03. 紗英

 殺生は避けろと声に忠告されて、蛇は本殿から引っ越しさせることにした。

 二匹いたので、一匹ずつ山の裏手へくわえて運ぶ。


 腹は全く空かないので、飯は抜き。

 便利だと思うけど、少し寂しいな。


 この日から、めぼしい動物たちを参道や境内から離れた場所へ移動させた。

 どいつも大人しく言うことを聞いたのは、狛犬の力なのかもしれない。


 神社には紗英の他に、彼女の母親が住んでいた。

 父親を見かけないのをいぶかしんだが、数日後、二人の会話を聞いて居所を知る。

 かなり遠い場所で仕事をしているらしく、彼女たちと仲が悪いわけではないみたいだ。


 家事はもっぱら紗英が担当しており、あまり体調の良くない母親は社務所に引きこもっている。

 二人とも突然現れた狛犬像に動揺し、写真を撮りまくったり、どこぞへ電話したりと忙しかった。

 ただ、それも数日の話で、結局俺を受け入れて日常へ戻る。

 声が言うに、多少、力を使って納得させたんだとさ。


 紗英との初会合から一週間ほど経った頃、その日は外出しなかった紗英が、皿を持って狛犬像へやって来る。

 時間は昼時、皿に盛られた稲荷寿司を見て、忘れかけていた食欲が復活した。


「いつもありがとうね。あなたでしょ、転ぶ度に助けてくれてるの」


 そそっかし過ぎるんだよ、この娘は。

 境内みたいな平地で、なんで急につまづくんだか。


 像の台座に皿を置いた彼女は、いそいそと拝殿へ赴く。

 紗英は母と一緒にちがやを編み、の輪を制作中だった。

 人がくぐれる大きな草の輪っかで、この中を通るとけがれを払えるとか爺さんが言ってた。


 昔ながらに、今も作ってるんだな。

 どん臭いくせに、輪を編むのは手慣れたもんだ。

 こいつも毎年手伝っているんだろう。

 ここずっと参拝客なんて見ないけれど、年に一回やる茅の輪くぐりの行事には人が集まるらしい。


 爺さんの頃を思い返しつつ、そっと石像から抜け出る。

 台座を支えにして後ろ脚で立ち、艶やかな稲荷寿司へ大口を開けた――その時。


 油断大敵とは、まさにこのこと。

 横手から、カチャリと妙な音が響く。

 音へ顔を向けると、不敵に笑う紗英がいた。


「撮ったあぁっ!」


 上がる雄叫びを聞いて、口から寿司がこぼれ落ちる。

 やっちまった。

 食い物で隙を突くとは、卑劣なり。


 今さら隠れても無駄か。

 紗英は俺の前まで走り寄り、手元のカメラだか電話だかよく分からん機械へ目線を下げる。


「バッチリ撮っちゃったもんね。白黒の毛だから名前はパンダ、いやブチ……あれ?」


 一緒、固まった彼女は、機械を指で連打し始める。

 パシャパシャと写真を撮っているみたいだが、撮るほどに紗英の顔が曇った。


「なんでえ!? ブチが撮れない!」


 ほう、俺は写真に写らないのか。


『ほとんどの人には、目でも見えません。彼女は特別なんです』


 巫女だから、かな。

 とりあえず唸る紗英は放置して、稲荷寿司をガツガツと頬張った。

 美味い。

 ちゃんと皿に乗った飯は、余計に美味く感じるなあ。

 さて、石に帰ろう。


「ちょっと、なに悠々と食べ切ってんのよ!」


 食べ物をくれた者には、礼を尽くすべし。

 一声唸り……、そしてやっぱり石へ。


「待って! 待ってってばあ!」


 人語は喋れないからな、悪く思うなよ。

 元通り、狛犬像へ納まった俺へすがるように、紗英は台座へしがみついた。


「あなた、神様なんでしょ? 神社を助けに来てくれたんでしょ?」


 違うね。神様なんて人間の想像したお話だろ。

 そんな奴はいない――たぶん?

 クスクスと笑う声が聞こえた気がしたけれど、無視しておく。


「ねえ、うちの神社、お金が無いのよ。貧乏なの……」


 あの博打馬鹿の所業は、紗英の代に至ってもまだ生活を圧迫していた。

 補修の金も用意出来ないし、母の入院費にも事欠く始末だと彼女は訴える。


 聞いて気分の良い話ではない。

 神社の将来は暗澹たるものだとも言える。

 だからって、俺に何がやれる?


「今度の茅の輪くぐりには、人が沢山来る。そこでこう、神様の力をちょびっとね? ちょっとだけでいいから、見せてもらえないかなあ」


 よかろう、我の力を少しばかり貸して……やれるか!

 何をしろっていうんだ。

 蛇退治くらいしか出来ないって。


 勝手に話を進めた挙げ句、紗英はうんうんと独り頷き、作業へと戻って行った。

 俺が承知したと、思い込んでやがる。

 がっかりしなければいいが、と心配する俺を余所よそにして茅の輪は完成し、また一週間が過ぎた。

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