第11話 谷倉と芽吹

「なんか、すごい子に気に入られてるんだね……」



 ゴールデンウィークも間近に迫ったある日、僕と空園女史は谷倉氏と一緒に中庭で昼ご飯を食べていた。

 芽吹新聞はもちろん谷倉先輩の手元にも配られていて、その内容に思わず二度、三度と目を通してしまったそうだ。

(空園女史がそれを聞いて肩を落としていた)



「いや、私だってまあ、それなりに人気があることは自覚していましたよ? いわゆる読者モデルの方々のような人気ではないですが、街を歩いていると私を見て私の話を始められることもありますし……でもは別格でしょう……!」


「…………」



 空園女史の嘆きを聞いて、谷倉氏は無言のまま僕を見つめた。

 その目には、(彼女自身も大概だよね?)という旨のことが見て取れたので、僕はアルカイックスマイルを浮かべて首を左右に振った。

 谷倉氏はそんな僕を見て、苦笑いを零した。


 自称天才発明家である谷倉氏の父親は、今は新しい通信機器の発明にのめりこんでいるらしい。

 谷倉氏は、その過程で出来たという腕時計を僕に手渡した。



「鴨宮くんはモールス信号は分かる?」


「はい」


「なら使えるかも。これ、モールス信号が送れるんだ。見てて」



 谷倉氏の腕にも同じ物が嵌められており、谷倉氏はその時計の文字盤を、爪を立てて叩いた。


 トン、トン、トン。

 トトン、トトン、トトン。

 トン、トン、トン。


 すると僕の持っていた腕時計が三度振動し、文字盤にある長方形の小さな画面にモールス信号が表示される。



「あー、勝手にアルファベットに変換されたりとかはしないんですね」


「そうなんだよ。だから、使い勝手はよくないんだよね。ポケベルより使えないかも」



 ポケベル。

 使ったことはないが、確かにカタカナでも数字でもなく、モールス信号しか表示されないのはなかなか尖った性能だなと思った。

 だが、指先でトントンと叩くだけでいいというのはすごいのではなかろうか。

 探偵の七つ道具みたいで少し楽しい。


 僕が谷倉氏にメッセージを送ろうと時計を弄っていると、遠くから声がした。

 聞き間違いでなければ、最近よく聞く声である。

 視線を向けた空園女史の顔が引きつっているので、まあ、聞き間違いではないらしい。


 芽吹女史だった。


 満面の笑みで、軽すぎる足取りで、空園女史だけを視界に入れて駆け寄ってくる。

 僕らのやりとりを少し離れたところでにこにこ見ていた空園女史の目の前まで来ると、貴族顔負けの優雅さで頭を垂れた。

 空園女史は僕らに向かって助けてくれと必死にアイコンタクトを送ってくる。

 そんな空園女史の視線に誘導されてこちらを振り向いた芽吹女史は、僕を見て顔を顰めたのち、谷倉氏を見て目を輝かせた。


 谷倉氏の方へつかつかと歩み寄ると、空園女史への挨拶には劣るものの、しっかりとした挨拶をし、自己紹介をする。



「初めまして谷倉先輩。私は1年の芽吹小春と申します。失礼ながら、谷倉博士のご子息でいらっしゃいますよね? 私、谷倉博士はお姉さまの次に尊敬しておりまして!」


「え、あ、はあ……」


「谷倉先輩も博士のお手伝いをなさっていらっしゃるとか」


「あー……そ、そこまで、役には立っていませんが……」


「なぜ謙遜なさるのですか、天才を支えられる人にも、また才能があるのです!」


「あ、ありがとうございます……」


「その時計は、発明品ですか?」


「え、はい、えーと……登録してある相手の時計にメッセージを送信でき「ははあ、そういうカラクリでしたか」


「えっ?」



 谷倉氏は目を白黒させながら、芽吹女史と僕と空園女史の三人に視線を巡らせる。

 芽吹女史はしたり顔で僕をビシリと指差した。



「谷倉博士の発明品を谷倉先輩から借り受け、その通信機能を以ってお姉様から何もかもを教わっているのでしょう!」


「「「は?」」」



 僕ら三人の声がハモる。

 芽吹女史の推察はどんどんヒートアップし、それに比例して空園女史の顔がどんどん恐くなっていた。


 や、やめろ! やめてくれ!

 僕を悪く言うのはいいが、時と場合を考えてくれ!

 空園女史のいないところで僕を罵ってくれぇぇぇ……!


 そんな僕の心の声が聞こえたのかどうなのか、空園女史が顔に笑顔を貼り付けたまま芽吹女史の肩に手を置いた。

 芽吹女史は空園女史の方を振り返り、尻尾が見えるのではないかと思うくらいに嬉しそうに空園女史の言葉を待った。



「芽吹さん」


「小春とお呼びくださいお姉様」


「それ以上口を開いたら、私は貴方を嫌いになります」


「えっ……?」


「しんちゃん、行きましょう。もうすぐ昼休みも終わります。谷倉先輩も、巻き込んですみませんでした。また」


「あ、はい。また……」


「お、お姉様……!」



 僕は空園女史に引き摺られるように教室へと戻った。

 時計を持ってきてしまったことに気付き、慌てて谷倉氏にメールすると、元々あげるつもりだったのだと返事が来た。

 午後の授業の間中ずっと空園女史の機嫌は直らず、古典と物理の教師はその鬼気迫るオーラに青褪めていた。



◆◆◆



 それ以来、芽吹女史は僕たちの前に姿を現さなくなった。

 ただ、僕の依頼された女生徒の肌着切り裂き事件に首を突っ込んでいるという話だけが耳に入ってくる。


 その情報を僕にもたらしてくれたのは意外にも谷倉氏で、そしてそれと同時に芽吹女史への恋心について相談され気が遠くなった。

 父や自分をあんなにも認めてくれる人に会ったのは初めてだったのだと谷倉氏は言ったが、なにもあんな鉄砲玉を好きにならんでも……。



「この間、バレッタを贈ったんだ」


「え、手が早いですね」


「や、その、それも発明品だったから……」


「ああ、なるほど。喜んでくれましたか?」


「ええ、僕の時計にたまにメッセージが届きます」


「げ、まさかこれにも?」


「いえ、僕のしか登録してませんから」



 あからさまに安心する僕に苦笑いをした谷倉氏は、続けて申し訳なさそうに口を開いた。



「鴨宮くんのことを誤解しているようだったから、説得しようとはしてるんだけど……なかなか聞いてくれなくて」


「あ、おかまいなく。それで谷倉先輩が彼女に嫌われたら申し訳ないですからね」


「そう……?」


「はい、まあ、僕のことはお気になさらず。複雑な気持ちではありますが、応援してます……」


「ありがとう。が、がんばる、よ」



 谷倉氏は顔を真っ赤にしながら、ぐっと拳を握った。

 これは空園女史には言えないなと思いながら、そんな谷倉氏を見つめるのだった。




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