戦・夜明け

 狸たちの決起の後、大伝は巣穴にうずくまって、とろとろと考えた。

 大年を滅ぼすと、どうなるのだろう。

「狩人がいなくなるという事だよな。じゃあ、もう狸が殺される事もない。でも、狩人や届人が山に来なくなると、俺がそいつらを食う事もできなくなる。狩人は厄介だが、そいつら相手に力を尽くすのは、結構楽しかったのにな。

あれ、狩人がいなくなったら、俺は誰と戦えばいいんだ? 俺が鍛えて来た力は、何のために使えばいいんだ?

ああ、大年の他にも人間の集落はあるから、そっちを潰すのを手伝ってやればいいのか。灯子ら北門山からを借りているからな。今度は俺が力を貸してやる番だ。

ええと、それから……?

島中の人間を始末してしまったら、その次はどうする。

猪や鹿でも獲るか。うん、この山でそれらを狩るのは、俺だけだからな。獲ってくれば皆が喜ぶ。でも、同じ事を誰もしようとしないのは、別にそれを食わなくても生きていけるからなんだよなぁ」

 そう考えると、今まで獣を狩って意気揚々と見せびらかしていたことが、何だか酷く馬鹿々々しく思えてきた。

 尻がむず痒くなって、尻尾をばたばた打ち付ける。打ち付けながら、なおも考える。

 酒狸は酒をつくる。鼓狸や笛狸は宴を盛り上げる。針狸は木や石を削って物をつくる。火狸は火を起こす。

 力狸は、何をする。

 雄伝はどうするつもりなのだろう。親分というのも、人間のせいで出来た役目だって言っていたな。親分をやめるつもりなのだろうか。でも、人間がいなくなっても、親分はいた方が良いような気がする。雄伝の元に皆が集まって、その指示で各自が役目を果たす。そういうのは、人間に関係なく、あっても良い。生まれた時からずっと親分のまとまりの中で生きて来たのだ。それがない日々というものが思い浮かばない。

「そうだ――旅に出たいな」

 その考えは水泡のように奥底から浮かんできた。

「人間がいなくなれば、島のどこにでも好きに歩いていける。俺はこの床々山しか見たことがない。この山も好きだが、きっと山の外にも面白いものはたくさんあるだろう。そうしたものを見て回るっていうのは、楽しそうだ」

 考え続けているうちに夜が更けて、朝になった。そろそろ眠ろうかと思ったが、雨の音が気になって眠れなかった。目を瞑っても心が起きていたせいだ。

 おかげで寝不足だったが、気分は良い。始めは寒い、寒いとばかり感じていた風の冷たさが、ひりひりと火照った頭に丁度よかった。

 足は竹林へと向かっていた。竹の葉から零れた水滴が時折頭に落ちてくる。頭を振って水を散らしながら斜面を下れば、散った雲の隙間から漏れる陽光が、一段と明るく山を照らした。

