よりも鼻で物を見る生き物だ。矢が短く、またあまりに遠くから放たれたので、鏃は脳まで達していない。狩りに昂る雄伝の闘志の前では、のけぞるほどの傷ですらなかった。

「うおおおぅッ」

 隙と見た大男が斧を振りかぶってくる。雄伝は片目と鼻だけでその動きを見抜いた。

 そして跳んだ。大伝がそうしたように。

 自ら前へ跳んだことで重い鉄刃は頭を逸れ、肩にめり込んだ。泥で固めた堅牢な肩へだ。刃は重みでバリバリと胴体まで切り裂いたが、雄伝本来の身体は無事だった。その痛みは、雄伝をさらに昂らせた。

「俺たちは戦をやっている! したくて、したくて、たまらなかった戦だ!」

 実をいうと雄伝が狩人と戦うのはこれが初めてだ。親分として、死ぬわけにはいかなかったからだ。父と、二人の弟を戦で亡くした。若くして親分の座に就けられた。死ぬわけにはいかなかった。死ねば、次は大伝が親分だ。親分は誇りだが、窮屈だ。大伝には力いっぱい、一人の男として吠えてほしい。

 故に、雄伝は戦えなかった。内に漲る闘志のおかげで力狸としての技量は誰よりも優れていながら、それを実際に振るう機会は有り得なかった。雄伝は親分として、兄として、弟の大伝を時に厳しく鍛え、時に熱く励まし続けてきたが、本心では大伝が羨ましかった。大伝は戦う男であり、その力の振るい方は粗削りなれど、雄伝にとっては密かな学びの師でもあった。北門山から来た灯子と大伝が渡り合った時、がっぷりと組み合い火花を散らす二つの力を目の当たりにして、誰よりも魂震えていたのは雄伝だった。

 悲願は叶った。今、雄伝は戦っている。

 目を矢に貫かれ、泥の身体を斧で断ち切られようと、痛みを感じないのはそのためだった。そして大伝ならばこうするはずだ。

「おうっ」

 雄伝は斧に食い込まれた泥へ再度意思を張り、刃をぎゅうぎゅうに押さえつけた。そうして相手の武器を捉え、力で振り回してやるのが大伝のやり方だった。雄伝もそういようとした。目の前の大男を振り回して、後ろで矢を撃ってくる奴にぶつけるつもりだった。

 しかし、出来なかった。

 ぐん、と。

 押さえながら、抑えられていた。目の前の大男は、雄伝が知る狩人の常智を越えた大力だった。馬のような長い面がぎりぎりと歯を食いしばり、雄伝の開いている方の視界はそれしか見えなかった。汗までどこか馬くさい男だ。雄伝は渾身の力を込めて斧の柄を掴んだが、それを阻まんとする人間の腕一つのために、振り回すことはおろか、引き抜くことすら叶わなかった。

 男の食いしばった口が開いた。

「今だ、丈吉!」

 声と、第二の矢と、同時に雄伝の脳へ届いた。

 このわずかの間に距離を詰めてから放たれた狩人の矢は、一度目に撃たれた最初の矢筈を突いていた。突かれた分だけ最初の矢はさらに深く、雄伝の内を抉った。

 ――こういう奴らを、大伝は知っているのか?

 人間は、

 人間は、俺たちが思っていたよりも、知っていたよりも……。

 驚愕が闘志を越え、雄伝の身体は溶けるように解けた。

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