第92話 帰省

 ガタガタと鳴り響く車輪の音。一度修理を入れたのに偶に軋む音がする。

 車内の全員も、馬車を引く馬も、同様にぐったりとして、疲労が生物無機物問わず見て取れる。

 俺の出した決死の作戦を見事達成し、ようやっと西都へと近づき、溜まりに溜まった疲労が全身から溢れ出していた。


 俺の出した作戦とは、前後の群れ同士を衝突させるというものだった。

 クルサスには、群れ全体の進行方向を統一しようとする習性がある。それを利用して、真逆の進行方向の群れ同士を衝突、一つの群れに混同させることで、一時的に群れ全体が停止することに賭けたのだ。

《ロックラッシュ》を巧みに操り、直線状の道を形成して俺たちの通路を作りつつ、前方のクルサスの群れを分断。作り上げた通路を駆け抜ける合間に、群れ同士が衝突し、全体が混乱状態になった。

 そうして群れの大疾走を妨害している隙に、町側に《ロックラッシュ》で壁を作っておいた。これで群れがこちらに来ることはないだろう。


 群れを切り抜けたところで、王都寄りの町村を通過。すると再び街道に出て、それを抜ければ西部の中心、西都である。

 そんな街道の一角で、疲弊し摩耗した精神を休めながら、緩やかに進んでいた。日が傾き始め、もうじき夕刻となる。だがクルサスの影響で大分馬を飛ばしたので、今晩遅くには到着できるようだ。

 この辺りの街道では、特に危険のある動物はおらず、羊やらの放牧や農業が行われている。そのため人の目も多く、休息を取るには絶好の場と言える。

 油断こそ皆していないが、これまでの精神的な疲労から、緊張はほとんどなかった。むしろ、緊張するほどの精神力が残っていなかったと言った方が正しいか。揃って肩の力は抜けていた。


「酷い目にあった……。アルーゼの機転と魔法がなかったら大変なことになっていたよ」

「特別奇策を弄した覚えはないんだが……。例年はあの街道は使ってるのか?」


 俺の問いかけに、兄さんは首を横に振る。


「そんなことはないよ。毎年この辺りはクルサスが出現するからね。南部経由の街道で行き来する。ただ、今回は急ぎで呼ばれたから、最短距離であるあそこを使う羽目になったんだよ」

「なるほど。そういう訳か」


 クルサスの大疾走は、厄介なことに俺たちの事情とは無関係。

 自然なので当たり前だが、対応には気をつけなければならない。種の絶滅は、生態系そのものを根底から壊すことに繋がるからな。

 なかなかハードな強行軍によって若干軋む馬車の窓から、微風が頰を撫でていく。ガラガラという車輪の音に混じって、時折小鳥の囀りが耳を擽るので、気分が穏やかになる。

 ふと、特に意識しないでいると、思わず欠伸が漏れ出た。目尻に微かに涙がたまる。情けない眠気を帯びた声を聞いてか、兄さんが俺に声をかけてきた。


「少し眠ったらどうだい? この辺りは危険も少ないし、お前も大分疲労がたまってるだろ?」

「ん……そうだな。折角だから、初夏の陽気を浴びながら昼寝させてもらってもいいか?」

「勿論だよ。お休み、アルーゼ」


 眠気に根負けし、昼寝を申請すると、兄さんはにこやかにそれを認めてくれた。

 兄としてなのか、微笑ましいものと認識されているのか……何にせよ、危険が迫れば即座に目を覚ませるようにしてある。当面問題はないだろう。


「んじゃ、お休みー……」


 席に座って壁に横たわり、腕を組む。寝転がる以外の体勢で、俺の一番眠りやすい体勢だ。

 即座に、溜まった疲労が溢れてきて、意識が薄れ始める。そのまま目を閉じると、眠気と共に暗闇の中に意識を引き込まれていった。


     ——————————


 思考が始まる。視界は未だ暗いまま、頭だけが回転を始める。覚醒の兆候。

 状況を理解し、目蓋を開くと、既に斜陽が空を茜色に染めていた。正面寄りに地平線に到達し、没し始めている。住宅からは仄かな灯りが溢れ始め、迫る夜への支度を始めていた。

 街道を通り抜け、通りの人口も増え出したのは、ようやっと西都に近づいてきた証拠だ。周囲の住宅が少しずつ増え始め、人口密度も上がっていく。黄昏時とはいえ、人通りが増えるのは、民家が増えてきたからであろう。

