開戦
狸狩り当日。
まだ朝日の昇りきらぬ暁のことである。
「こいつは、一体どういうことだ」
丈吉が呆れた声をあげて、田畑に集う人の群れを眺めていた。
「力狸一匹に一人で向かってはなりませぬ。長物を持った者が数人がかりで泥の身体を突き、動きを止めてから頭を狙うのです」
「おう。息を合わせるのが重要ってことだな」
集まっているものの多くは農民である。秋の収穫を終え、本来ならば冬の作物に取り掛かるか、正月祝いの飾りを作っている農民たちが、頭に鉢巻き、足に草鞋の恰好で、槍や差又を担いでいる。
農民たちの前に立って声を張り上げているのは天人である。
昨日家に押しかけて来た天人の栗牧は白地に牡丹の仮面を被っていたが、この天人の仮面は黒地に白い点がいくつも打たれていた。
「ありゃあ、
斧を担いだ六武太が横から教えてくれた。
なるほど、確かに声は聞き覚えがある。男にしては高く、通りの良い声で、舌の回りも滑らかである。
「狸を狩り、あの山を人間のものとする。それは皆さまの働きにかかっておりまする。しかしくれぐれもご無理をしてはなりませぬ。皆さまは一人ひとりが町を支える大事なお方です。どうかお家族のためにも無事にお帰りくださいませ」
無理をするなと言うのならば、農民を狸狩りに行かせることがすでに無理なのではないか。畑の土に鋤鍬を入れるのと、狸の体に武器を突き込むのは全く勝手が違う。
丈吉と六武太は憮然とした顔つきで立ち尽くし、農民たちが慣れぬ槍を突く様を眺めていた。
「危なっかしいなぁ。おい、狸狩りの当日だぞ、今日は。今更あんな真似事で大丈夫かよ」
「天人め、何を考えていやがる」
と、二人の背後に、若い男の人影が立った。
「不満か、丈吉」
「健人様」
二人は慌てて振り向き、頭を下げた。
「天人が出しゃばるのに不満があるのはわかるが、これは父も容認したことだ。床々山の狸を一掃するためにも天人の言い分は都合が良い、とな」
健人は背が高い。頭の高さは六武太と並ぶほどである。しかし、六武太が横に太く、胴が長いのに対して、健人は脚の長さで背丈を稼いでいる。心持ち顔も長い。俺が熊ならば健人様は馬だ、と六武太が冗談で言ったのを、丈吉は無礼だと叱ったことがある。
「健人様も、狩りにお出でになるのですか」
「うむ。この一大事だ。黙ってはおれぬ。それに、横倉家の立場とは別に、俺も血が騒ぐのだ。町の発展を阻み続けて来た狸どもを今日こそ蹴散らせるのだ。とても町で待つ気にはなれぬ」
目がかっきりと大きく、誰に対しても真っ直ぐにそれを向けるため、背の高さもあって慣れぬ人には圧迫感を与える風貌である。しかし、丈吉と六武太は、この目を真っ直ぐに見返すことが出来る。
首長の第一の後継者候補でありながら自ら狩りに赴き、一介の狩人を相手に平気で本心を語れる。そうした点で、丈吉はこの男を好意的に見ていた。
「首長はこの狩り、どのように運ばれるおつもりなのですか」
「うむ。まず我ら狩人と天人の兵が、山に入る。山での狩りはいつもの通りだ。お前たちのやりやすいように狩りをすれば良い。天人も我が身は勝手に守るだろう」
「では、あの農民たちは」
「あれは後詰だ。巣穴に隠れた狸を探し出し、確実に潰す。そのための手数だよ。始めから力狸らと戦わせるつもりなどない。天人が力狸の狩り方を教えていたのは、一応は教えておかないと農民が不安がるからだ」
「はあ、そう言う事なら、安心いたしました」
数は力とはいえ、無闇に人が多いと動きづらい。本職の狩人ならば考えることは同じである。
「仮に力狸が俺たちをやり過ごし、町へ攻め入ったとしても、農民たちには決して戦うなと命じている。我が身を守るためならば仕方がないが、町を目指しているのであれば素直に行かせてやり、守りの狩人に任せろ。とな」
「町の守りはいかがいたします」
「父が指揮を執り、西庄家の狩人が務める」
西庄家、と名を告げる健人の唇には薄い笑みが浮かんでいたが、丈吉はそれに特別の反応は示さなかった。
健人も気にせずに続ける。
「町は広く、狸がどこから潜り込んでくるかわからんからな。町を知らない他所の狩人には任せづらい。結果として借り物の戦力ばかり前に出す形になった」
「それでは不味いと判断して、健人様も山へ向かうというわけですか」
かっ、かっ、と健人は妙な笑い方をする。
