第3話 源さんからの呼び出し

 何とか入学式が終了し、ピンルームを出た僕は既にヘトヘトだった。

 おかしい。

 僕はただ、壇上の人に照明を当ててさえいれば良かったはずなのに、どうしてこんなにも精神ダメージを受けているんだ……。


 片付けに駆り出された生徒たちと、指示を出す先生たちの間をすり抜け、体育館を出た。

 さわさわと桜を揺らす風が僕の髪の毛をなびかせる。

 少し伸びた前髪が顔を撫でるのがむず痒く、家に帰ったら切ろうと思いながら教室に向かった。


 帝国学園は一般クラスと特進クラスに分かれている。

 一般クラスでは年度始めにランダムにクラス替えがなされるらしいが、特進クラスはそうではない。

 定期テストの結果が発表される度に、成績順にクラス替えがなされるのである。

 先ほども言ったが、空園女史は入学してから一度も総合順位一位の座を譲ったことはない。


 そしてそれは、僕にも言えることだった。


 僕と空園女史は、常に全教科満点を叩き出す、帝国学園の首席生徒なのだ。

 何なら五十音順に名前が載る為、僕の名前の方が先に来るくらいである。

 僕は表舞台に立ちたくないので、代表とかそういう物は全て空園女史に任せているが。


 僕の両親はと言えば、一年生が終わる頃に空園女史がうちに来たことを皮切りに、僕への態度を一新させていた。

 それまでは僕の成績にも興味を示さなかったくせに、今では我が家の秀才だの何だのと持ち上げてくる始末。

 「美鶴ちゃんとはいつ結婚するの?」などと聞いてくる母親の目は現金のことしか考えていないものだった。


 僕はますます両親が嫌いになった。

 空園女史はそんな僕を見て、「婿養子に来ればいいのです」と言っていたような気がするが、きっと空耳だろう。


 僕は二年生の教室の並ぶフロア、階段から一番近い位置にある“特一”と書かれた教室の扉を開けた。

 中央の一番先頭が成績首位の席であり、当然のように僕と空園女史の席は隣同士並んでいる。

 窓側の席には既に空園女史が腰掛けていて、僕を見てにこりと笑った。



「何だか、大変な入学式でしたね」


「……あの、君も大概だからね? どうして何も知らない新入生に“何でも解決するマン”の話をするんだよ!」


「あら、だって最重要事項でしょう?」


「そんな訳あるかい! というか、僕もうパシられなくなったんだから“何でも解決するマン”名乗らなくてもいいんだけど」


「何を言いますか! 貴方がいなくなったら誰が学園の平和を守るのです!」


「……楽しんでるでしょ」


「ええ」


「いい笑顔で言わないで!」


「だってしんちゃんと一緒に皆さんのお悩みを解決するの、楽しいのですもの〜」



 そう言われると、弱い。

 僕だって、自分の能力が人の役に立っている現状が楽しくないかと言われると、ちょっと楽しいからである。

 それに最近では、面と向かって礼を言われることも多くなってきた。

 心のこもった感謝の言葉をもらうことが、こんなにも嬉しいことだとは知らなかった。

 自分が陽の当たる場所にいてもいいのだと、そう言われている気がして。


 でも、それを空園女史に知られるのは少し、いや、かなり恥ずかしい。

 だから僕は今日も“何でも解決するマン”を名乗るのだ。



「あらたーいるかー?」



 ガラガラと教室の扉を開けて姿を現したのは、今日も竜頭之池りゅうずのいけで花見酒を楽しんでいるはずの源さんだった。

 源さんは僕を見つけると、教室内へ入ってくる。


 源さんはトレードマークの白のタンクトップの上に革ジャンを羽織り、作業員のようなダボっとした黒いズボンを履いている。

 まるで大工のような出で立ちだが、実は某有名企業の代表取締役だった人なのだ。

 引退した今は、趣味の日曜大工に精を出しすぎて、ご覧のありさまである。



「源さん。どうかしました?」


「おう、ちょっと相談したいことがな。一緒に来てくれるか」


「分かりました」



 僕は二つ返事で了承する。

 源さんは元々空園女史の顔見知りだったのだが、彼の息子(即ち、現代表取締役)の頭を悩ませていた横領の噂の出処でどころ、そして横領の犯人を突き止めてからは僕のことも何かと可愛がってくれている。

 この間は自室に置くサイドテーブルも作ってもらってしまったくらいだ。


 僕が立ち上がり荷物を持つと、空園女史が隣に並んだ。

 しかし、源さんは眉間にしわを寄せて首を横に振ったのだった。



「美鶴ちゃん、お前さんは来ない方がいい」


「どうして?」


「どうしてもだ。新、借りてくぞ」


「じゃ、じゃあ、空園くん、また明日」



 不満げに頬を膨らませる空園女史を残し、僕は源さんと並んで教室を出た。

 どうして空園女史が来ない方がいいのかは分からないが、説明できる類の物であったならば明日以降、僕の言葉で説明してあげようと思う。


 源さんは少し困ったような表情を浮かべたまま、黙って敷地内を進んでいく。

 方向的にどうやら竜頭之池方面に向かおうとしているらしい。



「池の周り、森林公園みたいになってるだろ?」


「はい」



 竜頭之池の周囲は舗装されており、早朝は犬の散歩やランニングを楽しむ人が多く見られる。

 その舗装された道をぐるりと囲むようにナラの木などの樹木が植えられ、森林浴ができるように散歩道が作られているのだ。

 ところどころ広場のように開けた場所もあり、そこではラジオ体操や太極拳が定期的に行われている。

 僕も早く目が覚めた時などは飛び込みでラジオ体操に参加したりしていた。

 更に学園から離れれば、小さめだが植物園もある。

 僕は見たことがないが、リスなんかもいるらしい。見たい。



「さっきな、猫が死んでたんだ」


「え?」


「耳が欠けてて首輪をしてなかったから、去勢済みの野良猫なんだと思うんだけどよ」


「……毒ですか」


「そうだ。餌の入ったプラスチック容器が近くにあった。同じような餌が、他の場所にもあるんじゃないかと思ってよ」


「分かりました、気にして見てみます」



 なるほど。

 毒入りの餌を見付ける時に、死んでいる猫がいないとも限らない。

 僕は僕の苗字から取られた『かも』という名の猫を思い出す。

 谷倉氏に拾われた子猫は、今では空園家でのびのびと優雅な飼い猫ライフを送っている。

 文字通り猫可愛がりしている空園女史に、猫の死体はあまりにもショッキングだろう。


 僕は源さんの気遣いに感謝しつつ、桜並木を横に折れて竜頭之池周りの植え込みに視線を巡らせた。

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