第2話 silence

 家庭用ロボットは家事のお手伝いだけをしていればいいわけではありません。時にはお子様のお相手も務めないといけないのです。


 丸っこくて愛らしい形をした私ですが、ちいさな足で歩くためバランスが悪いのが難点でした。ある時、お嬢様のお友達が遊びにいらしたのでお茶をお運びしようとした際、お友達が思い切り伸ばした足に引っかかって盛大に転んでしまったことがありました。


「何をなさるのですか!」


 頭にティーカップを載せた私を、お嬢様のお友達がクスクスと笑います。お嬢様はその場では見て見ぬ振りでしたが(地味に傷つきました)


「ごめんね」


 といって後で一緒にフローリングにかかった紅茶のシミ取りを手伝ってくださいました。せっかくできたお友達にケチをつける気はありませんが、せめてもう少し人を選んだ方がいい気がします。さらには、しばらくの間お嬢様も真似をして私に足払いをしようとするので参りました。不意打ちでスッと伸びてくる彼女の足を避けるのは、製造から数十年が経とうとしているポンコツ気味ロボットの私にとって容易なことではありません。小学校も高学年になった頃だったので、反抗期のせいでしょうか。誰かを困らせて気を引きたいと思ったのでしょうか。ロボットの私には本当のところは分かりません。分かりませんが、いたずらな笑顔で楽しそうにしているお嬢様を見ると、浮かんでくる文句も不思議と消えてしまうのでした。


 お嬢様はスパルタの呼び声高い中学受験用の塾に、小学校3年生から通っていらっしゃいました。家庭の事情による転校が多いため、どんな学校でも通用するように高い学力を娘に身につけさせたい、というご夫婦の親心ゆえだったのですが、ロボットの私の目から見てもお嬢様には重荷というか、教育方針や雰囲気が合わない塾だと分かりました。平日は2日おきに夕方5時から10時まで授業、土日は朝から晩まで試験という子供には超多忙な毎日で、ただでさえ朝が弱くて寝坊な彼女の起床時間は遅くなる一方でした。さらに慢性的な寝不足のため小学校では覇気がなく、お嬢様の良くいえばミステリアス、悪くいえば「何を考えてるか分からない」オーラにますますの磨きがかかっていました。当然、昨日観たテレビとか、流行ってる音楽とか、遊ぶ時間も勉強に当てるお嬢様には縁のない話であり、周囲の話題についていけません。案の定、ただでさえ少ないお友達もどんどん離れていきます。これでは私の朝の負担が増えるだけ損というものです。


 そもそも、中学受験という競争の激しい世界に、一人娘で両親に囲まれてのんびり育ったお嬢様が立ち向かえるはずもない、と実のところは思いました。向いていないと知りながらも、両親の期待に応えたいとハードな塾のスケジュールをこなし続けるお嬢様の姿は本当に健気で、そして少しだけ鈍いのかもしれないと失礼ながら思いました。何度引っ越しても全国にチェーンを展開するその塾は至る所に点在し、また一から入塾テストを受けて通い直していらっしゃいました。受けては通い、受けては通いの繰り返しでした。ちなみにお嬢様の得意な科目は国語で、これはいつも満点に近いのですが、苦手な算数は良くて下から3番目、それ以外ほとんどビリという泥仕合な順位をとうとう脱することができませんでした。


 そして迎えた中学受験日当日。生まれて初めて足を踏み入れた試験会場の緊迫した雰囲気にすっかり呑まれてしまったお嬢様は、本命の志望校だけでなく滑り止めさえも滑りに滑り、それはもうフィギュアスケート選手で五輪王者の羽生結弦も真っ青なくらいの滑りっぷりでございました。滑りまくった末に、崖っぷちで願書を持って駆け込んだ新設ホヤホヤの私立校にようやく合格することができました。待機室として使われた食堂の壁に貼られた紙に、ご自分の名前が書いてあるのを見たときは、ご家族全員で手を取り合い涙を流して喜ばれたそうです。それは国語だけというちょっと変わった試験で、国語の試験の後、受験生がひとりずつ別室へ呼ばれて先ほど解いた問題の答えの根拠をその場で説明する「口頭試問」と呼ばれるものが合わさっていました。生まれて初めて受ける口頭試問だけでも珍しいのですが、合格者はまさかのお嬢様ともうひとりの女子だけ。倍率は40倍だったと後で知らされた時は、さすがのご本人も驚いたご様子でした。


 こうして、ようやく中学受験の重圧から解放されたお嬢様でしたが、待ち受けていたのは結果に対する厳しい現実でした。


 ご夫婦は、受験が終わった直後こそは娘へ労いのお言葉をかけていらっしゃいましたが、時間が経つにつれ、想定外の中学校にしか受からなかった事実に向き合うのがお辛くなったのか、実の娘に対して厳しい言葉を投げかけるようになったのです。


