丈吉・4

「天人の修行を積む者にございます。西庄様とお話をさせていただきたく参りました」

 咲江が立ち上がり、戸を開けるか否か、丈吉の判断を仰いだ。丈吉は黙って頷き、居住まいを正した。

 戸が開かれ、湿った町を背負って姿を現したのは、実に奇妙な風体の女だった。古代の礼装を思わせる白い衣を纏い、長い縮れ毛が肩にかかっている。天人と名乗ったことから木の仮面を被っていることは予想していたが、目を引くのはその仮面の模様だ。顔の前面をすっぽりと覆う楕円形の仮面は両目の所だけ穴が開いており、乳白色に彩られている。その白地の左目あたりにべっとりと血がついているように見えた。しかし、よくよく見れば、それは濃い赤で描かれた牡丹の花であった。白地の部分が磨いたように明るいだけに、赤い牡丹はより毒々しく、また艶美であった。

「お招きありがとうございます」

 玄関に入ってきた女は丁寧に頭を下げた。だが、その声にも、仕草にも、本物らしく拵えた芝居の匂いが感じられた。

「天人が俺に何の用だ」

 丈吉の声も自然に硬くなる。玄関には入れたが、座敷には上がらせない。目で伝えてやると、女はそれを受け取ったのか、戸口に立ったまま話し始めた。

「栗牧と申します。すでにご存じの事とは思いますが、ただいまこちらの長屋にて、我らが天人の教えを大年の皆さまに伝えております」

「ああ、知っている」

「しかし、その場に西庄様がいらっしゃらないご様子でしたので、こうしてお迎えにあがりました」

「余計な世話だ。俺は行かん」

 こういう手合いに前置きや遠慮はいらない。はたして、栗牧と名乗る女もまた、遠慮をしない奴だった。

「西庄様は狩人の中でも特に優れたお方だと存じております。それにお人柄もよく慕われていると。そんな方にこそ我らの教えをお伝えしたいのでございます。西庄様はこれまで多くの狸を狩ってこられたのでしょう」

「狸狩りと天人と、何の関わりがあるというのだ」

 口に出してから、しまった、と後悔した。話の糸口を得た栗牧はさらにまくし立てた。

「狸は汚らわしい獣。天の子孫である我ら人間の敵。狸を根絶やしとして人間の平穏を得る事こそ、この島の民に課せられた何よりの定めなのです。貴方様はそれを良く実現されておられます。この町の誰よりも天に近いお方と言えるでしょう」

 俺が狸を狩るのは、ただ目の前の人々を守るためだけだ。天だの教えだの知ったことではない。そう言ってやりたいが、それでは議論になってしまう。

丈吉が選んだ言葉は、ごく単純な拒絶であった。

「お前と話などしたくない。帰れ」

「そう言わず、どうか」

「俺の家から出て行け。咲江、いや、俺が締め出そう」

 立ち上がって戸口へ向かうも、栗牧は突っ立ったまま微動だにしない。牡丹の仮面から覗いた目が、舐るように丈吉を品定めしていた。

「西庄様がお出でにならなければ、我々の方からここへ参りましょう。狸狩りの本当の意味を、貴方様もきっとご理解いただけます」

「いらんと言っている」

「いいえ、私も引けませぬ」

「おい」

 外から野太い声がかかった。六武太だった。六武太は栗牧の肩を掴むと力任せに路上へ引きずり出した。

「おいおい、無茶をする奴だ」

 丈吉は慌てて草履をつっかけ、表に出た。

「あれ」

「わ、あ」

 突き放された栗牧はよろけながら二、三歩たたらを踏み、そこにいた夢若屋ともつれて倒れ込んだ。牡丹の仮面が外れて水たまりに落ちた。

「だ、大丈夫ですか」

「あら、あなたは夢若屋様。これは失礼をいたしました」

「私をご存知ですか」

「ええ勿論。幼いのに大人も顔負けの配達人であると、我らの耳にもお名前が届いておりますよ」

 栗牧は落ち着き払って立ち上がった。

「夢の坊、そいつに構うな」

 それを六武太が押しのけて夢若屋を引き起こす。

 露わになった栗牧の顔は、咲江を見慣れた丈吉にとってもまずまずの美人であった。色が白く、鼻筋が高い。目尻が丸く垂れているのが一見して朴訥な印象を与えるが、口元に浮かべた薄ら笑いが、芝居の妖狐を思わせた。

 六武太が馬面を強張らせ、栗牧に迫った。

「天人。お前らが何を考え、唱えようと勝手だが、俺たちのやっていることに口を出すな。俺たちは俺たちで考えて生きている。ここには来るな、いいな」

「六武太様。そんなお寂しい事を」

「帰れ!」

 熊のような体格から言葉を叩きつけられても、栗牧はまるで動じない。ゆったりと淀みない動作で水たまりから仮面を拾い、表の泥を拭いながら、六武太、丈吉、夢若屋と順繰りに目をやった。

「うっふふふ、ふふ」

 と、今度こそ芝居ではなく、本物らしい低い笑みを漏らし、背を向けて大家の方へ去っていった。天人の説法が終わったのだろう。その方向から町人や狩人がぞろぞろと歩いて来る。

 丈吉は家に戻りながら声をかけた。

「二人とも、ひとまず家に入れ」

「おう、そのつもりで来た。夢の坊、巻き込んですまなかったな」

「ひどいですよ、まったく」

 六武太と夢若屋が家に入って戸を閉めると、奥に引っ込んでいた咲江が手拭を持ってきて夢若屋の体を拭いてやった。その間に丈吉は元の場所に腰を下ろし、囲炉裏を挟んだ正面に六武太が座った。

