大伝・4

 大伝が猪を担いで山頂に戻ってくると、程よく酒の回った広場では、狸たちの唄と囃子が披露されていた。


 どんころ どんころ とんとんとん

 どんころ どんころ とんとんとん

 親爺ガミガミ叱ったらぁ

 酒を食らって ずいずいずい

 酔って暴れて ぶいぶいぶい

 それ どんころ どんころ とんとんとん 

 ぶっ


 この唄は最初と最後の調子だけが決まっていて、真ん中の詩は歌う者が勝手に変えてもよいことになっている。そのため随分と出鱈目な唄や下品な唄も出来上がる。それでも、床々山の狸は当然として、北門山の狸たちも楽しんで出鱈目な振り付けで踊っていた。以外にも強面な松角が踊り好きらしく、わざわざ泥の身体を纏って豪快に手足を振り回している。そのどたり、どたりと重い足踏みが狸たちをどっと沸かせていた。

 わけても北門山の狸が驚嘆したのは、床々山が誇る老齢の屁狸、岩巴がんぱである。屁狸とはその名の通り屁をひる狸で、狸囃子の楽には欠かせぬ大事な音色、〆の『ぶっ』を担当する重大な役である。この音が締まらねば囃子も締まらぬ。年老いて、真の巌の如く堂々とした体躯の岩巴が放った屁の音は、北門山の狸たちも腹の底から興奮を掻き立てられるほど勇壮そのものであった。

 狸たちが盛るなか、大伝は素早く目を動かして灯子を探した。毛坐の死体を片付けた岩の台に、雄伝と灯子が並んで座っていた。灯子は酒を飲み、踊りをじっと眺めているが、その顔は少しも宴にはしゃいでいるようには見えない。何かが心に引っかかっているのだろうか。

 ――俺はここにいるぞ。

 大伝は猪を放り捨てて叫んだ。

「そりゃあ! 御馳走だぞ」

「いよっ、大伝、待っていた」

 狸たちが歓声を上げる。自ら獲物を狩りに行く狸は少ないが、誰かが獲ってきたものは何でも食べるのが狸というものだ。北門山の狸たちも前足を叩いて喜びを示した。

 灯子の目が大伝に向いたが、何も言ってこない。その反応を確かめて、大伝はさらに続けた。

「どうだ、この肉の取り分を賭けて、ひとつ勝負といこうじゃないか。床々山と北門山、それぞれの代表が組み合って、勝ったほうが肉を取る。どうだ、みんな」

 賛同の声が次々に上がった。

「良い考えだ、大伝」

 雄伝も頷き、杯を置いて立ち上がった。

「ついでにお前がその代表をやれ」

「おう、最初からそのつもりだぜ」

「だろうな。ほれ、毛坐の背骨だ。お前の姿が見えないからとっておいたぞ。食え」

 台を降りて歩み寄ってきた雄伝は鼻に骨の欠片を乗せており、大伝の足元で頭を振った。跳ね上がった骨を大伝は手で受け取り、口に入れた。素早くて小さい駆狸の背骨は、噛みもせずに喉の奥へ流しこめた。毛坐の駆ける姿が脳裏に浮かぶ。灯子が殺したわけではないが、毛坐の仇を取ってやるような気持ちも皆無という訳ではなかった。

「おうおう、床々山の! ぶあお!」

 突如、松角が叫んで、握り拳を空へ突き上げた。狸は元々吠える生き物ではないので、叫ぶと妙な音になるのである。

「ならば私が受けて立つぞ、大伝とやら。北門山の力を思い知らしてやる」

 そう宣言して拳を振り回すと、またも狸たちが熱気に沸いた。

「待て、松角」

 熱気を切り裂いて、灯子の鋭い命令が飛んだ。

「私が出る」

 来たな! 大伝はにやりと口の端を吊り上げた。

 もし灯子が出て来なかったら、こっちから挑発して引きずり出すつもりだったのだが、その必要もなかった。やはりこの女も内心すでに燃えていたのだ。俺と同じに。

 灯子が台を降りて歩み出た。それを見て床々山の狸たちがてんでに喚く。

「えらい別嬪だな」

「力狸かな」

「尻尾が妙な形をしているね。力狸じゃないみたいだ。おうい、大伝、気をつけろよ。よそ者に負けるな」

 灯子が力狸でない事は百も承知だ。だが、戦えるのは力狸だけとは限らない。松角が文句ひとつ言わずに大人しく引き下がった事からも、灯子の秘められた力が窺える。

 焚火の明かりが届く一角で、大伝と灯子が向き合った。狸たちが遠巻きにそれを囲む。石の台に飛び乗った雄伝が一同を見渡した。

「審判はこの雄伝が務めよう。双方、何をやっても構わん。存分に力を尽くして相手を打ち負かしてみよ」

 泥の身体から見下ろすと、灯子の姿はごく小さく見える。だが凄まじい目で睨み返してくる。これまで多くの狸と取っ組み合い、人間を食ってきたが、こんなに激しい炎を宿した目は初めてだった。頭は低いくせに自分を見下そうとしているような、不遜な目だった。

 だからこそ倒したい。この女に触れて、叩き潰して、俺の方が上だと示してやりたい。床々山を守るのは俺たちだけで十分だ。

 灯子も同じ想いであった。

 山の麓で出会って以来、大伝とは碌に口を利いていない。大伝が灯子に向けたのは、泡混じりの『女がっ』の一言だけだ。あの泡に言葉にならぬ言葉が包まれていたに違いない。それは何だ。あいつはこう言いたかったのではないか。

『援軍というのは女か。こんな奴が役に立つのか。いいや、役に立つわけがない。毛坐を死なせている。こいつは間抜けだ』

 大伝が自分に不満な態度を見せつけるのはそのためだ。と、灯子にはそう思えて仕方がない。その不満をはっきりと言葉に出してこない事が余計に気に障る。

 ――だからこそ倒したい。この男を下して、ひれ伏させて、私の方が上だと示してやりたい。北門山の狸の意地を見せてやる。

 焚火よりも赤熱した視線が上と下から絡み合い、その線に引かれるかの如くふたつの距離が縮まっていく。狸たちが野次を止めて息を飲む。雄伝も気を利かす。たっぷりと間を置いて、緊張の最も高まった瞬間に声を張り上げた。

「始めっ」

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