 こんなレベルの低い学校しか受からないほどお前は頭が悪いのか、暑い日も寒い日も送り迎えをし、駅前で帰りを待っていた私の時間と労力を返せ、あの時お前があんまり泣くからつい家に上げてしまったがやっぱり算数が解けるようになるまでずっと外に放り出しておけばよかった、お前にこれまでかけた金を返せ、中高一貫だが付属高校はレベルが低いから進学せずに高校受験をしてもっと良い学校へ行って親を見返してみろ、お前みたいなバカは私の子供ではない……


 追い討ちをかけるように、お嬢様の心の拠り所であった遠くにお住いのお祖母様にも


「仕方がない子だね」


 と電話口で言い放たれ、ついにお嬢様は壊れてしまいました。


 慣れない試験の雰囲気に圧倒されたこともありますが、最大の敗因はやはり苦手な算数でした。せっかく受かった中学校の入学式の日まで、お嬢様はご自分を大いに責めました。


「私が、しっかりしてなくて頼りないから、家族に心配をかけて不安にさせてしまった」


 ご夫婦がお二人で出かけていらっしゃる時、お嬢様はお父様の机からカッターを持ち出しました。慌てて私は彼女にすがりつき、その用途を尋ねましたが、非力な私のアームからお嬢様はカッターを奪い取るや否や、塾で使っていた算数のテキストをずたずたに切り刻みました。


「こんなもの、私の人生には必要ない!」


 泣き叫びながら紙くずを量産させるお嬢様を止めることはできず、私はなす術もないままじっと見つめておりました。


 ご両親だけでなく、お祖母様にも愛想をつかされてなかば自暴自棄になったまま、お嬢様のなかの時間も、私どもの時間も、いずれも等しく過ぎていきました。


 算数のテキストが大量の紙くずになった日からずいぶんと経ち、大人になった頃、お嬢様はある方に恋をしました。


 その方とはテニスという共通の趣味を通じて知り合い、最低でも月に一度はお食事に行ったり、スポーツ施設でともに汗を流したりという親しい間柄になりました。


 雪の多い地域で幼少時代を過ごした生い立ちも似ていて、すっかりふたりは意気投合したのでした。お嬢様のお誕生日には、タマネギの形をした雪国の教会と雪だるまのスノードームをプレゼントしてくださいました。行ってみたい国だと、かつてお嬢様がお話ししたことを覚えてくださっていた故の心遣いでした。当然、スノードームは彼女の一番の宝物になりました。


 お節介ながら、私から見てもおふたりは相思相愛のように思えました。


 あの日、泣きながら算数のテキストを切り刻んでいた少女が大人になり、ようやく幸せを掴みかけている。そう思うと、私はロボットながら我が子がだんだんと巣立っていく親になった気持ちになるようでした。ロボットだから、そのようなことは天地がひっくり返ってもあり得ないのですが。


 依然として心の拠り所だったお祖母様にも、お嬢様は恋のアドバイスを受けていました。


「健康で仕事をしていれば、年齢は上でも下でも良いよ」


 実にお祖母様らしいご回答でした。


「私、明日、彼に気持ちを打ち明けるわ」


 お嬢様はそっと私にだけそう教えてくれました。結果としてろくにお友達のいらっしゃらないお嬢様にとって、私はお手伝いロボットを超えた唯一の本音を話せる身近な存在になっていました。一番の相談相手に選んでいただいたことで、私は、胸の奥があったかくなるのは何故だろうと不思議に思いました。


 そうと決まればと、明日に備えてお嬢様が全身の身支度に取り掛かろうとしたその時、リビングからベルが鳴りました。ベルの正体は、お祖母様の訃報を知らせる電話でした。


 会社から忌引きを頂き、頻繁にかかってくる電話から投げつけられる上司や同僚からの嫌味にうんざりしながら会いに行ったお祖母様の最期は、お嬢様が知っているふっくらとしたお姿とはかけ離れ、ずいぶんと心細く、侘しく感じられたそうです。


 それっきり、お嬢様は想いを寄せたお相手にお会いしておりません。本当のお気持ちを告げることなく、ただひっそりと暮らしていらっしゃいます。


「大切な気持ちを伝えようとした時に、かわいそうだったね」


 と、お母様は自分の娘に聞こえるか分からないくらいの小さな声でポツリと言いました。


 お誕生日に彼からいただいた、タマネギの形をした雪国の教会と雪だるまのスノードームだけが、今日もひっそりと雪を降らし続けています。お嬢様は窓際に置いたそれを手に取り、上下にひっくり返しては眺め、ため息を漏らすばかりです。それはキラキラと輝いて、雪によってまっさらな泡沫の世界に閉じ込められた遠いあの日を思い起こさせるのでした。

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