第65話 掘り出し物
内装は流石に使われているので清掃が行き届いていた。敷地の庭は雑草を取り除いていて、子供たちの格好の遊び場となっている。
芋と野菜と少しの干し肉の入ったシチューを子供たちと平らげたクレアが、今は遊び相手として広場を駆け合っている。
俺たち成人組(クレアはノーカン)は、そんな無邪気な姿を見納めながら、薄めの紅茶を飲んでいる。
何故優雅に過ごしているかと言われれば、シスター二人から少し話がしたいと言われたからだ。
「改めまして。私はバンクシア。教会より、シスターとしての地位を与えられている者です。そしてこの子が」
「同じくシスターで、アリアと呼ばれております。よろしくお願いします」
最初とは打って変わって丁寧な言葉で自己紹介する二人に、アイリスが声をかける。
「そんな怯えなくていいですよ。私はアイリス・リーンエイス。よろしくお願いしますね、シスター・バンクシアさんにシスター・アリアさん」
アイリスの社交性が遺憾なく発揮されている。彼女の元気な笑顔と優しい言葉遣いは、聞く人の心を絆してしまう。
一時期小耳に挟んだ噂話だが、彼女には「社交界の荊」という異名が付いているらしい。俺からすれば、荊と呼ばれるほどの毒は持っていないように見えるのだが、人は一面だけではないらしい。
というか俺は、普段から適当な扱いを受けているけどな!
そして二人のシスターはと言うと。
「サレーネ・クレスハウルです。私もよろしくお願いしますね」
「ええ、もちろん。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
バンクシアはサレーネと握手を交わし、アリアはアイリスと談笑中と、全く驚かなかった。
どうやら俺との遭遇のインパクトが想像以上に大きかったらしい。二人にはさほど驚いた様子がない。地味に傷付く。
そんな様子を見ながら、俺は話を切り出した。
「それで? アンタらの話ってのは?」
「ああ、失礼しました。先程は、子供たちを助けていただいたということで。ありがとうございました」
丁寧に深々とお辞儀する。
別に俺たちは、感謝されるほどのことをした覚えはない。当然のことをしただけだ。
とは素直に言えないのが俺であって。
「別に気にする事はない。偶然が重なった結果なんだ。礼を受ける必要はねぇよ」
「でしたら、これは私たちからの贈答品と言うことで如何でしょう」
バンクシアは手早く言葉を変えると、一冊の古書を机に置いた。
埃も被って紙も色褪せ、金で書かれたタイトルも剥がれかけている。そして何よりも、この本にはとある特徴があった。
「この本の文字、読めないぞ」
「この孤児院の地下倉庫の奥の方に埋もれていたものでして。質屋に出そうかと思っていたら、丁度よくお越しくださったので、折角なら、と思いまして」
そう、タイトルの僅かに残っている読める文字。だがそれが見たことのないものなのだ。文字と分かるのは、それが本のタイトルを記したものであると分かるからだ。
魔法文字ともまた違う。日本語でもなく、レヴィアス語でもない。俺の見たことのない文字。
「それで、何故これを俺に?」
「アルーゼ様は以前、魔法文字を解読したことがあるそうで。この本も、もしかすれば貴方にとって有用な資料になるかもと、アリアが言い出しまして」
話の方向が自分に向いたのに気づき、アリアは小さく頷いた。
なるほど、確かに悪くない。実のところ、古書や古文書などは最近集め始めていたのだ。
というのも、一つの疑問に辿り着いたからである。
天地創造神話アヴァニムス。これに描かれる伝説の龍、《命護龍》ゼルクレアが実在したこと。
ならばもしかしたら、アヴァニムスは神話ではなく史実なのかもしれないと感じたのだ。であれば、この世界は一度、滅びているという可能性がある。
また、それが事実であるのなら、俺が転生した理由に至れるかもしれないという、ある種の直感を感じたのだ。
アヴァニムスは、この世界を知る鍵になるかもしれない。そしてそういう事は、古文書などに文献があることもある。だからこそ、最近蒐集し始めた。
もしかしたらこれは、かなり貴重な資料になるかもしれないな。
「そういうことなら貰い受けよう。だが、俺は贈答品といった賄賂のような事は好きじゃなくてな。キッチリ購入させてもらう」
《アポーツ》で領収書を手元に持ってくる。職業柄、大きな買い物が多い俺は、実は契約書と領収書を常備している。
まあ、これを勧めたのは兄さんだ。西部を預かるエインフェルト公爵家もまた、大きな買い物が多い。こういう見逃しがちな点を見落とさないことは、実は立派な才能なのではないか。
胸ポケットから万年筆を取り出し、サラサラとサインを書き、インクに魔力を注入。中には黒晶と呼ばれる魔結晶の粉末が含まれており、魔力を蓄積することができる。いわばこれが、一つの身分証明である。