 そういえば、この世界には集合住宅と呼べるものがない。耐震構造の計算については既に一度行っているので、そういった大型建築物にも挑戦してみようか。

 くるりと首を回すと、兄さんが窓から外を眺めていた。向かい側に対面するように座る父さんは、頬杖をついて眠っている。何故、馬車の揺れで体勢が崩れないのかは謎だ。

 微かな衣擦れで俺が起きたことに気付いた兄さんが、こちらに顔を向け、目が合う。


「おはよう。目覚めは快適かい?」

「少し凝ったくらいだな。兄さんはずっと起きてたのか?」

「まあね。外の景色は好きだから、ずっと眺めていられるんだ」


 そう言って、兄さんは再び窓の先に目を向ける。


「ほら。野鳥駆ける無人の草原から、長閑のどかで草花が青々と茂る耕作地帯。次第に人の数が増え、民家が増え、やがて民家は密集する。まるで人の営みのようじゃないか?」


 虚言そらごとのように紡がれた言葉には、静かな感動が見え隠れしていた。

 俺は何も口を開かなかった。兄さんが余韻に浸る時間を、妨げることになるからだ。

 その後は誰一人として口を開くことなく、静かに車輪の地を駆ける音だけが、馬車の中を彩っていた。暫くすると父さんも目を覚ましたが、やはり声を上げることはなかった。

 暫く静寂のなか体を揺らしていると、段々と外が騒がしくなってきた。夕陽はほとんど地平線に隠れ、魔灯と呼ばれる街灯が街を照らし出す。

 西部の中央部、西都に到着したのだ。

 六年の長旅から帰ってきてから早数日、俺の研究所ラボを入手したことでまた離れ——を繰り返した、俺の実家。そこはこの街の中心に存在している。

 気候は穏やかで、農業に適した環境だが、多くの森林に囲まれているわけではない。西都からさらに南西に進んだ先にあるクレヴィー平原など、草原地帯が多いのが特徴である。

 エインフェルト邸に着いたのは、完全に夜の帳の下りた後。かなりの敷地面積があるうえ、民家もあまり無いため人通りは少なめだ。

 馬車が止まる。御者が先に馬車から降り、馬車の扉を開いた。兄さん、父さん、俺の順で降りていく。

 門の前では、母さんとセフィアさんが待っていた。降り立った兄さんに声をかけている。


「お帰りなさい。随分と早かったわね。帰宅は明日以降になるって聞いていたけれど」

「それが、帰路の途中でクルサスの大群に遭遇してね。大疾走に巻き込まれたんだよ。お陰で馬車の汚れはこの様さ」

「え、大丈夫でしたか!? 怪我などはありませんか!?」


 鬼気迫る表情のセフィアさん。見せつけてくれるじゃないか。ふざけるな畜生。

 そんな彼女を抑えながら、兄さんが答える。


「心配ないよ。アイツがいたから、危険だったけど何とか突破できたしね」

「アイツ、とは?」


 セフィアさんが疑問を呈す。俺は登場のタイミングを感じ取った。


「そんなの、勿論——」

「俺以外に誰がいるってんですか、セフィア義姉ねえさん」


 聞き慣れない表現に、思わず兄さんまでこちらを振り返った。

 軽快に降り立った俺の姿に、二人は目を見開く。特にセフィアさんは、俺の口にした言葉にも驚いた様子を見せる。

 一方の母さんは、流石に俺に驚かされることにも慣れたのか、すぐに柔和な微笑みを浮かべた。


「お帰り。随分と早い帰省ね」

「生憎とな。暫くの間だけ世話になる」


 俺は端的に、帰省した理由について説明した。

 その理由は、王都よりも自由に動きやすいというのが一番の理由だ。物が集まりやすいのは確かに王都の方だろうが、今回は数日後に控えている、とある実地調査のための準備だ。

 俺の研究所ラボは、研究所であって作業場ではない。薬品の制作にしろ、旅支度にせよ、数日間はひっきりなしに動き回ることとなる。

 そしてここで過ごすことの一番の利点は、衣食住のうち、「衣」と「食」について心配することがないからだ。それらを整え、用意する時間も準備に避ける上、単純に楽。

 他にも諸々の理由はあるが、それは別に大したものではない。いずれにせよ、こちらの方がやれることが多いからだ。

 まあ、必要に応じて研究所ラボに戻ることはあるだろう。最近習得した空間間跳躍魔法、《テレポート》があるからな。

 まあ、暫くは帰らないだろう。特に急ぎの用事もないからな。

 説明を聞き終えると、母さんは待機していたメイド長に声をかけた。


「貴女たち、今日からは少し仕事が増えるけれど、よろしくお願いね?」

「勿論です。万事お任せあれ」


 フランが丁寧に礼をし、他のメイドたちに指示を飛ばす。その中には、俺の専属だったエリンの姿もある。彼女は俺の視線に気付き、小さく頭を下げると、忙しそうに屋敷の中に戻っていった。


 御者が丁寧に馬車を片付けていたとき、突如母さんが声をかけてきた。


「ねえ、アルーゼ?」

「ん、どうした、母さん?」


 不審そうに辺りを見回しながら、口にするか少々躊躇った様子を見せる。しかしすぐにその表情を変え、俺の目を真っ直ぐ見て言った。


「クレアちゃんは?」

「……………………ヤベ」


 この後、何故か当人ではなく母さんとセフィアさんにこってりと説教される羽目になった。説教を受けるのは初めてであったが、特に何か反論できることもなかった俺が、静かに耳を傾けることしかできなかったのは、別の話。

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