「さっきも言っただろう。俺自身も血が騒ぐのだと。床々山の親分は雄伝とか言ったか、それをこの手で討ち取りたくてうずうずしておるのよ」と、黒弓を撫でた。
「お前たちも同じだろう。自分たちは前線をやる、と父に願い出た切り、返事も待たずに飛び出したはぐれ者どもめ」
「へへえ、だから健人様と気が合うのでしょう」
六武太が歯を剥いて答えた。
健人はまたかっ、かっ、と笑い、丈吉は口を結んで目で笑った。
山を攻めるにせよ、町を守るにせよ、主力となるのはあくまで狩人であり、付け焼刃の農民は極力戦わせぬという方針には安堵を覚えた。それにしても、農民が今ここにいる首長の長子ではなく、天人の指示に従っているのが気にかかる。
「天人に頼むのも仕方がないのだよ、丈吉」
優しく、諭すように健人は言った。
「お前が考える通り、本来は我らが指示をすべき立場なのだ。だが農民たちの間では、首長や狩人に対する信頼がやや薄い」
「そんな事は」
「あるのだ。今年も、昨年も、天候に恵まれず米の実入りが少なかった。幸いにも飢餓に至るほどの凶作には至らなかったが、それ以前の数年が豊作で、農民たちも豊かな生活が続いていたために、貧しさに対する恐怖が膨れ上がっているのさ」
「米の不作は知っていますが、それが首長や狩人と何の関係があるのですか」
「米の収穫が少ない中から、我ら狩人の食い扶持を出さねばならんからだよ。米が多く獲れていれば問題ないが、自分たちの食う分も少ないのに狩人を食わせてやらねばならんというのが不満なのさ」
「なんだ、なんだぁ」
六武太が鼻を鳴らした。
「俺たちが町を守っているから、農民も米を作れるんだろう。自分たちの仕事が上手くいかなかったからって、俺たちを嫌うのは筋違いじゃねえか」
「落ち着け、六武太。それは農民たちもわかっておるよ。別に狩人を恨んでいるわけではない。ただ、血の気の多い奴の中にはちょっとばかり不満があるだけだ」
「そこに天人がつけ込んだんですかい」
「つけ込んだとは人聞きの悪い。何度も言うが、丁度良かったのだよ。狸を狩ることの重要性を説く天人の言い分に、間違いはないからな。見ろよ、この土地を」
健人は諸手を広げた。長く伸びた腕が、目に見える全てを抱こうとしているようだった。
「狸の脅威がなくなれば、今まで以上に田畑を拓くことができる。水路も引ける。床々山の木々や獣も我らのものとなる。狸を狩ることの意義が農民たちに理解されたのだ。奴らの言い分が多少気に食わぬところは大目に見てやってくれ、なあ」
なあ、と身分に合わぬ気軽な口調で言われては、丈吉と六武太も嫌とは言えない。
何にせよ、丈吉の肚は決まっている。狸狩りは狩人の本分。ただそれを果たすのみ。
もうじき日が昇る。と、東の空を仰いだ丈吉の目に、町から歩いて来る人影の波が映った。山へ向かう狩人たちである。
狩人に決まった装束はないが、いずれも軽装である。
かつて横倉家や西庄家が異国の武士であった頃、戦には甲冑を着込んで挑んだという。それは人間同士が戦うための装具であり、刃の切っ先や矢を防ぐには適していたことだろう。だが、山で狸を狩るとなると話は別だ。草木の生い茂る山で重い甲冑はただ邪魔であり、力狸の剛力の前では防具としての意味も薄い。打撃に対しては強くとも、手足や首を捕られ、へし折られる。ならば出来るだけ軽装にして捕まらぬように素早く立ち回った方が良いと、そうしてきた者が今日まで生き残っている。
丈吉らの格好も同じである。木の枝や棘で無用な傷を負わぬよう布や皮で肌を隠し、頭には頭巾を被っている。持ち寄る武器も様々だが、概ね弓、槍、刀である。六武太の担ぐ巨大な鉄斧は珍しい。中には武器を持たず、籠や矢筒を背負っている者もいる。あれは他の狩人と組んで補佐する者だ。
「さて、そろそろ始めるか。この挨拶は俺がせねばなるまいよ」
健人が歩みでる。その後に丈吉と六武太が、さらにその後に狩人たちが続く。昇る朝日を背負って歩む狩人たちの姿に、農民たちも慄いたことであろう。
「この狩りは大年を発展させるのみならず、他の町にとっての希望にもなる」
健人は歩きながら語る。その声は今朝治のものより低いが、静まり返った一同の耳にはしっかり行き届いていた。
「忌まわしき獣。愚かしき狸。我らの道を塞ぐ敵を、今こそ滅する」
馬は使わない。狩人たちは己の足で山へと向かう。
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