02.

 少しくらい自惚れても、罰は当たらないだろう。

 美緒さんと俺の相性は抜群だった。


 水族館からの帰りに次のデートを申し込むと、彼女はすんなりオーケーする。


「やっぱり見てて気持ちいい。ぷかぷか雲が浮かんでるみたい」


 クラゲ水槽の前で、彼女はしばらく陶然と刺胞動物の群れに魅入る。

 うっとりと呆けた様も、美緒さんなら妖精のようで可愛らしい。

 そのまま感想を口にすると、いくらなんでも褒め過ぎだと彼女は口を尖らせた。

 その仕草がまたもう――。


「クラゲ見てる?」

「見てるよ!」

「ホントかなあ」

「クラゲって海に月とも書くじゃん? 空は空でも、夜空にも見えるよね」

「あー、なるほど。月っていうか、星ね」


 じゃあ、今度は夜景を見よう、なんて彼女が提案する。

 また会う約束をどうやって切り出そうかと悩んでいた俺には、渡りに船の言葉だった。


 実のところ、休日も仕事で潰れやすい美緒との待ち合わせは、夜の方が都合良い。

 夜景でもディナーでも何だって嬉しいものの、いきなり夜デートは警戒されるかなって考えたため、彼女から言い出してくれたのは助かった。

 以降、会えば次に行きたいところを相談するのが決まり事になって、毎週のように顔を合わせる。

 メッセージのやり取りも頻度を増し、半年経った頃には暇を見つけてはスマホをいじくって会話を交わすように。


 彼女が夜勤の時は、俺が会社から電話して起こす役を務めた。

 逆に、朝は彼女からの電話で起床することも多く、恋人になれたんだとジワジワ実感が湧いてくる。


 手を繋いで歩くようになったのもこの時期から。

 大事な人だったから、少々ヘタレ気味に距離を縮めていく。おかげでなかなか恋人関係は進展しなかったが、俺たちはそれでいい。

 会えば楽しそうにはしゃいでくれているのだから、心配は無用だと自分に言い聞かせる。


 クリスマスにはプレゼントを交換したし、桜を一緒に見に行き、夏祭りにも出掛けた。

 浴衣の美緒は、天使から女神にクラスチェンジする。

 なんとかのみこととか、そういうやつ。


「いっつもオーバーねえ」

「本気だよ?」

「だからって、女神扱いは少し寂しいよ?」

「えっ、ごめん……」

「少しくらい強引でいいのに。そう言えばさ……」

「なに?」

「部屋の掃除、頑張っちゃった。ピカピカ。見たい?」

「……うん!」


 先に彼女から言わせるなんて、よくないよな。

 だからこそ、その続きは自分が頑張ろうと決心する。


 プロポーズ。そう、プロポーズには人生最大の勇気が要求された。

 結婚を意識し始めたのは知り合って一年目くらいの頃で、実際に口にしたのは二年半が経った秋のこと。

 一年半近くも根性を見せられなかったわけで、彼女には申し訳なかった。


 結婚したい、彼女と一生を共にしたいと、その想いは深まるばかり。

 なのに、断られたらどうしようとか、そんな逡巡ばかりする自分の弱気が嫌になる。

 今さら美緒以外の女性と付き合う気は起きないし、彼女に拒絶されたら結婚出来なくてもよかった。

 まあおそらく、プロポーズに失敗したときは、三回くらい再チャレンジしただろうけどね。


 奥山のドライブウェイを走り、辿り着いた展望台で彼女と向かい合う。

 言いたいことがあると告げたら、美緒はじっと俺が口を開くのを待ってくれた。

 印になるものが必要だろうと、貯金をはたいて指輪も用意したし、前日は自室で予行演習もしている。

 ここぞという場面で噛むとか、もう二度と御免だ。

 紅く色づいた山を背景にして、小さな化粧箱を差し出す。


「結婚してください!」


 少し考えさせて、が俺の第一予想。突然言われても困る、が二番目。

 無言で固まる、はちょっと想定外だった。

 たぶん十秒も経っていない。だけど、俺には何十分にも感じる思い沈黙が続き、プレッシャーに胸が潰されそうになる。

 何か言わなきゃ。返事はあとでいい、とか。

 汗は噴き出しても、言葉は喉で止まる。どうするのが正解なんだ。全然分からない。


「う、うぅ……」


 なんとか呻いた俺へ、美緒がぴょんと跳んで抱き着いた。

 物凄い勢いだったから、力を受け流すのにその場でくるくる回ったっけ。社交ダンスみたいだった。

 キスの嵐が彼女の返事だ。


 翌の春、式を挙げた俺たちを、皆が盛大に祝福してくれる。

 お互い仕事は続けると決め、生活リズムはそのままに、マンションでの同居が始まった。

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