「六武太よ、お前、やけに天人を嫌っているみたいだな。俺も今の天人を追い出そうとしていたが、お前が無理やり引っ張り出したのには驚いたぞ。いつものお前ならあんな乱暴はしない」

「嫌いもするぜ」

 目の前に下げられた鍋には目もくれず、懐から一冊の本を取り出して丈吉の胸元に投げつけて来た。受け取ってみれば粗末な紙を束ねたもので、表に『降臨伝説』と朱墨で厳めしく綴られている。

「なんだ、こりゃ」

「さっきの集まりで天人が配っていたものだ。中身は俺もまだ読んでいない、というより、俺は文字が読めないんだが、あいつらが言うには、人間が天の神の子孫であることを示した物語らしい」

 中身を何枚かめくってみたが、丈吉でも面倒になるほど難解な文字がびっしり並んでいる。これを読むのは少々気合がいりそうだ、と一先ず脇に放っておいて、

「これがどうしたんだ」と六武太に尋ねた。

「天人はそれを使って、大年を乗っ取るつもりらしい」

「はあ?」

 柄にもない神妙な顔で、何を言っているのだ、こいつは。

「大年だけじゃない。他の町に住む連中も含めて、島の人間全ての長になるつもりらしいぜ」

「話が飛躍しすぎですよ。いいですか、丈吉さん」

 夢若屋が囲炉裏端に来て、か細い手を火にかざした。体が震えているのは寒さのせいだろう、咲江が丈吉の羽織を持ってきて幼い肩に掛けてやった。

「この島の人間は異国からやってきた人間の子孫である、ということはご存知でしょう。天人に言わせれば、その異国の人間というものが天の神の子孫にあたるそうです。その本にその辺の事情が書いてあります。で、天の神は子孫である人間に対し、いずれ天に至れるようにと掟を課している。その掟を最も忠実に実行しているのが自分たち天人なのだと言っているわけです」

「人間がこの島に来たのは、島の狸を滅ぼすためなのだとよ。狸は天の神を敬わない愚かな生き物だからな」と、これは六武太。

「ところが人間が島に住み着いてから何百年も経つのに、いまだに狸は山を支配していて、人間はわずかな集落だけで暮らしている。それは人間全体を統率する意志が欠けているためだそうです」

「そこで天人が今一度天の教えを説き、それによって人々を一つにまとめるのだぁ。と、まあこんな感じの事を言っていた」

「そう言う事です」

 二人は言葉を切って、丈吉の反応を確かめるように目を向けてくる。

 丈吉は答えに困った。一度に色々と言われたが、一つ一つ考えることにした。

 人間は天の神の子孫である。始まりから怪しいが、別にその事が悪いとは思わないし、嘘だと断言する証もない。

 人間が島に来たのは狸を滅ぼすためである。そうだろうか。人間が暮らしていくのに狸が邪魔だから狩るのだ、と丈吉は思っていたが、狸を狩るために人間が暮らしているなどと、考えた事もない。

 人間が狸を滅ぼせずにいるのは、統率を欠いているためである。これは頷ける。一つ一つの町は狩人の名家によって統治が為されているが、町同士の繋がりは希薄である。そして町を守るだけならばともかく、山に住む狸を狩りに行くのは多くの人手を要する。

 そこまで考えて丈吉は愕然とした。根幹の部分はともかく、目の前の現実で天人の言葉は実現しつつある。二日後に迫った大規模な狸狩り。それは天人の発案によるものではないか。

 少し考えて、静かに、丈吉は答えた。

「狸を狩るために、離れた町の狩人が力を合わせる。それは良い事だ。床々山の狸を一掃できるのであれば、どんな口実であれ、その加勢はありがたいことだ」

 六武太は太い顎を頷かせた。

「俺もそう思う。上手く事が運んで床々山を制すれば、今度は俺たちが他所の土地へ出向いてそこの狸を狩る。そういうのも、悪くはない。悪くはないんだが」

「それを天人が取り仕切るというのが気に食わない、だろう」

「おうよ。あいつらの理屈はもっともだが、素直に従う気になれない。で、どうするか話し合うためにここへ来た」

「でも、咲江さんは凄いですねえ」

 横合いから夢若屋が妙な事を言い出した。

「だって、私たちがここに来ることをちゃんと読んでいたじゃありませんか。ほら、このお粥の量に、お茶碗の数」

 そう言えばそうだ。咲江は二人が来る事を確信していたようだった。夢若屋の声が聞こえたに違いない、咲江が目で微笑みながら丈吉の隣へきて膝をついた。

「うふふ、種明かしは簡単ですよ。お二人が天人の話を聞けば、必ず丈吉様と話し合いに来られるだろうとわかっていましたから。ほら、これ」

 と、咲江が床に置いたのは、六武太が持ってきたのと同じ『降臨伝説』であった。

「おや、お前、いつの間にこんなものを貰って来たんだ」

「向こうから来たんですよ。わざわざ紅圭座の楽屋までお越しになって、一座の者全てに手渡していったんです。その時にお説法も散々聞かされましたよ。それについてお願いまでされまして」

「お願いってのは何だ」

「降臨の物語。それから天の神の教え。そうしたものを紅圭座で芝居にして、童子や文字の読めぬ人にも広く知らしめて欲しい、との事でした」

 丈吉は思わず、ううむと唸ったものである。

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