値段証明は空欄のまま、バンクシアに書類を見せる。彼女はあまりの速さに呆然としていたが、すぐに我に帰る。
「い、いえ、それはいけません! そんな、領収書だなんて……。それにこの空欄は、私に値を書けということでしょう?」
「これは大人の取引だ。そちらは古書を、俺はそれに見合う金銭を、それぞれ出し合う。俺だからという理由で、本来得るべき価値を失うのは愚行だ」
バンクシアは俺の姿勢を見て、引く気がないことを悟ったのか、小さくため息をついた。そしてサレーネに声をかける。
「サレーネ様、申し訳ありませんが、こちらの本に値段を付けて頂けませんか?」
「私が、ですか? 彼との契約上、言い値でも別に問題は無いでしょうが……」
「本来得るべき価値を失うのは愚行だと、アルーゼ様は仰いました。であれば、正当な価値を示すべきだと考えます」
サレーネはバンクシアの一言に小さく頷き、失礼しますね、と言って古書を観察し始めた。
歴史的価値があるのは間違いない。まだ見ぬ文字で書かれた本で、内容も不明。だがもしこれがあれば、分かることもあるだろう。それこそ、王国の建国史であろうとも——。
「終わりました。まだ軽くしか観察していませんが、締めて三百五十万程は下らないでしょう」
サレーネが値を出す。バンクシアはその値を値段証明の欄に書き写し、スラスラとサインを書くと、魔力を込める前に俺に見せてきた。そこにはしっかりと、三百五十万という数字が記載されている。漏れはないだろう。
俺が頷くと、では、と口にして、バンクシアがサインに魔力を込める。これで契約完了だ。
「さて、金額の譲渡だが……即金でいいか?」
「ええ、それで構いません」
そうして、俺は新しい研究資料を手に入れた。
——————————
クレアが子供達との別れを惜しむ中、俺たちは帰路に着いていた。時刻はもう夕刻。そろそろ帰宅する頃合いだろう。
幸いなことに、彼女たちは高等学舎の研究棟で生活しているらしく、進行方向は一緒だ。
表通りの人通りも大分少なくなり、夕暮れの涼やかな風が吹いている。それでも店は照明をつけて活気に溢れ、人々の声が尽きる事はない。そんな屋台で串焼きを買い、満足して頬張る幼女が約一名いるが。
不意に、アイリスが声をかけてきた。
「それにしても、まさかアルーゼがあんなことをするとはねぇ。思いもしなかったよ」
「いきなり何だその言い草は。撤回しろ撤回」
「それはお断り。そうじゃなくって、あそこまで強引に資金援助しなくても、普通に言い出せば良かったんじゃないの?」
「それは私も思いました。流石に分かりやすかったのでは、と思いますよ」
アイリスとサレーネから、根も葉もないことが次々と告げられる。いったい俺を何だと思っているんだ。
……だがまあ、彼女たちの言い分にも一理あるか。
「そりゃそうだろ。というか、むしろお前たちの専門分野なんだから、別に何故こんな回りくどいことをしたのか分かってるだろ? 『社交界の荊』と『次期ベルモンド商会会長』さん?」
「まあ、そりゃぁねぇ」
アイリスが適当に誤魔化した。
芥川龍之介の著書に、「蜘蛛の糸」という作品がある。生前に一度善行を行った、地獄に落ちた青年を助けたいと思った天のお釈迦様が、近くにあった蜘蛛の糸を地獄へと垂らして釣り上げようとする。男はそれに気付き、すぐさま飛びつくが、他の人間もまた地獄から抜け出すために、糸に飛びつくのだ。
そんな人間たちを追い払いながら、「この糸は俺のものだ」と言い放つ。すると途端に糸が切れ、結局助からないという話だ。
この話は、強欲な男は結局地獄行きになるのだが、俺が言いたいのはそこではない。
結局、苦しむ人々の中で一人だけ救おうとすると、他の人も救いの糸に飛びついてしまう。要はそういうことで、仮にあそこにだけ寄付してしまえば、周りの貧乏な人々が集まってしまう、ということだ。
これを避けるためには、「自力で得た金銭」である必要があった。だからこそ、俺はあれをあえて受け取らず、買ったのだ。そうすることで、莫大な資金が渡るしな。
結果が同じであろうと、人間は過程に拘ってしまう。だからこそ、周りくどいことをしなければならないのだ。
「それにあの二人、恐らくリヴァイサスから来たんだろうな」
「シスターなんかがいるのは、やっぱりクイアス教だけだからね」
「となると、戸籍登録されていない場合、難民が勝手に入国しているという状態であるかもしれません。陛下に一度、目を通してもらって置きましょう」
二人のシスターについて、もし処遇があると嫌だな、と感じる。アイリスとサレーネも同様のようだ。
だが立場上、難民についてはしっかりと管理しなければいけない。国防を担う四大公爵家の一端として、確認は必須だ。
身分も時には面倒だな、と感じながら、夕日が沈む様を見つめていた。
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