04.

 だと言うのに、なぜ神経を苛む過去に立ち返らされたのかと憤る。

 自分の置かれた状況を把握し直せた庸介は、傍らに立つ赤嶺へ非難の声を上げた。


「低活性中は、平穏な夢を見て過ごすんじゃないのか? 高校での失敗を再体験させられたぞ」

「大脳皮質を刺激して、あなたの記憶を引き出しています。そりゃ少しは嫌な思い出もあるでしょう。概ね人生を繰り返すわけですし、懐かしいでしょ?」

「懐かしいけれど、あれはトラウマに近い。数学で落第点を取った記憶だ」

「本当のトラウマなら、精神鑑定で引っ掛かってますよ。第一――」


 赤嶺は近くのテーブルから端末タブレットを取り、画面を指で弾いた。

 庸介のプロフィールを確認したのだろう、向き直った顔には作り笑いが浮かぶ。


「――今じゃ将来の次官候補じゃないですか。エリートコースのあなたにすれば、赤点くらい笑い話でしょうに」

「そうかもしれんが……」

「同じ場所は刺激しないように設定します。次は高校時代は避けるので大丈夫ですよ」


 庸介の頭には、スティミュレイターと呼ばれるリングが固定されていた。

 リングの内側には細かく櫛状に並んだ端子が生え、額からこめかみに掛けて軽く皮膚を刺す。


 端子の痕は実験後も半月は残るそうだが、それは彼も納得済みだ。

 スティミュレーターは頭蓋内の特定部位を刺激し、半覚醒時に見る夢をある程度コントロールする役割を担う。

 精密な時間指定は出来ずとも、一度再生された記憶部位を特定するのは可能だった。

 赤嶺の言葉を信じて、庸介は今一度カプセルへ身を沈める。


「では、諸注意を読み上げますね」

「またやるのか」

「半覚醒移行の際は、常に伝え直します。では、リラックスして聞いてください」


 半覚醒は夢と同様であり、それと自覚出来るものではない。

 万一、現実ではないと感じた場合は脳が活性化したことも有り得るため、速やかに離脱することが推奨される。


 自力で離脱するには、緊急装置を使用するべし。

 最新の記憶が収められた部位から強い信号が発せられた時は、専属研究員オペレーターが覚醒処置を行う。


「あなたの思う〝緊急装置〟を強くイメージしてください」

「オーケー」


 庸介は赤いボタンを想像し、脳へ焼き付けようと務める。

 この作業で刺激された端子の位置を赤嶺が記録して、離脱を求める信号だと判別する手筈だ。


 ボタン、スイッチ、ブザー、緊急装置の形状は何だってよかったが、消化器のボディーより濃い赤色は外せなかった。

 彼が思う緊急事態には、この色が最も相応しい。


 冷凍保存なら脳も停止しているので、こんな手続きは必要無い。

 低活性ながら、脳は下手をしたら何年も起きたまま過ごす。

 実験だと半日で終了するが、実際に運営が始まったら何年とこの状態が継続するだろう。


 肉体は保たれても、人の精神は脆い。

 長時間、無為に虚空を漂わせると、どんな精神障害を招くか分からない。

 そこで研究者が考案した対応策が、被験者の記憶を利用して人造の夢を見せる、というものだった。


 事前に教えられた通り、夢は没入感が強く、彼はこれが現実だと錯覚する。

 装置が見せる夢だと気づいたのは、もうテスト時間が終わろうとするギリギリのタイミングだった。

 助けを求める焦りが、赤いボタンを現出させる。

 さすがに緊急装置を見れば、自分が夢の中にいると思い出せた。

 赤嶺によって、テキパキとマウスピースを装着させられる。


「維持液を注入します。力を抜き、一息で飲み込んでください」


 もう返事が出来ない庸介は黙って目を閉じ、チューブから押し寄せる液体に身構えた。

 この瞬間が、被験者には最もキツい。

 どれだけ頭で理解していても、溺死すると身体が拒絶してしまう。


 カプセルのキャノピーが閉じ、ピンクのジェルが四方から流れ込む。

 彼の身体が、ゆっくりと浮いて底から離れた。


 次いで維持液が注入されると庸介は激しく痙攣したものの、維持液の鎮静効果も高い。

 すぐに彼の意識は途切れ、手足の力も抜ける。

 暗転、そして半覚醒という夢へ。


 二つ目の夢は、先より古い中学生の夏休みだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る