第3話 魔力

 信じられるだろうか?

 意識は完全に二十六歳のままで、身体が赤ん坊になってしまうなんて。

 身体が赤ん坊なので、別段扱いがどうとか、そういうことはどうでもいい。むしろ、何もせずにジッとしていられるので、個人的には大歓迎だ。

 だが、食事が大変だ。

 つまり、乳児の摂取するものが何か、という話だ。

 そう、当然母乳である。

 だが考えて欲しい。確かに母乳を吸っているのは、乳児だ。だがその中身が二十六歳男性の精神だとすれば、話が変わるだろう。

 しかも俺は童貞だ。経験なんて一切ない。

 つまりだ。

 俺は今、煩悩に悩まされているのだ。

 無論、やましいことなんて何もない……筈だ。

 しかし、いくら悩もうとも、乳児の食物が母乳であるという事実が変わることはない。代用ミルクなど、この世界では存在すらしていない。

 結果、俺は煩悩に苛まれながら、精神的には見ず知らずの女性から、母乳を吸っているのである。しかも困ったことに、その甘味のある生暖かい液体が口の中に流れ込んできて、妄想が加速してしまうのだ。

 俺は徳川家の将軍やら円周率やら、連続する暗記ものをひたすら復唱しながら、煩悩を掻き消す。

 ……まあ、別に煩悩に苛まれようと、俺が何かをする、ということはない。下もまだ未成熟だし、何かを心配することもない。

 という訳で、食事の時間は無心になるために努力する、かなり疲れる時間となるのだ。


 数ヶ月後。

 俺の目は、完全とはいかないが、視覚と呼べる代物を獲得した。

 目で何かを見るのはとても新鮮だった。

 何しろ、見知った光景が何一つないのだ。ロクに首を動かせるほど成長もしていないため、普段目にする景色はあまり変わらないのだが、目を開ければ視界に入る部屋の天井は、大理石でできているようで、ここが日本でないことは一目瞭然だった。

 そして次、両親の顔だ。

 だが俺は、二人を見た瞬間に悲しくなった。

 というのも、俺は前世では大してイケメンだった訳でもない。だからこそ、顔に関しては人一倍敏感だった。

 それなのになぜだ、二人は完全にイケメンと美女のカップル。要するに勝ち組だ。

 しかも二人の夫婦仲は円滑、しかも(会話から分かったが)金銭面も困ったことはないという。

 こんな勝ち組、許されるだろうか?

 ……とまあ、嫉妬話は閑話休題置いておいて

 ある日、俺は自分の体の中に、何か熱いものが流れていることを感じ取った。

 肉体と精神が同一でないが故か、この違和感は不思議と理解できたのだ。

 そして理解すると同時に、視覚でも感知できるようになった。

 ちなみに両親は、この日初めて顔を合わせた際、「魔力が目覚めた」と口にしていた。

 つまりこの力は、魔力と呼べる代物らしい。そして俺の目と同じく、両親もまた、魔力を何らかの感覚で知覚できるらしい。

 そして気がついたことはもう一つ。

 俺は、周囲の人と比べて、確かに魔力量で劣っているのだ。

 両親や屋敷のメイドを見ても、この差は一目瞭然だった。

 まあ、時間が経てば増えていくだろう、と考え、一ヶ月ほど様子を見た。


 結果、増えなかった。


 増えていたのかもしれないが、俺は全く知覚できていない。そんな微々たる差ではないのだから、事実上無意味だ。

 しかし、現状魔力を増やす手立てがないので、仕方なく断念せざるを得なかった。

 しかし、思い入れがなくなった訳ではない。

 絶対に増やして見せると、心の中で宣言しながら、俺はこの実験を放棄した。

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