第58話 ラマジーク研究室
「これ、どうすりゃいいんだ?」
「僕に聞かれても困るんだけど……」
ラマジーク研究室へ到着した俺たちに立ち塞がったのは、ある意味での物理的防壁だった。
昼間の研究室をまるで自室のように使い潰しながら、丸々開けたと見るべき酒樽を転がしている。そしてそのまま爆睡中。中年のオヤジでももう少しは自重した行いをするだろう。
まぁ、眠っていて騒がしくない上にデロデロに酔っ払いながら絡んでくるような連中よりかはマシだとは言えるがな。
ちなみに、俺の前世の上司は、泣き上戸はいたがこういうウザい人はいなかった。そう意味では、少しは恵まれていたのではと思える。
昼間から飲んだのか、あるいは昨日の晩からか。どちらにせよ、起きてもらわないことには、目的の達成もあったものじゃない。
俺は《アポーツ》を使用。研究室の一つから注射器を持ってくる。もちろん、注射針などの衛生管理は万端だ。俺のオーバーテクノロジー群の一つである。
ちなみに、この滅菌・細菌の繁殖防止の技術を応用した無菌室の増築も計画していたりする。哺乳動物の繁殖を行うとなると、また新たな観察対象ができるわけなので、なんとかできないかを模索中だ。
俺は酔い覚ましの薬を適量注射器に取り出し、慎重に右上腕から注入。二日酔いによく効き、アルコール分解の補助をしてくれる。いつも通りの手製薬品なので、変な副作用は起こりにくい。
「後は適当に揺すって起こしてくれ。俺はコレの後始末をしてくる」
そう言い残し、俺は一旦部屋を後にする。戸に手をかけ、開こうとすると、一人でに扉が開く。誰かが入ってきたのだ。
そしてタイミング悪く、戸が開けば丁度俺がいて。
「お邪魔しまーす……わっ、誰!? ってよく見るとアルーゼ様!?」
「様は余計だッ!!!」
コントのように突っ込んでしまった。
——————————
「あぁ〜なるほど。そういうことだったんスか。スイマセン、唐突すぎて色々混乱しましたわ」
ハハハ、という短い笑いを浮かべる眼前の男は、どうやらラマジーク研究室の室員だったようだ。
注射器は既に片付け、今は室内で会話中。この辺りは割と整頓がされている。
「こっちこそ、いきなり訪れて悪かったな。アルーゼ・エインフェルトだ。改めてよろしくな」
「ボクはエルド・ライアンって言います。よろしくお願いするっス、アルーゼ様!」
「様はいらないと言っただろうに……」
頭痛がする。誰も俺のいうことを聞いてくれないのだ……。様と呼ばないのは、家族以外にはサレーネにアイリス、それにグランベルドとクレイウスくらいだ。
出された茶を一口。美味い。別に舌は肥えているが、中身はただの平民。そこまで嗜好には拘りがない。
エルドは全員に茶を出すと、自分も椅子に腰掛けた。
「それで、今日は一体どんなご用件なんスか?」
「あぁ、それなんだがな——」
俺は魔石に関する研究結果と、望む実験とその仮説、そしてそれが上手くいかないということを話した。
話し合えると、エルドの顔はとても神妙なものになっていた。探究の精神は、同業者の間では絶えることがないようだ。
「なるほど……。それは確かに、教授に聞いてみたほうが良さそうっスね。俺にはある程度しか分からないんスけど、多分、教授なら分かるんじゃないかと」
「で、その教授とやらに話をしにきたんだが、このザマだった訳だ」
「あぁ〜、教授は酒癖悪いっスからねー」
そう言うと、全員の視線が件の教授に注がれる。鼾を大きくかきながら、気持ちよさそうに爆睡する様子は、駄目な大人像そのものだな。クレイウスは普段の行いから駄目な大人だが。
「んで、アルーゼ様の目的は分かったんスけど、お四方はどういったご用件で?」
「僕は道案内だよ。アルーゼに無理やり連行されてきたんだ。彼女たちは、付いてきたいって言って付いてきた感じだよ」
クレイウスが丁寧に答える。余計な一言に拳骨を入れられて、痛みに悶えるクレイウスを無視し、エルドは女子三人に声をかける。
「改めて。エルド・ライアンっス。この研究室には、それなりに長くいるので、気になることがあれば、なんでも聞いてくれていいっスよ!」
……俺たちにむける時より声音が高いのは、気のせいにしておいてやろう。その分かりやすさは、サレーネが思わず愛想笑いを浮かべるほどだ。
