大伝 対 灯子 その後

 まただ。俺はいつも雄伝に勝てない。今も抵抗しているつもりでいるのに、灯子とやり合っていた時の半分も力が出ないのは何故だ。幼い頃から何度も挑んでは負けてきた記憶のせいだろうか。きっと、それもあるのだろう。だが他にも理由はあるような気もする。

 雄伝の泥の身体に担がれながら、大伝は煮える頭で考えた。

 灯子が目を伏せた時、俺は怒った。あいつが勝負を途中でやめ、決着を捨てたことに激怒した。しかし、それは本心からの怒りだったのだろうか。あのとき俺は本当は、失望していたのではないか。熱を上げた相手に顔を背けられて痛みを覚えたのではないか。だとすればあの怒りは、いたずらに感情を昂らせ、己の傷心を糊塗していただけに過ぎないのではないか。

 そうだ、認めなくてはならない。俺はあの女の心がわからず、傷んだ。

 あいつも、雄伝が止めるまでは、燃えていた。間違いなく俺とあいつの間で意地が絡み合っていたと今でも信じられる。雄伝が割り込んだ途端にその熱を消したのは何故だ。命じられたから大人しく従った……? そんな訳はない。あいつはそんな女ではない。気に食わなければ何にでも食ってかかる女だ。だから俺との決闘に名乗りを上げたのではないか。だとしたら、やはり、何故だ。

 いくら考えてもわからない。雄伝ならわかるのだろうか。雄伝、ああ、雄伝。そうか、雄伝は俺とその話をするために、酒を飲もうなどと言って連れ出したのか。そこまで考えていたというのか。

 大伝の口から溜息が漏れた。やはり、雄伝には敵わないのだ。

「もういい、雄伝。逃げたりしないからいい加減下ろしてくれ。自分で歩く」

「おう、そうしろ。お前も最近重くなったからな。そろそろ投げ出そうかと考えていた所だ」

「やめろ」

「ははは、冗談だ」

 雄伝はいつも笑っている。大伝が怒っても、逆らっても、ずっと上の方で朗らかに笑い抜かしている。大伝が本気で逆らえないのもそのせいかもしれない。

 ――変な話だ。俺は灯子という女の事を考えていたのに、気付けば雄伝の事を理解している。だが悪い気はしない。目に掛かっていた埃が取れたような気分だ。上等な酒をくれるというのなら貰ってやろう。今日はとことん、話を聞いてもらいたい。

「ところで、その酒ってのはどこにあるんだ。岩屋に置いてあるんじゃないのか」

「いいや、岩屋にはない。あの酒は涼しい場所に置いておくと風味が長持ちするそうだ。だから滝の畔にある小さな洞穴に隠しておいた」

 大伝は目を剥いた。雄伝は可笑しさを隠さない。

「そう、お前の寝床だ。あそこの土は冷たいからな。お前の留守中にちょいと仕込んでおいた。お前が気付いて飲んでいなけりゃ、まだそこにあるだろう」

 自分が眠っているすぐ下にそんなものがあろうなど、考えもしなかった。雄伝を越えようと気張り、土と一体になる術を磨いていたというのに、つくづく物が見えていない。大伝は腹立たしいのを通り越して呆れるばかりだった。

「ちくしょう、飲んでやる。全部飲んでやるぅ!」

「あっはっは。はっはっは!」

 分相応に間抜けな遠吠えは、雄伝の馬鹿笑いに搔き消された。


 その頃、広場では狸たちが様々な動きを見せていた。多くの者は猪の肉に夢中になり、今の決闘について感想を述べあっていた。北門山の薬狸が大伝の火傷を治療しようと申し出たが、他の狸たちから雄伝親分に任せておけと止められていた。

 灯子の周りには床々山の狸たちが群がった。特に若い女狸が多い。女たちは、灯子が山一番の暴れん坊である大伝と互角に渡り合ったことを口々に賞賛した。

 そんな中、当の灯子だけが、浮かない顔をしていた。宴が始まった時と同じように、物を見、受け答えもするが、情のこもらない取り澄ました態度に戻っていた。

 やがて、灯子の心を察した松角が、群がる女狸たちを押しのけた。

「灯子は疲れている。すまないが話はまた後だ。さあ、灯子、岩屋で少し休むといい。雄伝親分の心尽くしを有難く受けようじゃないか」

 この申し出は受け入れられた。松角は灯子をいとも大事に抱え上げ、岩屋の狭い割れ目をくぐった。ふたつの顔が寄ったとき、灯子は掠れた声でささやいた。

「ありがとう、松角」

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