第66話 動く悪意

「と、言う訳で、どうにか貰ってきたよ。それはもう、血と汗と涙で塗れた——」

「あぁはいはい。そういうのいいから。取り敢えずご苦労さん。責任や代価はそっち負担で宜しくな」

「扱いがあまりに杜撰だね!?」


 深夜の学舎にクレイウスの絶叫が響いているのは、労いとか特にどうでもいい俺の反応の薄さが原因である。勿論、自覚した上で塩対応をしているので、間違ってはいけない。

 そしてその様子を、同じく塩対応で蔑視しながら後ろに控えているのは、俺が《奴隷紋》を解呪してやったイデア。相変わらず無口というか、あまり口を開かないのだが、心なしか、顔に光が宿ったような気がする。もしそうなら嬉しい話だな。

 数日前から、別件で王宮に向かっていたクレイウスは、俺との契約によって、公爵家の誇りとも呼べる「大魔法」の魔法の写しを手に入れた。

 俺たちが城下街に出向いた帰りに、同じく帰ってきていたクレイウスに呼ばれ、こうして会合しているのだ。

 俺の手元には、クレイウスの集めてきた大魔法の魔法式が描かれた紙が三枚。公爵家にはそれぞれ大魔法があるので、四つの内、エインフェルトの大魔法は俺自身の手で入手が可能だった。

 だからこそ、他の公爵本人との交渉はこの男に任せ、俺は先行して入手していたエインフェルトの大魔法の研究に勤しんでいた。


 大魔法とは、文字通り規格外の能力を持った魔法のことだ。

 魔法式の特徴は、非常に複雑な方陣と、更に特殊な魔法文字で構成されていること。既存の階梯魔法とは、明らかに式自体の持つ情報量が異なっている。

 クレオ兄さんから聞いた話によると、どうやら大魔法は、人類でたった一人しか使うことができないようだ。一つの大魔法を使えるのは、一人しかいないということである。

 その理由は、兄さん曰く「選ばれるから」。なんでも、魔法式自体に何かが住みついていて、その魔法の使い手を選択しているらしい。

 それなのにどうして俺が大魔法の魔法式を集めているかと言われると、諸々の事情があるのだが——今は閑話休題置いておこう

 とにかく、これで全ての大魔法の魔法式が俺の手元に集まった訳で。


(これでようやっと、アレ・・に取り掛かれるな……!)


 内心は、やりたいことができそうであるということにとても興奮していた。

 そして、俺が何をしようとしているのか露ほども知らないクレイウスは、終始首を傾げていた。

 渡された写しを《アポーツ》にて研究所に送り、出された紅茶を啜る。イデアが淹れたというこの紅茶、実際かなりの腕前である。豊潤な香りがしっかりと出ていて、俺には真似できない腕前だ。密かに対抗意識を燃やしていたりする。

 ちなみに余談だが、俺はコーヒーを淹れるのはかなりの腕があると自負している。会社の上司にその腕前を褒められ、距離が近くなったという少し懐かしい思い出があるくらいだ。

 対面のソファに座り、紅茶を啜るクレイウスを横目に、彼の部屋を見回す。

 よく分からないインテリアの集まりのような部屋だが、キチンと清掃が行き届いている。イデアの掃除の技術が成長した証拠だ。

 時計が針を打ち、秒を刻み続ける。穏やかな春の夜に、これほど優雅な時間を堪能できるのは嬉しいことだな。

 少しすると、堪能したのか紅茶のカップを置いた。


「そういえば、王宮騎士団と魔法士団の同時演習の話は知っているかい?」

「いや、よくは知らないが。それがどうかしたのか?」


 不意にかけられた言葉に、俺は疑問で返す。クレイウスはそんなこと大して気にもせず、淡々と続ける。


「今回の合同演習なんだけどね、北方の、クライス家の領地跡で行われることになっているんだ」

「ほー」


 クライス家とは、イレーナ姉さんをアバズレのレッテルと借金まで吹っかけて送り返した、サイラス・クライスの家だ。その後、クレオ兄さんの交渉(交渉内容は聞かされていない)によって、借金を撤回して逃亡した一族でもある。


「俺としては、ザマァ見ろって感じだが。それがどうかしたのか?」

「よく出来ている、とは思わないかい?」


 クレイウスが俺に問いかける。

 そんなことを聞かれても、俺にしてみればよく分からないのだが……ん?


