第18話 対面式
馬車に揺られること数時間。
ようやっとたどり着いた王都は、予想以上の活気に溢れていた。
そもそも俺は、クレオ兄さんの婚約報告以来、アルーゼに転生してからは一切外出してこなかった。
欲しいものや必要なものは全て手に入る環境だし、何よりも自室に引きこもっての研究生活の反動だ。
そのせいで、俺は転生した世界について、知識しか持ち合わせていなかった。
そこはとても豊かな土地だ。
近代化は進んでおらず、農業、漁業、一次産業、二次産業問わず、多くのことは全て手仕事で賄われている。
そのため効率化した現代日本人の視点で見れば、かなり貧しいように見える。
だがどうしてか、ほとんど全ての人々が、笑い合い、楽しんで毎日を暮らしている。
以前に通った時は、あまり周囲の景色に目を向けることもなかったが、改めて見ると、やはりここが異世界であるという実感が湧いてくる。
恐らく、近代化の進んでいなかった江戸時代の日本ならば、似たような光景が広がっていたのかもしれない。
利便性の反面、近代化の弊害を、なんとなくながら理解した。
こういう世界での無闇な近代化はかえって逆効果。人々の幸せは、この何気ない日常なのかもしれない。
また機械化のような風潮もない。人の手によって、この世界の社会は回っている。
民衆の生活レベルも低い。質素な石造りの家を構え、農民なら広大な土地を農業に使い、毎日朝から晩まで働いている。
そして気になったことがもう一つ。
父さん、エインフェルト公爵は、意外と民からのウケが良いのだ。
俺たちが通ると、仕事の手を止めて馬車に向かって手を振ってくる。それも皆、とても穏やかな表情で、心安らぐ思いだ。
とても、優しい世界だ。
王都に入ってからしばらくして、俺たちの馬車は、あるところで止まった。
父さんの声を聞いて、俺も馬車から降りると、そこには幻想的な光景が広がっていた。
そこにあったのは白亜の城。それが斜陽の残光に照らされ、紅く鮮やかに輝いている。
見上げないと全容が見渡せない、その巨城に、俺は心を奪われた。
なんとも凝った中世美術品の数々。その威風は、外壁からでも見て取れた。
俺たちは馬車から降りると、そのまま城の中へと進んでいき、父さんの案内に従って、とある部屋の前で止まった。
そしてその大きな扉を開くと——、
そこには、沢山の少年少女が溢れていた。
色鮮やかな髪色、艶やかな美しいドレス。華やかな装いで場を彩らせる女子たち。
品行方正、威風堂々と構え、場を沈める静かな覇気。静寂で場を緊張させる男子たち。
彼らは、自分の家の威信をかけてこの場にいるのだから、必然こうなるのは予想できる。
もちろん、俺は成熟していないと範疇には入らないが、ショタコンやロリコンならば狂喜乱舞する状況だ。
いや、もしかしたらリディアならば、俺も狂喜乱舞するかもしれない。カメラすらも自作して撮影しまくってるだろう。
それにしても、場は緊張感で包まれている。こういう雰囲気は、どこか会議に近いものがある。
そんな状況の中で、俺たちは部屋へと入る。
その瞬間、この場の全ての集中が、俺に集まったことを感じ取った。
そのお陰で、俺を取り巻く状況の深刻さを、改めて理解することになった。
父さんと別れ、部屋に入っても、俺への視線は増えるばかりだ。
はあ、逃げ出したい……。
そんな時、唐突に場に声が聞こえた。
「静粛に。皆の者、よく集まった。私はフレイヴィール王国第三十八代国王、グランベルド・フォン・フレイヴィールである」
そこにいたのは、恰幅の良い浅黒い肌の男だった。顎髭と口髭が豊かで、目は翡翠のように緑。右手には赤ワインの入ったワイングラスを持っている。
なんとよく通る、力強い声だろうか。これがカリスマ、王者の貫禄というものなのだろうか。
俺が好奇心に駆られていると、王様は一つ咳払いをした。
「では、挨拶はこれで終わり。堅苦しいのも終わりにしよう。
皆、十歳の誕生日を迎えた、あるいは迎えること、誠にめでたく思う。本当に、おめでとう」
王様は、この場にいる全員に祝福の言葉をかけた。
それだけで、会場全体のピリピリとした雰囲気が緩和された気がする。
やはりこういう未熟なところは、年相応ということなのだろうか。
「今年は、私の五番目の子で第三王子のシルベスタもいる。まあ、性格に難ありなやつだが、気楽に話しかけてやってほしい」
王様がちゃっかりと、自分の子をアピールしている。
ちなみに、今王様は、「仲良くなって欲しい」ではなく「話しかけて欲しい」と言っていた。
何やら家庭内では、重苦しい問題を抱えているようだ。
「それでは、あとは君たちで、有意義な時間を過ごして欲しい。今夜は無礼講だ。存分に楽しむといい。それでは——」
王様がそこで言葉を切ると同時に、右手に持ったグラスを掲げる。
俺は来たばかりで何も持っていないので、仕方なく何も持たずに、その言葉を受けた。
「乾杯!」
——————————
乾杯の音頭と同時に、多くの子供たちが盛んに交流を始めた。
この場では、両家同士のコネ作りや、婚約の内定もかかっているのだから、皆真剣の一言だ。
ちなみに俺の場合、コネ作りは兄姉たちが既に大量に持っているし、そもそも婚約も考えていなかったので、特別関わる用事はなかった。
ただ、全くもって人が来ない。
グラスに入ったワインもどきを探して色々と物色していたのだが、その間にも誰にも話しかけられなかった。
多分、警戒しているのだろう。相当大きな問題になりかねない事態にまで発展しかけた話だ。迂闊に触れれば、どう事態が転ぶか分かったものじゃない。
俺は完全に暇を持て余していた。
その時たまたま、父さんがコーヒーカップを持っているのが目についたので、俺は父さんの方に近寄っていく。
「父さん、ブラックコーヒーってあります?」
そう聞くと、父さんは笑った。
「ブラックは苦いぞ? お前に飲めるのか?」
「ブラックだからこそ、豆の香りがよく分かるじゃないですか。だからこそ、ブラックが飲みたいんです」
俺の言葉に、父さんはそうか、と言うと、近くのテーブルから、淹れたてのコーヒーを、皿と一緒に持ってきてくれた。
「これでいいか?」
「はい、ありがとうございます」
俺はズズズ、とコーヒーを啜る。
コーヒーは残業のマストアイテム。絶対に人生で一度はお世話になる魔法の飲み物。
カフェインのお陰で眠気も和らぐから、俺はコーヒーとエナジードリンクとで併用して残業を乗り切ったものだ。
独特な香りと仄かな苦味。やはり、コーヒーはこうでなければ。
俺が前世の記憶にしんみりしていると、父さんが心配そうに声をかけてきた。
「どうだ? いけるか?」
「はい、いけます。とても美味しいです」
俺は喜びの目で答える。
それで父さんとは別れ、俺は端の席に移動した。
皿置き場は近くにあると便利だから、テーブルの近く、かつ人目に付きにくいところで、ここが最適解となった。
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