09.

 無機質な部屋の白壁が、庸介にはひどく黄ばんだように感じられる。

 おそらく、疲れた心がそう感じさせているだけだろうが。


「夢は現実であった通りにしか、再生されないのか?」

「そんなことはないですよ。ただ、記憶が強烈に残っているほど、変化しにくいみたいです」


 なるほど、それでは改変しにくいだろうと庸介は目を閉じる。

 だが、不可能ではない。


「もう一度。さっきと同じ夢を試そう」

「楢浜さん――」

「今と同じ設定で繰り返させてくれ」

「何の記憶だったのか、教えてください」


 それを聞くまで、実験を中断すると言う。

 妻が轢き殺される思い出だった、そう正直に告げても実験は終了するだろう。

 嘘で誤魔化そうとした庸介に、赤嶺はわざとらしく溜め息をついた。


「五度も緊急離脱するのは異常です。あなたはどの時代へ跳んでも、トラウマから逃れられない。違いますか?」

「そんな深刻な話じゃないんだ。慣れれば乗り越えられる。次は上手く――」

「楢浜さん!」


 低活性保存を実用化しようとしたら、将来的には心的外傷を負った者も受け入れられるようにすべきだ。

 しかし、それはまだ先のこと。現在の段階では、システムの有効性を証明するのが優先される。

 庸介のような重症者を相手にするには、まだまだ知識も経験も足りていないのだと赤嶺は諭した。


「……妻を亡くしたんだ」

「既婚でしたか。それは、まあ、ご愁傷様です」

「なあ、あんたも医者だろ?」

「免許は持っていますが、今は専任の研究者ですよ」

「人を助けたいって選んだ仕事なら、同じことだ。俺を治してくれ」


 妻の事故を、これまでの実験中に経験した記憶を、庸介は洗いざらいぶち撒ける。

 途中で遮られることも予期したが、早口で捲し立てる彼に赤嶺は最後まで口を挟まなかった。


 全てを話した上で、彼は改めて訴える。

 これまで自分は逃げてきた。半覚醒の世界でなら、過去に何度でも対峙出来る。克服するまで、挑戦させてほしい、と。

 スティミュレーターが邪魔でロクに頭も下げられなかったが、庸介は愚直に説得を続けた。


「もう何もかもがイヤになってたんだ。それが、このカプセルを使えば妻に会える。事故から救うことだって可能だし、言いたいことは全部話せる」

「そんなことをしたって、過去を変えられるわけじゃありませんよ?」

「分かってる、自分のためだ。納得したいんだよ。延々とやり直せば、きっと受け入れられると思うんだ」


 これが成功すれば、半覚醒は精神治療に有効だとも証明される。

 副次的な産物だろうが、それも立派な業績だと庸介は主張する。屁理屈ではあっても、嘘ではなかろう。


 切々と妻との結婚生活も語り、赤嶺の情にすがって承諾を促す。

 実験の本分を曲げて認めろとうのだ、赤嶺もそう簡単には頷かない。

 責任は自分にある、赤嶺には迷惑をかけないと言ったところで、眼鏡の研究者は皮相な笑みを見せた。


「責任者は私です。どうやったって私が問責される」

「申し訳ない。証言でも擁護でも、必要なら何でもやるから」

「厄介な人を担当してしまいましたね。だけどこれも巡り合わせかな」

「じゃあ!」

「私は精神医学も学びました。それを踏まえて忠告しますが、事故を何回も再体験するのはお勧めしかねます。余計に深く、悪夢を心に刻みつけてしまう」

「それを乗り越えなければ、意味はないだろ」

「あなたに必要なのは受け入れること、そうご自分でも仰ったでしょう? まず、受け入れた自分を想像してください」

「具体的には?」


 妻が逝ってからの過去を再演し、そこでまず自己を確立しろと言われる。

 サルメを経験した庸介は、結果、今までになく前向きな心持ちを得た。

 この意志を強く持ったまま、喪失後の世界を生きてみろというアドバイスだった。


「それを経て、徐々に過去へ遡って行きましょう。事故は後回しがいいですね」


 まどろっこしいが、赤嶺が付き合ってくれるなら庸介にも否はない。

 彼が身を横たえると、タブレットを持った赤嶺は、最近の記憶に限定するよう機器を設定していった。

 いつもより時間を掛けて準備した後、いつものセリフが告げられる。


「あなたの思う〝緊急装置〟を強くイメージしてください」

「オーケ――」


 赤嶺へ視線を遣った庸介は、研究員の手に乗せられた物体に言葉を失った。

 身体を起こし、彼と赤嶺はお互いの目を覗き込む。


「何か不都合でもありましたか?」

「……ああ。大有りだよ。不都合しか無い」


 何度この茶番を繰り返したのか。

 撹拌された髄液が、大雨となって大脳へ降りかかった。

 雨は痛みを引き寄せ、痛みは彼を囚える。


 五回? 六回? いや、と頭の中で指を折り、八回目だと結論付けた。

 IDチェック後に入室、服を脱いで洗浄と殺菌、カプセルへ入って説明を受け、ジェルの感触に辟易する――。


 いつも最初は高校の試験だ。

 サルメ当日の行動を、もう庸介は八回も繰り返した。


 半日だけの実験なら、とっくにタイムオーバーになっていておかしくない時間は経つ。

 赤嶺が、本物・・の赤嶺が操作して起こしてくれるだろう。


 ジャーキング現象が引き起こした後付けならどうか。

 刹那に構築された偽経験は、一体いつまで続くものなのか。


 答えを知りたければ、押し続けるだけだ。

 願わくば、その果てに光があらんことを。

 赤以外の色が、自分を迎えてくれることを。


 赤嶺が持つボタンは、妻の手に握られたものと同じ大きさだった。

 色も目に刺さるように赤い。


 庸介はおもむろに手を伸ばし、血溜まりを連想させるボタンを静かに押し込んだ。







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