果実 (短編)

うちやまだあつろう

果実

 庭に植えてあるリンゴの木に、赤い果実が一つなった。博士は庭を眺めながら、その果実をスケッチする。

 このスケッチは、もう何枚目になるだろうか。日を追う毎に大きくなっていく果実を見るのは、博士に楽しみでもあった。

 しかし、それも今日で終わりである。というのも、博士はその赤い果実を見ていると、沸き上がってくる食欲に耐えられなくなったのだ。

 つま先立ちしてなんとかもぎ取ると、それにかぶりついた。味は悪いが、食べられないこともない。逆にこの酸味が食欲をそそるような気がしないでもなかった。


「あれ、食べちゃったんですか?」


 後ろから男に声をかけられる。


「私は本能に従う人間なのでね。つい食欲のままに食べてしまった。」

「まぁ、腐らせるわけにもいかないですからね。さ、そろそろ研修室行きましょう。」

「もうそんな時間か。」


 この男は、博士の助手である。毎朝、博士の家に迎えに来てくれることになっていた。

 博士は車に乗り込むと、助手の運転でX大学の研究室まで向かった。


 博士は研究室に着くと、ラジオをつけた。十時を告げる時報の後に、いつもの番組が始まる。


『……さて、今回のテーマは、我々の住む地球よりも、計り知れないほど大きい「宇宙」についての話題です……』


 これは、科学に関する情報を届けてくれる番組である。毎回、様々な研究を噛み砕いて説明してくれるので、他分野のことでも詳しくなった気分にさせてくれるのだ。


『……「宇宙」。それは、我々の想像を遥かに越える大きさをしています。しかし、最近では、宇宙は少しずつ大きくなっており、そしていつかは縮んでしまうのではないか、という説があるのをご存じでしょうか……』


 これを聞いていた助手が、ふと呟いた。


「風船みたいですね。」


 しかし、博士はこれを即座に否定する。


「風船は膨らんだ後に破裂するじゃないか。破裂を縮むとは言わんだろう。」

「それなら、なんでしょうね。」

「そうだな、例えば……。」


 博士は今朝描いたスケッチを思い出した。


「果実、だろうなぁ。」

「成る程。すると、星は種子でしょうか?」

「さぁ。わからんね。」


 博士はそう言って立ち上がると、現在開発中の装置を眺めた。

 この装置は転送装置。物質を粒子化し、違う場所へと転送して再生成する、いわばテレポーテーションの装置である。これが成功すれば、人々の生活は格段に豊かになり、博士の名前は歴史に残ることになるだろう。

 博士は装置の窓を開けると、中に木製の玩具を放り込んだ。助手は装置に繋がれたコンピュータをカタカタと打ち始める。

 すると、その玩具はサラサラと粉のようになり、やがてその姿はなくなった。すぐさま博士がガラスで囲まれた小さな箱を覗くと、そこには先程の玩具が置いてある。

 その結果を見て、博士は満足げに頷いた。


「よしよし。さ、今回の目玉だ。」


 博士は一匹のマウスを装置に放り込んだ。再び、助手がコンピュータを弄る。

 先程と同じようにマウスは霧散したかと思えば、ガラスケースの中に封じ込められていた。


「成功ですね!」

「これで、生物の移動ができると証明できた!」

「これで発表できますね!」


 しかし、そこで博士にある考えが過った。

 もしも、何かがある空間に転移したら?物質が置き換わるのだろうか。そうだとすれば、置き換わった物質はどこへ?

 気になってしまえば、確かめるしかない。

 博士は小さなコンクリート片を持ってきた。マウスを装置に放り込むと、転送先をコンクリート片の中に設定する。

 助手が恐る恐るコンピュータを叩く。

 次第にマウスは分解され、遂には消えてなくなってしまった。


「さぁ!どうだ?」


 博士はハンマーを持ってくると、コンクリートを叩き割った。

 しかし、不思議なことに、そこには毛一本落ちていない。


「ならば。」


 博士は転送先を地下深くに設定すると、自ら装置に入った。


「博士!危険ですよ!」

「構わん。やれ。」

「ですが!」

「私は好奇心に生きてきた。それで死ぬのなら本望だよ。」


 その後も説得したが、博士の意思は固いらしい。助手は重い手でコンピュータを打つと、シャベルを握りしめた。


 手の先と爪先から感覚が無くなっていく。体の分解には、不思議と痛みはなかった。そんなことよりも、博士は自らの行き先が気になってしょうがないのである。

 そして、博士の意識はサラサラと消えた。


 ◇◇◇


 博士が目を覚ますと、そこは芝生だった。

 ぼやけた目を擦ってみると、どこかの庭らしい。隅に植えられた一本の木には、黒色の果実がなっていた。

 横を一匹のマウスが走り抜けていく。


「なるほど、私は地下に飛んだが、そこにある物質によって違う場所か、違う次元に跳ね飛ばされたということか。」


 博士の天才的頭脳は、その実力を遺憾なく発揮した。だが、この天才は本能には逆らうことができないようになっている。

 先ほど見た黒い果実に、再び目を奪われた。あれを見ると、どうにも食欲が止まらなくなる。

 博士は思わず背伸びして、それをもいだ。

 この果実の名前は知らないが、香りは良い。庭に生やすのだから、毒ではないに違いない。

 博士は一口、それを食べた。


「なんだこれは!」


 止まらない。博士は一分もかからずに、全て食べ終えてしまった。

 そこへ、一人の男が声をかける。


「おや、それ食べてしまったのですか?」

「誰だお前は?」

「一般人ですよ。ただ、私はその木を苗木から育てました。」

「何が言いたい?」

「君にとっては神かもしれませんね。」

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果実 (短編) うちやまだあつろう @uchi-atsu

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