そして彼女の微笑みで、気を良くしたのか、エルドが少し舞い上がっているように見える。
と、その時。
「こんにちはー」
「こんちはー! エルド君来てるー?」
研究室の扉が開き、二人の女子が入ってきた。髪は染めているのか、奇抜な桃色と金色。地毛だったらすまない。
元気そうな声で声をかけた時に、俺たちのことも視界に入れる。数秒ほど停止すると、目を見開いた。
「「え、アルーゼ様!?」」
「だから何故様付けするんだッ!!!」
本日何度目だろうか。ホント、様付けは勘弁してほしい。全身がむず痒くなって仕方ない。
と、思っていた矢先、付近から声が上がった。
「キャルちゃん! アンちゃん!」
「お二人とも、お久しぶりです」
「元気そうだねー」
アイリスたちが、珍しく声を上げて再会を喜んでいる。その様子を微笑ましく見守っているクレイウス。
「なぁ、アイツらは元同級生とか、そのあたりなのか?」
「そういうところだね。厳密には、入舎一年目でクラスが被って、そこからの繋がりだったかな」
「つまり、俺とも同年代という訳か。ならどうして様付けまでするんだ……」
「君と同年代の子たちだと、結構尊敬されてはいるようだよ。どれも空想上の人格だから、仕方なくはあるんだけどね。
冷ややかにクレイウスを見ていると、丁度再会の挨拶が終わったようで、俺たちの元へと戻ってきた。全員の表情が明るいところを見ると、談笑できたらしい。サレーネが前に出て軽く謝る。
「お騒がせしました」
「気にしなくていいさ。お前たちも、旧友とつるめば積もる話もあるだろ。というか研究棟で鉢合わせたりはなかったのか?」
「意外とねぇ〜。大体の時間はそれぞれの研究室で過ごすから、あんまり会うことはないかなぁ〜。アルーゼはずっと一人旅だったから、誰にも会えなかったみたいだけど」
「余計なお世話だ」
アイリスのからかいを一蹴する。まぁ、別に人恋しくならなかった訳でもなし、誰にも会えないことの孤独感は理解はしている。彼女たちの場合とは違うがな。
「意外なのは、お前ら、互いの所属を知らなかったんだな」
「別にどこが良くてどこが悪いって話でもないですしね。構内で互いの所属する研究室を聞くのはマナー違反なんですよ」
マリーが解説を入れる。
なるほど、分からん。価値観の違い、というやつなのだろうが、俺からすれば全く意味のわからない話だな。
そういう時は、「そういうものだ」と解釈してしまう方が都合がいい。とにかく、そういうマナーがあるようだ、と認識しておく。
ん? それだと何故、三人はこの研究室まで一緒に来たんだ? 理由が見当たらないが……今は気にしないでいいか。
すると、今度は同級生らしい少女二人が口を開けた。
「はじめまして、アルーゼ様。アン・シュヴァイツァーと申します。こちらは」
「キャラリアス・デルガンだよ。よろしくねーアルーゼ様!」
「アルーゼ・エインフェルトだ。別に様付けはいらないからな」
二人に自己紹介。
この強烈な姓は、北方の侯爵家であるシュヴァイツァー家と、東方の伯爵家デルガン家が彼女たちの実家だからだ。
それ故にか、二人が困惑の表情を浮かべる。
「どうして? だって私たちより、アルーゼ様の方が身分は上じゃない」
「敬称をつけてお呼びするのは当然だと思うのですが……」
「あぁー……。うーんとな、別に俺は、誰とでも対等であればいいんだよ。普段はな。別に粗相をしでかしたから、どうこうするってこともない。なんつーか、『様』って呼ばれるとさ、距離を感じるんだよ、精神的な。俺にとって身分ってのは、有効に使えるときに使えるものであればそれでいいのさ」
元々前世はただのサラリーマン。給料を貰って銭を稼ぐ労働階級者だ。『様』と呼ばれるのはどうも慣れない。だからこそ前世同様、身分的な差が無い方が落ち着くのだ。
しかし、この世界において身分とは権利の象徴だ。当然、有無によってできることにも差が出てくる。そういう意味では、
この世界の労働者階級者は、それこそ日銭を稼いで暮らすような毎日を送っている。貨幣制こそ取られているものの、銀行制度や株式、会社いった制度がない。強いて言うなら、商会という組織が商業を操作しているくらいのもの。そんな状況下では、研究なんて出来るわけがなかったはずだ。
