戦・大伝
これが、大年の町か。
頭を出した大伝は、人の匂いを嗅ぎ、瞬きほどの感慨を受けた。昨夜からずっと地中を掘り進んできたためか、鼻につく乾いた風が心地良かった。
人間の町。狩人の住処。忌まわしい大年の町は、おそろしく静かであった。話に聞いていた通り、木で造った家というものが立ち並んでいる。目の前にあるひと際大きい家が狩人の親分が住んでいる所らしい。なるほど、人の匂いを強く感じる。
「ああ、狸!」
誰かが叫んだ。それを皮切りに、町中で人の蠢く気配がする。
来るぞ。来るぞ。狩人が来る。ぞろぞろ出てくる。
大伝は泥を纏い、穴から飛び出した。
「みんな、行くぞ!」
「おうよっ」
後から仲間がついてくる。みんなの意思が、見えない線で一つに繋がっている。ここは人間の町。全てを壊せ。食いつくせ。
始めから全ての意思を滾らせる。熱い、熱い。ずっと待ち焦がれていた瞬間だ。歓喜の渦が、泥の肉体をいつも以上に力強く躍動させる。
誰かの放った矢が飛んで来る。その軌跡がはっきりと見える。避けるまでもない。掴んで、投げ返す。
突き出された槍の先を、あえて前足に刺してやる。後から来た狩人が同じように槍を出して来るのだろう。知っている。そうして俺を止める気だ。意思の通った前足を貫かれる痛みなど、興奮で塗りつぶす。前足に刺さった槍を、それを握る狩人ごと持ち上げて、振り回す。
ぎゃあ。
後から来た狩人が薙ぎ倒される。槍を手放した狩人が、歩きの下手な子狸みたいにごろごろと転がる。面白い。
大地の意思。意の地は俺にある。
大伝は、力狸の本分をひたすらに謳歌した。
狩人は後から後からやって来る。しかし、その動きは統一を欠いており、他の場所から慌てて駆け付けた者がてんでに戦っているだけであった。
雄伝の読みは見事に当たっていた。注意を山や、町の外側へ向けていた狩人たちは、町の中心への対応に遅れている。これも駆狸の毛坐が命懸けで潜入を繰り返し、町の地形を調べてくれていたお蔭だ。それを命じた雄伝も山で狩人たちを蹴散らしている。
俺も、俺の本分を全うする。
床々山の狸の悲願。父と、右眼と、左眼の、その無念を晴らす時だ。肉体も、意思も、これまでの限界を超えて高まっていた。やはり大伝は、力を出して育つ狸であった。
手当たり次第に狩人を打ち倒す。三人ほど屠ったところで、これまでより一段と手練れの者が現れた。大伝はそいつの名前など知らないが、おそらく、狩人を束ねる側の奴だろうと感じた。
「西庄丈一、参る!」
勝手に名乗られたが、覚えてやるつもりはない。だが西庄というのが大年で二番目に強い奴らだとは聞いている。
なるほど、できそうだ。
矢が通じぬと悟ったのか、もしくは始めから使わないのか、そいつが構えているのは、槍の穂先の代わりに湾曲した刃を取り付けたものだった。そう、確か、薙刀とかいうものだ。
これまでの狩人は、逃げながら矢を射るか、武器の長さに任せて突っ込んでくるかのどちらかだった。だが、この男は、薙刀の刃を地面とすれすれの位置に構えたまま、動きを止めてじっと睨みつけてくる。大伝が向かってくるのを待っているのだ。
ふうむ、と、大伝は大袈裟に鼻息を吹いた。
こいつめ、周りに他に狩人や狸がいるのに、俺と一対一の決闘をするつもりか。
人間のくせに生意気な、とも思ったが、事実、周りのどの生き物も、大伝と男の間に割り込んで来る気配がない。それは男の発する痛烈な殺気のためであろうか。
いいだろう。待つ戦い方があるというのなら、見せてもらおう。
大伝は二本足で立ち、前脚を広げて男に踊りかかった。薙刀の刃を捕らえて振り回してやるつもりだった。
男が前に出た。姿勢を低くしている。さっきまで時が止まったように静止していたくせに、いざ動くと速い。腕を潜り抜けて躱されたばかりか、すれ違いざまに後脚を片方切断されていた。
「ぐおっ」
さすがに痛い。痛いが気にしている場合ではない。後ろに回った男は、姿勢を崩して低くなった頭を狙ってくるに違いない。
大伝は頭を守りながら片足で振り向いた。が、予想に反し、男はもう一本の後脚を斬りつけていた。重い尻が地に落ちた。
――凄い奴だ。刃の先まで殺気が通っているかのようだ。
大伝の背筋が冷たくなった。
こいつに単独で挑むのは、ちょいと不味かったかな、と。
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