第2話

「ちょっと足りないなあ」

 教授が、A4用紙に印刷されたレポートを流し見ながら言った。僕はその言葉にぎくりとしてしまう。表情こそ変えないけれど、心中では冷や汗が流れる。

「足りない、ってなにが足りないですか?」

「文量。内容」

 手の甲で紙を叩きながら、中年の教授が言う。

「手抜きでレポート書いてちゃだめだよ。みんなちゃんとしてるんだからさ。君だけだよ、こんなの」

 呆れたような口ぶりで教授が言う。

 クラスの友人たちが聞いている前でこんなことを言われるのは、正直耐え難い屈辱だった。なにが悪いかと言われれば、僕がギリギリまでレポートに手を付けず、更には最後の最後で手を抜いて仕上げてしまったのが悪いのだけれど。

「すいません……」

「こういうのが続くようだと、あんまりいい成績はあげられないからね。次からは気をつけて」

 一応、渋々ながらもレポート自体は受け取ってもらえた。僕は浅く頭を下げてから、自分の席に戻る。

「災難だったねえ」

 花島が前の席から、体を回転させて言った。僕はため息をつきながら頷く。彼女とは、今のゼミナールが同じになってから話すようになった。ショートの髪を濃い茶色に染めて、首には黒いチョーカーが巻かれたファッショナブルな女の子である。僕が普段接点を持つタイプの人種ではないのだけれど、彼女の明るさはからっとしていて、陰気な僕からしてもとても接しやすい。

「浅井のレポートも他のやつらのレポートと大して差はないのにね。散々微妙なレポート見たあとだったから、先生も機嫌悪かったんだろうね」

 花島は軽そうな見た目をしている割に、こういう人間の機微を見る能力に関して、たまにはっとするようなところを見せる。

 僕はなるほどと頷いた。

「その癇癪に振り回される学生としては、たまったもんじゃないな」

「ほんとにね。興味もない分野の勉強してさ。あたしたち単位さえ貰えればそれでいいんだけどね」

 花島が言うように、僕も自分の入っている学部で学ぶことにほとんど興味がなく、いかに楽に単位を取得するかということに苦心する凡百の大学生だった。彼女の言葉に同意していると横から、

「そんなこと言ってちゃだめだよ」

 とユウキがたしなめるように言う。

 たった今、レポートを提出してきたらしいユウキは僕と花島の意識の低い言動に苦笑していた。

「まあ、ユウキは真面目だしね」

 と言いながら、花島は頭をかいている。僕もなんとなくばつが悪くなる。

「そんなことないよ。花島さんと浅井くんが不真面目なだけ」

「あ、ひどいなあ」

 ユウキと花島が話す姿は、どこかちぐはぐな感じがする。かたや花島は、染めた髪にパンクなファッション。耳にピアスの穴まであけている垢抜けた少女だ。対してユウキは一度も染めたことのない黒髪をまっすぐ背中まで伸ばしている。服装も清楚系のもので、見る人が見ると地味に映るかもしれない。

 そんな二人が和気藹々と話をする様子は、さっきも思ったとおりどこかちぐはぐな印象なのだけれども、じっと見ていると妙にしっくりくるような気もする。

 ぼうっとそんなことを考えていると、花島が話を振ってきた。僕は二人の会話の内容をまったく聞いていなかったので、

「え? なに?」

 と聞き返してしまう。

 そんな僕を見て、花島とユウキははあ、と二人してため息をつくのだった。

「浅井ってさ、ぼうっとしてて、たまに浮世離れしてるところがあるよね」

 その言葉にユウキまでもが「うん。わたしもそう思う」と同意してしまう。

「いや、ちょっと考え事してただけだよ」

「考え事?」

「なにを考えてたの?」

「花島とユウキって、真逆の人種に見えるのにすごく仲がいいなあって」

 僕が言うと、二人はお互い見つめ合い、あははと笑う。

「そりゃ、あたしらズッ友だから」

 と花島。

「う、うん。そうだね」

 ユウキも追従する。

 僕は白けた顔で言う。

「なんだか薄っぺらい言葉だ」

「ひどっ」

 僕たちが雑談に興じているあいだにレポートのチェックは終わり、授業が始まった。授業中、僕は頬杖をついて半目になっていたし、花島は机の下で携帯をいじっていた。僕らの中で、ユウキだけが真面目に授業を聞いていた。




 授業が終わったあとに大学近くの安い食堂で三人、晩御飯を食べた。

 授業終わりのこの時間帯は、大体いつも混んでいて入店に難儀するのだけれど、今日は授業が少し早く終わったため、他の授業終わりの学生と時間的なブッキングがなくスムーズに席につくことができた。

 最近は僕、ユウキ、花島の三人でいることが多く、休日にも一緒に出かけたりする。正直、ユウキも僕もあまり派手な人間ではないので、ここに花島がやってくると彼女は若干浮くことになるのだけど、そんなことは気にせんと言ったふうにいつもぎゃははと笑っている。

 僕たちの雑談は大抵、取り留めもないどうでもいいことに終始した。あの教授がどうだとか、最近好きなバンドがどうだとか、あのテレビが面白かっただとか、中学生が教室でするような話ばかりするのである。それというのも、基本的に花島が会話を回してくれていて、その内容もどうしても花島の話したいことに傾いていく。最近気づいたのだけれど、花島は身長が子どものように小さいのだけでなく、話の内容もどこか幼いところがあるのだ。無邪気と言っていい。そんな彼女がときおり見せる鋭い一面には、恐れのような思いもあるが、基本的には話していて飽きない女の子である。僕も別に、政治やスキャンダル、勉学について意見を交わしたいなんてことはまったくないのである。

 あるとき、花島がこんなことを言い出したことがあった。

「あたしがずっといたら、浅井とユウキの邪魔になるし、今日から一人で帰るね」

 と並んで歩いているときにぽつりと言うのである。

 そのときは僕はともかく、ユウキが焦ったように言った。

「そんなことないよ。花島さんがいるとわたしたち楽しいよ。ね、浅井くん」

「そうだね。別に花島がいて迷惑なんてことはないし、一緒に帰ろうよ」

 僕たちが言うと、

「そっか! そうするね!」

 などとからっと言うのである。

 僕はこのとき、彼女のことが更にわからなくなったのだけれど、ユウキはほっと息をついていた。

 そんなことを思い出していると、どうやらまた二人の会話からおいてけぼりを食らっていたらしかった。

 それをネタにしてまた盛り上がる二人につっこみを入れながら、僕たちは帰路についた。三人別々の方角に歩いていく。

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