そもそも、まともな学習を行えたかどうかも怪しい。国民の識字率こそ九割を超えるが、魔法などの勉強は、あまり出来るような環境がない。それこそこの高等学舎くらいのものだ。何せ魔法士は、大体が軍役し、そして優雅な余生を過ごすような人物ばかりだからな。だからこそ、唯一魔法を学ぶ手段である本が大量にあったことは幸運だった。
そして高等学舎は、進学に学費がかかる。義務教育ではないからな。となれば、家庭状況によっては魔法に深く触れることができなかったかもしれない。
今の俺がいるのは、本当に偶然の結果。恵まれた環境に身を置いていた幸運。だからこそ、特別でありたいとは思えないのだ。所詮は俺だって、平々凡々な一般民だったのだから。
「そんな訳で、今後敬称はいらん。それは言っておく。それを踏まえた上でなら、なんで呼んでも構わない」
「そうなんですね、分かりました。では、アルーゼさん、と」
「じゃ、私はアルさんで!」
「好きなように呼べばいいさ」
その時、再び隣から声が聞こえた。
「ねぇ、なら僕は、一体なんで僕の研究室で痛い目にあわせられたの?」
「んなもん決まってるだろ。お前が嫌いだから。以上」
「もう少しオブラートに包まないかな!?」
ショックを受けた様子のクレイウス。
生理的に受け付けられないこの男。分類ではシルベスタと同等の位置付けである。
こういう時に、身分を持ち出せるから、身分はあった方がいいのだ。
——さて。
「そろそろいい加減、この研究室の教授とやらを起こす頃合いなんじゃないか?」
「あぁ、そっスね。でも大丈夫っスよ、アルーゼ様」
「……話聞いてた?」
「聞いてたっスよ。その上でアルーゼ様なんっス。そんなことより、皆さん昼でも一緒にどうっスか?」
サラリと話を切り替えてきたな。
というか昼? 何故昼飯なんだ? 先に優先することがあるのではないのか?
「別に俺は構わないぞ。お前たちは?」
「折角だから、ご一緒させてもらおうかな。三人もそれでいい?」
「「「はい!」」」
クレイウスの言葉に頷く女子三人衆。それを確認して、エルドはアンたちを見る。
「二人は? もう済ませた?」
「いえ。そろそろかと思ったので、ご一緒させていただこうと考えて来たので、もちろん同行しますよ」
「右に同じー」
何故か昼飯の話にすり替わってしまっている。エルドは「これは大所帯になるっスねぇ……」などと口にしている始末。別に俺は、呑気に昼飯を食いに来た訳ではないのだ。
「なぁ、エルド。それよりもだな、俺はここの教授に話があって来たんだよ。それを疎かにするのは……」
「だから大丈夫っスよ。なんせ、ウチの教授は、昼時になればスパッと起きるっスから」
すると。指し示したように、部屋の中央に寝転んでいた人影がむくりと起き上がった。美しい灰色の髪が豪奢に舞う。その翡翠のような瞳の眼は獰猛に吊り上がっているが、視界はまだボヤついているようだ。
彼女は大きく欠伸をすると、不満げに口を開いた。
「なんだか今日はヤケに騒がしいな……。エルド、何があったのか簡潔に説明しろ」
「教授にお客様っスよ、珍しく。大嫌いなアルーゼ様っス」
「ふーん……は!?」
ギョッとしてこちらを見ると、運悪く俺と視線がぶつかった。瞬間に、彼女の目がキッ、と鋭くなる。
だが、エルドがサッ、と視線の間に入り、互いの視線の交錯を阻む。
「とりあえずもうお昼っスから、まずはみんなで腹ごしらえの方がいいんじゃないっスか? 話はそれからでもいいと思うっスよ」
「……はぁ。その通りだな。まずは飯にでも行くか。食堂に行くぞ。来るなら着いてこい」
そう言って、乱れた服を整えてから、上着がわりに白衣に袖を通し、部屋の外に向かう。
エルドはこちらを向くと、にこやかに笑って口を開いた。
「という訳で、昼飯に向かうっスよ。それでいいっスよね?」
「……あぁ。それで問題ない」
俺は静かに頷いた。
そして同時に、この男について評価を改めていた。
この男は、猛獣を従える才を持っている。誰の心にも近づき、ごく自然に信頼を寄せてみせる、とても静かな強かさだ。
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