「……一つ聞かせてくれ。もしかして、クライス家ってのは反王派の貴族か?」

「よく気がついたね。その通り。反王派の貴族が治めていた大地が、軍事演習に適した場所であったこと。そしてそこで、王宮を守る騎士団と魔法士団の合同演習が行われる」

「そこまで聞くと、俺には関係ないはずなのにきな臭くなるな。これも、お前のが写したのか?」

「さあ、どうだろうね」


 相変わらず、肝心なところは誤魔化すやつだ。だが、お陰で嫌な推測も出来た。

 反王派とは、文字通り王政に対する反対組織だ。しかし反対派は諸貴族共の集まりで、民間人に関してはほとんど関わっていない。

 仮に民間人の政治革命だった場合、俺は反王派に着いただろうが、貴族達の反王派では意味がない。

 現王、グランベルド・フォン・フレイヴィールは、初めて実力主義の風潮を取り入れた革新的な王だ。

 そのため、血統主義を誇る下級貴族達から圧倒的な顰蹙を受け、同時に平民からも多数の人材を取り入れており、民間人からの支持率は健在である。

 それがまた、諸貴族からすれば面白くないわけで。そうして更に不満が重なっていった。

 その結果生まれたのが、現王の退去を求める貴族集団、通称反王派。二十年ほど前から組織され、初期はかなり過激なこともしていたと聞く。

 ちなみにこの実力主義の風潮は、上級貴族達からは多くの支持を受けている。何せ、彼らは実力も同時に兼ね備えているので、むしろ評判が上がりやすいのだ。

 口を悪く言えば、社会の流れについて行けなかったはぐれ者の僻みのようなものである。


「そして何より疑問なのは」

「反王派の貴族が、どうして王族に近い公爵家に近づいたのか、か。普通に考えれば、内偵が目的に思うが……詳しいことは分からんな」

「その辺りも踏まえて、警戒しておいた方がいいだろうね」


 今回は素直に、その忠告を受け取っておくことにした。厄介なことに、もし面倒ごとであれば、間違い無く俺は巻き込まれるからな。

 紅茶を飲み終え、彼の下を去ろうとした時、唐突に呼び止められた。


「あ、そういえば君に、伝えておくことがあったんだ」

「ん、なんだよ、珍しいな」


 本当に、俺に伝言がある奴なんてあまりいない。それにクレイウスを経由に使う人間も、またいない。

 それだけに、違和感を隠せなかった俺は、つい足を止めてしまう。


「明後日、君の二回目の授業の時間だがね、校外からとある客人が来ることになっているから、忘れずにね」

「……誰だよ、ソイツは」


 俺への客人とは言わないところから、何か不穏な気配を感じるも、聞き返す。

 だがクレイウスは、人当たりの悪い顔で微笑むばかりで、俺の質問に答えない。あくまでもお楽しみに、ということか。

 コイツの真意だけは全く読み取れない。常に飄々として、あらゆる追跡をのらりくらりと躱す男。敵意は一切無いのに常に射抜かれているような、独特な危機感を覚える。その癖、四大公爵家相手の交渉すら平然とこなしてしまう実力。

 ある意味、最も信用できる男だ。常に上辺だけで生きている故に、本心では決して動かない。少なくとも、俺の中での評価はそんなところだ。


「まあ、注意しておくよ。それじゃあな」

「あぁ待って、もう一つ。君に二つ、言伝がある」


 そういうと、執務机の引き出しから一枚の紙を取り出す。それを半分に折り畳むと、立ち上がって俺の元へと近づき、紙を渡しながら口にした。

 俺はそれを聞いてから、紙を受け取る。真意は臆りかねないが、受け取っておくことにしよう。


「それじゃあ、明後日を期待せずに待っているよ」

「そうしてくれたまえ、未だ若き《大魔導》君」


     ——————————


 薄暗い部屋に、蝋燭の小さな灯火が光る。チロチロと燃える炎は、薄明るく周囲を照らし、その部屋の主人に影を差す。

 人影は、今宵の新月を窓から眺めている。頬は窶れ、目は荒み、口元には凶笑を浮かべている。黒いローブで身を包み、その時を今か今かと首を伸ばして待っている。

 するとその時、部屋の扉にノックの音が鳴り響く。独特のテンポでリズムを刻み、それが暗号であることがよく分かる。


「入れ」

「失礼します。例のものを、お持ちしました」


 入ってきたのは、黒尽くめの仮面の男。目元を隠す小さめの仮面に隠れた瞳には、畏敬の念が宿っている。

 男は、差し出された古い木箱に貼られた封を剥がしていく。埃が被り、剥がす度に埃が舞うが、男が気にする素振りはない。もはや、その箱の中身に夢中なのだ。

 全ての呪符を外し、木箱を開けると、黒光りする一本の短剣が現れる。否、それは短剣ではなく、異形のナイフだ。鍔には赤く光る宝石が埋め込まれ、刀身は蝋燭の灯火を反射して仄かに紅く輝く。

 それを見て、男の凶笑が深まる。残忍な笑みはその顔を隠す黒いフードから零れ、狂気の声が聞こえてくる。


「クヒヒ……クハハ……アハハハハ!! これだ……これが、俺の探していたものだ!」

「はっ。殿下のお役にたて、恐悦至極にございます」

「……アァ?」


 仮面の男が、男を崇拝するように礼をする。だが、それを聞いた男は、ギロリと仮面の男を睨む。そして愉快そうに口を開いた。


「おい、アーゲン……。今の俺は最高に気分がいい。そしてコイツを見つけたことを踏まえ、今のは水に流そう」

「ひっ! 申し訳ございません、陛下・・

「それでいい」


 アーゲンと呼ばれた男は、これより数日後に起こる悲劇を想像し、身を震わせる。なぜなら、仕える主君が用いようとしている力は、あまりに非人道的で、躊躇のないものだから。


(あぁ、残念でなりません。ですが、彼と関わったこと。それだけが悪かったのです)


 そんなアーゲンの思いとは裏腹に、男の凶笑はまさに狂気に満ち溢れていた。

 腕を広げ、月なき夜空に向けて高らかに宣言する。


「さあ、舞台は整った。この力で、今度こそ、貴様を屠ってやろう……アルーゼ・エインフェルト!!!」

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