第3章 久々デートと芽吹の失敗

第12話 黄金週間

 ゴールデンウィークが終わると、前期中間考査が待っている。

 二年生になって初めての定期テスト。


 新学年が始まり、今の自身のクラスや成績に納得のいかない生徒たちは、より高みを目指してゴールデンウィーク中は普段以上に勉強に励む、らしい。


 僕らはといえば、並んで電車に揺られて繁華街へとやってきていた。


 お花見が出来たらいいなと思っていた僕の目論見は、毎週末に掛かってきた成瀬さんからの電話によって脆くも崩れ去った。

 気付けば美しい桃色は鮮やかな緑に変わり、吹く風も暖かくなっていて。

 僕はせめてもと、ゴールデンウィーク真っ只中、空園女史をデートに誘ったのである。


 遊園地にでも誘おうかと一瞬考えたが、長い待ち時間をどうすればいいのか見当も付かなかったので却下した。

 世間一般の恋人同士というものは、あの待ち時間に何をしているのだろう。

 空園女史なら何も気にせずに僕に話を振ってくれそうだけれど、彼女にばかり話題を作ってもらうのもどうなんだと思うわけで。


 遊園地はまだ僕には高いハードルであると言わざるを得ない。


 そんなわけで、無難に繁華街へお出掛け、ということにした。

 デパートやショッピングビルも幾つかあるし、話題のスイーツ店、大型書店、映画館もある。

 選択肢がありすぎてどこへ行ったらいいか迷うところではあるが、何がしたいと言われても対応できるだろう。

 空園女史の希望を聞くつもりではあるが、僕の希望を聞かれたら答えることが出来るようにしておく。

 "どこでもいいよ"、"なんでもいいよ"は、時に相手の負担になるらしい。


 よくよく考えれば僕が空園女史から与えられている負荷の方が大きい気もするが、そうだとしても、僕が空園女史に負担を掛けるのはよくないと思う。

 ので、僕の携帯には美味しそうなスイーツの店の情報がぎっしりだった。

 現在上映中の、映画の情報も。



 目的地である繁華街は、僕と空園女史の家の殆ど中間地点に位置する。

 普通であれば、現地集合するのが効率的な場所であった。

 しかし僕らが並んで電車に揺られているのは、ひとえに空園会長が、娘が駅前で待つ可能性があることを良しとしなかったからである。



『分かるだろう何でも解決するマンくん! 万が一きみが待ち合わせに遅れて、美鶴一人で駅前に立つことになったらどうなると思う?』


『えーと……囲まれる? とか?』


『囲まれるだけならばまだいい! それに満足せずに美鶴に手を伸ばす輩がいるかもしれん。ああ! 可愛い美鶴の腕が汚れてしまう!』


『…………返り血で?』


『しんちゃん?』



 空園女史が護身術をマスターしていることを知っている僕は、思わず口から零れ出てしまった言葉に反省する。

 しかし僕を軽々と引き摺る空園女史のことだから、なんなら変なのに絡まれた僕を助ける側に回るかもしれない。

 自慢ではないが僕はひょろっちいし、体力もないのである。

 ……筋トレでもしようかな。



『では、どこかへ出かける際は必ず僕がここに迎えにくるようにします』


『うむ、頼んだよ』



 と、まあこのような会話がなされた結果の、電車内である。


 電車内は、さすがゴールデンウィークといった混み具合で、僕らは扉のすぐ横に二人で立っていた。

 空園女史は春らしいクリーム色のブラウスに薄桃色のシフォンスカート、襟元と袖口にレースをあしらった薄いベージュのカーディガンを着ている。

 少しだけヒールのある花柄のパンプスのお陰で、いつもよりも空園女史の顔が近くにあった。


 周囲に立っている若い男性たちの目が、ちらちらと空園女史に向かうのが目に付いてしまって、その度に僕はその視線をさりげなく遮るように身体を揺らした。

 電車が揺れているから仕方がないのだという風を装っているけれど、僕が男性陣の視線を遮る度に空園女史の表情が嬉しそうに変化するから、確実にバレている。

 恥ずかしい……。


 線路がカーブにさしかかり、揺れと重力の変化に身体が振られた。

 手の届く位置に吊り革はなく、座席横のバーには既に他の乗客の手がある。

 咄嗟に僕が掴んだのは、ドアの横にあるバーだった。

 そしてそれを掴んだ結果、僕の腕の中に空園女史が収まるような形になってしまう。


 眼前にある空園女史の綺麗な黒髪からは瑞々しい花の香りがした。

 無意識に深く呼吸をし、はたと気付いて慌てて顔を背けた。



「あまり電車には乗らないのですけど、こういうことがあるのなら、電車通学というのもいいものかもしれませんね?」



 僕にしか聞こえないくらいの声量でぽつりとそんなことを言った空園女史の手が、僕のジャケットを掴む。



「ああ、えーと、うん。でも、危ないよ」



 何がどう危ないのか。

 一番危ないのは僕の心臓な気がする。


 長い睫毛、通った鼻筋、きめ細やかな肌、艶めく唇。

 いつも学校で見る顔とは少し違う、化粧品で普段以上に整えられた顔。

 同じ人間かと問いたくなるほどに均整のとれた、芸術品みたいな顔で僕に笑う。


 僕も、何というか、自分磨きでもするべきだろうか。

 せっかく一緒にいるのだし、空園女史が許してくれるなら、僕の私服でも見繕ってもらおうかな、なんて。

 嬉々として僕の服を選ぶ空園女史が想像できて、少し笑ってしまった。

 不思議そうに僕を見上げた空園女史に、今のアイデアを告げると目を輝かせて頷いた。


 まもなく目的の駅に到着するとアナウンスが流れ、電車がゆっくりと速度を落としていく。

 空園女史は当たり前のように僕の手を握った。

 

 扉が開き、人の流れに押し出される。

 そのまま流れに乗って改札口へ。


 空園女史の目は相変わらず輝いたままで。

 僕はほとんど引き摺られるようにして、ショッピングビルに向かうのだった。


 筋トレ、しよう。

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