「おっ、大伝」

 声を掛けられて振り向けば、戸敷としきであった。

「戸敷、こんな時刻にかち合うのは珍しいな。いつも昼間は寝ているだろ」

「おう、なんだか眠れなくてな」

「あはっ、お前もか」

 お前もか、と戸敷も返した。力狸同士、考えることは同じなんだという事が嬉しくて、顔を見合わせてにやりと笑った。

 大伝は昨夜から考え続けて来たことを戸敷に話した。戸敷は土の上を這っていた蚯蚓を咥え込んで、事もなげに答えた。

「お前な、そういうのは、大年を滅ぼした後で考えろよ」

「あれ、違うのか」

 しかし、指摘されてみれば、確かにその通りである。

 戸敷は蚯蚓を飲み込んで、苦笑まじりに言った。

「俺が考えていたのは、いかに被害なく大年を落とすか、って事なんだよ。白勢しらせが傷つかないか、それだけが心配だったんだ」

「あ、そうか。いやあ、嫁を持つと考えが違うな」

「馬鹿、お前がぼんやりしてるだけだ」

 乾いた笑いが、湿った山に木霊した。

 木霊を聞きつけたのか、さらに狸が現れる。

「おーう、大伝、戸敷」

時辺ときべ! おい戸敷、こいつぁいよいよ珍しいぞ」

「おお、時辺がこんな所まで降りてくるなんてな」

「あーほたれぇ。儂だって、足ぐらいはある」

 時辺だけではなかった。後から、後から、ぞろぞろと狸が降りてくる。力狸だけではない。鼓狸の頃利がいた。針狸の扶智がいた。

 女狸も、子狸もいた。

「なんだ、なんだ、お前ら。皆、眠れないのかよ」

 狸たちは互いに顔を見合わせ、くすぐったそうに笑う。多くの意思が、命が、惹かれ合って集っている。

 誰が号令したわけでもなく、狸たちは一様に南の空を見上げた。顔は空を見上げているが、思い描いているものは違う。狸たちの脳裏には大年の町が描かれていた。忌々しいが、長きにわたって床々山の近くにあったものだ。それを我が目で見たことのない狸もいるが、彼らの体に受け継がれた祖先の意思が覚えている。

 あの町が、もうすぐなくなる。

 それは狸たちにとって喜ばしい勝利であると同時に、一種の喪失でもあった。ここに来た狸たちは、別れを告げに来たのだ。

「大伝」

 傍に寄り添って来たのは、灯子だった。

「と、灯子。お前もか」

「たった今、北門山から連れて来た狸たちに此度の件を承諾させたところだ」

 灯子の声は大きく、周囲の狸たちの注意を集めた。灯子もそのつもりで喋っていた。

「山で狩人を待ち受けるのと、町へ狩人を殺しに行くのとでは、あまりに話が違うからな。反対する狸もいた。だが、私は北門の百々親分から任命された頭として、その反対を押し切った。何故だかわかるか、大伝。それは、お前が言った事なのだぞ」

「はて、俺が北門の狸に何か言ったか」

「昨日、この竹林で、子狸らに言っていたではないか。床々山の男なら誰でも大年に挑みたくなる、と。私はそれを聞いて感服したのだぞ」

「言った、けどよ。それは北門山でも同じじゃないのか」

「違う。北門の狸は、すぐ近くの七加瀬に挑もうなどと思っておらぬ。嘆かわしいことだが、事実だ。男も女も同じだ」

 灯子がずいと顔を近づけて来た。石の混じった体臭が鼻に匂った。

「北門山は雪の積もる高い山だ。人間は昇って来るだけで疲弊し、戦うまでもなく山を守れる。北門の狸はそう考えておるし、事実そうなっておる。だが、その境遇そのものが間違っておるのだ。人間が容易に登れぬような山に、狸の方が追い籠められておる、というのが正しい。狸とは本来、この床々山のような、低い山に住むモノであろう。住めるとはいえ好き好んで厳しい冬山に住み着くものか」

「お、おお」

「それでいて北門の狸は、人間に奪われた地を取り戻そうとは考えぬのだ。わざわざ危機を侵さずとも今の暮らしは十分に守れるのだと、それで終わっておるのだ。床々山の狸のように、人間に挑もうとする気概がそもそも欠けておる」

 こいつ、こんなに喋る奴だったかな。

「私はそれが悔しゅうて、密かに技を磨いてきた。この山に来てようやくそれが報われた。ともに連れて来た狸たちに、私は言ってやったぞ。床々山の狸を見習え、これぞ狸の本分であるぞ、とな。今この場を見れば、その腹も据わったであろう」

 気が付けば、北門山の狸も竹林に来ていた。灯子が言うように、それらの顔は床々山の狸たちと同じものを見ていた。

「我らも全力を尽くす。必ずや、我ら狸に勝利をもたらしてみせようぞ」

 歓声が轟いた。狸たちの意思は一つになり、山を揺るがした。


 その日の夜、雄伝親分の元で、綿密な段取りが話し合われた。景気づけに、これまでで一番の宴が催された。戦う事の出来ない狸たちによる、最大の祝福であった。

 翌日。決戦を前日に控えた朝、狸たちは寝た。ただひたすらに寝た。

 大伝も今度こそぐっすりと眠ることが出来た。身も、心も、深い安らぎに浸っていた。

 夕刻に目を覚ました時、大伝の調子は万全であった。

「さあ、行くか」

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