第16話 芽吹の失敗
『それ以上口を開いたら、私は貴方を嫌いになります』
あの時のお姉様の目。
本気だった。
本気で私に怒っていた。
どうして?
鴨宮新のことは知っていた。
同じ中学校だったから。
学年が違っても分かるほど彼は浮いていたし、いじめられていた。
だから、信じられなかった。
お姉様の隣に、あの頃のままのあの男が存在していることが。
私は変わった。
地味だった中学時代の自分を捨てて、お姉様に相応しい自分になろうと。
野暮ったい真っ黒の長髪を一思いにカットし、明るく染め、パーマをかけた。
分厚いメガネはコンタクトにして、ニキビだらけだった肌も生活習慣を改めて綺麗にした。
私はこんなにも努力したのに。
どうしてお姉様の隣にいるのは私ではないのだろう。
分からない。
分からない。
下着切り取り犯をお姉様よりも先に見付け出せたら、私への評価は変わるだろうか。
分からない。
けれど、やるしか、ない。
◆◆◆
しかし、入学したての私に人脈などあるわけもなく、結局は当たって砕けろ作戦でいくしかない。
先輩たちに声を掛けては自己紹介をし、被害に遭っていないかを聞いて回った。
幸いなことに、芽吹新聞のお陰で名前を名乗るだけで『ああ、あの!』となってもらえた。
変に自己紹介に時間を取られることなく話が出来たのは運が良かった。
だからといって有益な情報が得られるわけでは、なかったけれど。
ある日、谷倉先輩がバレッタをくれた。
谷倉博士の発明品を土台に、自分で作ったらしい。
パッと見は、金ベースに赤をメインとしたスワロフスキーが散りばめられたおしゃれなバレッタだ。
谷倉先輩がバレッタをトントンと叩くと、先輩の付けている腕時計に点と線が表示された。
モールス信号が送れるらしい。
私は父との暗号しか覚えていなかったから、ときどきモールス信号を調べては先輩にメッセージを送ってみたりした。
『
昼休み、いつぞやに見たユキちゃん先生に、質問しているのか、何やら話し込んでいる谷倉先輩を見つけた。
少し話をするくらいは出来るだろうかと、窓際に立ち止まって話が終わるのを待ってみる。
先生にお辞儀をしてこちらを向いた谷倉先輩は私に気付き、こちらに歩いてくると窓の外を見た。
「ほんとに、いい天気だね」
「はい」
「どう? 調査の方は」
「内緒です。あの人こそ、どうなんですか」
「ど、どうだろう……」
「谷倉先輩はどっちの味方なんですか」
「いや……ど、どっちも応援してるよ」
どっちつかずな先輩に溜息を吐くと、焦ったように弁解してくる。
別に谷倉先輩に怒る理由もないのだけれど、この反応が面白くてついからかってしまいがちだ。
谷倉先輩は謝るついでとばかりに髪型を褒めてくれた。
ねじりながらハーフアップにした髪をもらったバレッタで留めているだけだが、褒められると悪い気はしない。
バレッタのお陰ですよと笑うと、許されたと思ったのか先輩も笑った。
バレッタには送信機能はあっても受信機能はない。
バレッタを貰う際に連絡先は交換しているから、別にバレッタを使う必要はない。
けれど秘密めいたそのやりとりは、少し楽しかった。
◆◆◆
その日の放課後も、変わらず情報収集をしていた。
メモとレコーダーを持って、一人で校舎を駆け回る。
ポケットに入っている在学生の一覧は、半分くらいにチェックを付けられただろうか。
帝国学園の校舎は、一年から三年までのクラス教室や職員室がある教室棟と、音楽室やコンピューター室、生物室や文系の部室がある専門棟に分かれている。
教室棟と専門棟の間は、各階ともに渡り廊下で繋がっていて、外に出ずに行き来することが出来るのだ。
文芸部の人たちに話を聞き終えた私は、教室棟に戻るために渡り廊下を目指して歩いていた。
もう陽もだいぶ傾き、廊下に差し込む光は橙色だった。
節電のためか少し薄暗い渡り廊下で、向こうから歩いてきたのはユキちゃん先生だった。
先生は私に気付くと、声をかけてきた。
「調査は、進んでいますか?」
「え?」
「調べているのでしょう? 下着が切り取られた事件」
「どうして……」
「いえ、私も相談されたことがあるんです。でもどうしようもできなくて……」
この人に、被害者が相談?
その疑問に対する答えは、私の脳内でパズルのように組み上がっていった。
あの時、谷倉先輩は先生と何を話していたのか。
授業の質問などではなく、この事件のことを話していたのでは?
教師という立場なら、私の調査状況を聞き出せるかもしれないと思って。
谷倉先輩は鴨宮新と親しげだった。
あの時はどっちつかずなことを言っていたけれど、内心では向こうの味方だったら?
私の調査状況を、あの男にリークするつもりなのではないか。
あわよくば私から有力な情報を聞き出して、先に事件を解決させるつもりなのではないか。
そんな考えが頭の中を埋め尽くし、とっさに出た言葉はあまりにもお粗末な嘘だった。
「私、もう犯人分かりましたから。安心してください」
「え?」
何も分かっていないのに。
今まで話を聞いた人たちの中に、確かに被害者はいた。
けれど彼女たちの話を聞いたところで、何も分からなかった。
ただ、悔しかった。
彼女は何も分かっていませんでしたよ、なんて、報告されたくなかった。
思われたくなかった。
谷倉先輩に、鴨宮に、お姉様に。
だから、とっさに吐いた嘘。
何を言っているんですか、と。
それなら犯人が誰なのか教えて下さい、と。
そう聞き返されたらすぐに嘘だとバレてしまうくらいに、お粗末な嘘だった。
嘘だったのに。
その嘘は、吐いてはいけなかった。
あまりにも致命的な、ミスだった。
違和感に気付いた時にはもう遅かった。
壁に押し付けられ、胸を圧迫される。
抵抗なんてできなかったし、したとしても勝てる見込みはなかっただろう。
私は、意識を手放した。
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