02. 休戦といこう

 双方が睨み合う中、夕闇が深くなり、本格的な夜が訪れる。

 どこからか涼やかな虫の音が聞こえてきた。

 蛇は仔犬の背後を一瞥して、また視線を戻す。


「おい」

「なに? 諦めた?」

「聞こえねえのかよ、あの声」

「声?」


 言われてやっと、虫が鳴くことの重大さに仔犬も気づく。

 餌だ。

 貴重な餌が近くにいる。


「休戦といこうぜ。お前も腹が減ってるだろ」

「う、うん」

「早い者勝ちだ。獲り損ねても文句は言うなよ」


 言い終わるや否や、蛇はするりと仔犬の横を抜けて茂みの中へ突入した。

 仔犬は一瞬、耳を澄ませたあと、蛇とは別方向へ身体を向ける。

 足音を忍ばせ、精々気配を抑えて、虫の音へと少しずつ進んだ。


 幸い、虫は何匹もいるみたいで、徐々に数を増やして合唱し始める。

 これなら蛇と奪い合わずに済むかと、仔犬はちょっと安心した。

 毒を浴びた経験は無いものの、その危険は母に懇々と説かれていたから。


 リンと一際大きな鳴き声に狙いを付け、思い切って飛び掛かった。

 見えてもいない虫を捕ろうなんて、横着が過ぎる。

 だが、跳ねて逃げる黒い虫を今度は目で追えた。暗くてもこれくらいは苦にならない。


 もう一度ジャンプで虫の軌道をなぞると、見事に前脚で押さえ付けるのに成功した。

 すかさず口にくわえて、次の獲物へ首を向ける。


 追い立てれば居場所が分かると知り、そこからはぴょんぴょんと跳ね回った。

 地面を逃げ惑う虫たちを、一心不乱に捕まえては食べる。

 狩りは楽しい。

 収獲の多さに頬も緩んだ。


 黒影から黒影へ、跳んで踏んで、噛んで飲み込む。

 虫の声は、とっくに消えていた。

 草を踏み荒らす自分の音だけが野に響く。

 七匹目の虫へ飛び掛かったとき、ぐにゃりとぬるい感触が足の裏から伝わった。


「ぐえっ!」

「あっ、ごめ……」

「この野郎、俺様を踏みやがるとは――」


 蛇の文句より、虫の行方に注意が向く。

 何の加減か自分の正面へ跳んだ虫を、仔犬は上手に叩き落とした。


「お前はうるさいんだよ! 虫は鳴かなくなるし、ほとんど逃げちまったじゃないか」

「ごめん……」

「くそう、三匹で打ち止めだ。もうちょっと食えるかと思ったのに」

「……これ、あげる」

「ん?」


 仔犬は最後に捕まえた虫を、蛇の方へ差し出す。

 虫と仔犬の顔を見比べて戸惑った様子の蛇も、結局、礼を言って虫を丸呑みした。


「まあ、なんだ。そんなに悪い奴じゃなさそうだな、お前」

「動いたら、また喉が渇いてきちゃった」

「おう。飲みに戻るか」


 小池へ帰り、二匹は好きなだけ水を飲む。

 争う気はお互いに失せ、ここに来るまでの経緯を教えあった。


 蛇は元々、林に棲んでいたそうだ。

 そこも次第に餌が減り、仲間を全て亡くした際に移動を決意する。

 水が無いのは、やはり厳しい。川なり池なりがないかと彷徨さまよう内に、ここへ行き着いた。


「七日前くらいから住んでるんだけどな」

「餌は虫?」

「それよ。食べ物は少ないし、何よりこの池がなあ」

「小さいよね、ここ」

「小さくなった、だ。毎日少しずつ水が減ってるんだよ」


 明日、明後日に消える水量ではないが、雨が降らなければ早晩消えて無くなるだろうと予想される。

 蛇の言葉に、仔犬は顔をしかめた。


「やっと水を見つけたのに。なんで雨が降らないんだろう」

「神様が怒ってるからだって、爺さんが言ってたが」

「カミサマ?」

「空のずっと上に、偉い誰かが住んでるんだとよ。そいつがヘソを曲げてんだ」

「爺さんってのは、どうなったの?」

「くたばったよ。飢えてじゃなく、寿命だろうな。林のヌシみたいな大蛇だった」


 多少、自慢気に蛇は“爺さん”の思い出を語る。

 自分の身の上を話し終えると、次は仔犬が母のことを蛇に伝えた。


「そりゃあ、災難だったな……。話させてわりい」

「ヘビさんも独りなのは一緒でしょ?」

「俺たちは親と暮らさないからな。慣れてんだよ」

「ふうん」

「それより、“ヘビさん”ってのやめろよ。なんかくすぐったい」


 二人とも、名前なんて無かった。

 ヘビとイヌでも良かったのだが、仔犬は愛称で呼ぶことに決める。


「にょろにょろしてるから、ニョロね」

「あー、ま、それでいいや。じゃあ、お前は腹に白ぶちがあるから、ブチな」

「わかった。よろしく、ニョロ」


 全身が茶色い仔犬の腹には、一箇所だけ白い毛が生えていた。

 密かに自慢だった特徴を名前にされて、仔犬は嬉しそうに笑う。


 こんな土地でなければ、言葉を交わすこともなかった二匹だろう。

 不思議な縁で出会った蛇と犬は、しばし一緒に過ごすこととなった。

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