第6話 空園女史の悩み、再び
次の日、また散歩道の様子を見ておこうと早めに駅に着いた僕を待ち構えていたのは、それはそれは見事な笑顔の空園女史だった。
改札を出て、エスカレーターで地上に出る。そのエスカレーターの降り口に、立っていたのである。
思わず上りエスカレーターを下りたくなったが、そうもいかない。
僕は出荷待ちの段ボールよろしく空園女史の前まで運ばれるのだった。
「おはよう、しんちゃん」
「は、早いね?」
「ええ、誰かさんから詳しく話を聞く必要があるのかしらと思いまして」
うん。僕だね。
昨晩、家に帰った僕はもうベッドに倒れ込んで起き上がれなくなる程に疲労していた。主にメンタル面で。
主にメンタル面で。(とても大事なことなので二回言いました)
源さんからのお願いはなんだったのか聞きたいらしく、電話をしようとせがむ空園女史に断りを入れた僕は、携帯電話に充電器を挿して一息吐く。
少し休んでからお風呂を沸かし直そうと思ったのだが、どうにも嫌な予感がして携帯電話の電源を切ることにした。
それから少し休んだ後、何とか起き上がる。
帰りにコンビニで買ってきた入浴剤を引っ掴み、既に温くなったお風呂の追い焚きボタンを押しに行った。
お湯が温まるのを待つ間に髪を洗い、身体を洗う。
のんびり洗っていると追い焚き終了のメロディが流れ、僕はゆっくりといい匂いのするお湯に浸かった。
そして目覚まし時計をセットして眠りに就いたのだった。
起きて携帯電話の電源を入れると、成瀬さんからの着信を幾つものポップアップが教えてくれる。
嫌な予感は当たっていたなと溜息を吐き、学校に向かったのである。
そして冒頭に戻る。
空園女史が僕を待ち受けていることまでは予想出来なかったな。
僕は空園女史に毒餌の話をしつつ、桜並木を横に逸れて緑の中へと歩くのだった。
そういえば、花見に行きたいねと言っていてまだ実行できていなかったなと思う。
学校に向かう道があまりにも見事な桜並木なため、わざわざ他のところへという気持ちにならないのである。
次の休みにどこか誘ってみようかなどと考えながらも、口からは昨日の出来事がつらつらと出てくる。
我ながら器用な物だ。
「まあ、猫ちゃんのお亡くなりになっているところは、確かに見たくありませんね」
空園女史が少し言葉を詰まらせながらそう呟く。
家で丸くなり寝ているであろう『かも』を思い出しているのだろう。
僕は空園女史があまり死んだ猫に対して入り込んでいかないよう、軽く背中をぽんぽんと
「でしょ?」
「他に何か、報告しておくことはありませんか?」
何だろう。僕は首を捻る。
毒餌の話はしたし、源さんの配慮の話もした。
「あ、成瀬さんに応援頼んじゃったから、もしかしたら成瀬さんにまた協力しなきゃいけないかもしれなくて……」
さわさわと春めいてきた風が吹き抜けて木々を揺らす。
朝の少し黄金色した太陽の光が
空園女史も眩しいのか顔を
僕が休みの日に成瀬さんに捕まることが嫌なのかな。
ふとそんなことを思う。
僕らはお互い実家暮らしで、空園女史はそれはもう箱入り娘なので門限も早い。
土日はどこかへ遊びに行くこともあるが、陽が傾き始めると、どこからともなく執事の(空園女史はじいやと呼んでいる)中田さんが現れ、黒塗りの高級車で家まで送ってくれるのである。
桜の名所も、ここ以外となると少し遠出をすることになる。
午前中に成瀬さんへの協力を終わらせたとしても、桜を見ていられる時間はほんの数十分みたいなことになりかねない。
やはり成瀬さんからの電話には出たくないな。
僕がひとり決意を新たにしていると、空園女史の方から盛大な溜息が聞こえてくる。
「ねぇ、しんちゃん」
「はい」
「私、しんちゃんみたいな能力はないけれど、最近はしんちゃんの考えていることくらいなら何となく分かるようになってきました」
「え」
何それ、すごい。
僕は驚いて空園女史を見る。
空園女史のくっきりした二重、黒目の大きな瞳の中に映っているのは自分だけ。
きっと僕の瞳にも、空園女史だけが映っている。
「成瀬さんに呼ばれると、私とのデートの時間が減ることを心配しているでしょう」
「えっ」
「そんなことだろうと思いました。でもしんちゃん。私はしんちゃんが成瀬さんに協力したから助かったのですよ? その私が、デートの時間が減るからって協力することを嫌がると思いますか?」
僕は、息を飲んだ。
そして自分の考えの浅はかさを呪う。
成瀬さんから協力依頼が面倒だと思ってしまっていた自分を恥じた。
それに、誰かが自分と同じような境遇にいるかもしれないのに、それを自分の都合で拒絶するような、そんな人ではないではないか。空園女史は。
僕は、昨晩電源を切ってしまったことを心の中で謝った。
あとで成瀬さんに電話しよう……そうしてポケットの中の携帯電話を握りしめた。
「まあ、ですから、成瀬さんへの協力は全然構いませんよ。あまりにしんちゃんの私生活に支障が出るような協力の仕方はしてほしくありませんが」
「分かった。あとで電話してみるよ」
「それはそれとして」
「え?」
まだ何かあるの?
僕は少し面食らいながら空園女史を見る。
空園女史の眉間には、またしわが寄っていて心配になった。
「しんちゃん。これは依頼です」
「え、と、はい」
「私の悩みを解決してください」
「また!?」
空園女史のどこか不満げな表情。
僕に悩みの内容を教えてくれる気はないと見ていいだろう。
そして、今朝顔を合わせてから終始どこか不機嫌そうな理由も、恐らく悩みに関係しているに違いない。
そこまで分かっているのに、やはり僕には空園女史の悩みに見当が付かないのだった。
僕にも空園女史の考えていることが分かるようになればいいのに。
僕はまたしても、空園女史の悩みを解決することになったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます