狛犬はじめました
01. 俺は野良だ
俺は野良だ。
それがまあ、
街の真ん中に、ぽつんと緑が茂る丘が在る。
人間の呼び方で、
その丘の上に建つのが間奈神社だ。
古い
家じゃなくて社務所だったか、ともかくその建物だって汚い木造だけども。
灯籠は崩れたままだし、本殿の瓦が何枚も割れているせいで雨漏りは必至。
ん、なんで俺はここに来たのか、か。
そりゃやっぱり懐かしいし、最期はこの神社だって思ったからだな。
ずっと昔、俺はここの神主に飼われていた。
飯をたらふく食わせてくれる、いい奴だったよ。
大事にされているのはよく伝わったから、俺もお返しに爺さんの世話を焼いてやった。
朝起こしたり、夜中に来た泥棒を追い払ったり。
嬉しそうに目を細める顔を、今もよく覚えている。
でも、爺さんは俺より早く、ぽっくり逝っちまった。
自分でも死期が近いのを知っていたんだと思う。
亡くなる一週間ほど前、俺の背中を撫でながら、爺さんはこう言った。
“わしが死んだら、神社を頼む”
何をしろってんだ。番犬役が精々ってとこだぞ。
それでも爺さんの頼みだからな、代わりに神社の行く末を見届けてやろうって決めたわけよ。
その生涯で一回だけ、爺さんが俺と交わした約束だから。
それが、あの馬鹿息子め。
新しく神主になった息子は、金にがめついクズだった。
俺の食事は残飯に格下げされ、寝てるところを蹴られたこともある。
また外したとか、金を寄越せだとか、しょっちゅう怒鳴ってたよ。
先代には恩があっても、こんな馬鹿に付き合うのはゴメンだ。
俺は後ろ髪を引かれる思いで神社を飛び出し、野良として生きることにした。
ゴミを漁るのは辛かったが、残飯と変わりやしない。
すぐに慣れると、悠々自適な生活も悪くなく感じ始める。
もちろん、野良の新参者を嫌う連中もいた。
ここは俺たちの縄張りだって、ワンワンキャンキャンうるさいんだ。
こう見えて、俺も腕っ節には自信がある。
適当にあしらいつつ、たまに
でもなあ、たまには美味い飯を食いてえよなあ。
悪くない生活でも、不満は出て来る。
あれこれ思い出すことも。
朝の河原を散歩していた時だ。間奈山が見えるコースを辿る、俺の日課だ。
いい加減、山へ帰るべきか――ぼうっと爺さんとの約束を思い出していたのが、マズかった。
日頃から俺を鬱陶しく思っていた奴らが、手を組んで待ち伏せしていたらしい。
一匹ずつなら負けないが、如何せん相手の数が多かった。
三十匹くらいいたんじゃないのか?
いくら俺に煮え湯を飲まされ続けたからと言って、よくもまあ、そんなに集めたもんだ。
縦横無尽に跳ね回り、片っ端から喉元に噛み付いてやった。
半分も血まみれにすると、残りの連中は恐れをなして逃げていく。
所詮、雑魚が固まっても雑魚。だけどその雑魚の意地は、確実に俺の身へ届いた。
奴らの牙は俺の腹の中まで貫き、燃えるように熱い。
前脚だって、誰が流したものか分からない血で真っ赤だ。
自慢の毛並みを台無しにされたのは腹が立つが、これ以上争う気力が湧かなかった。
未だ河原に転がって呻く馬鹿共へ尻を向けて、上流に掛かる橋を目指す。
赤く染まった姿を人間に見つかったら、ぎゃあぎゃあと騒ぐからな。
あいつらは、血が嫌いなんだろう。
もうすぐ街には人と車が溢れ出す。
人の目を避けるのに適した場所は、ずっと近寄るのを敬遠してきた間奈山しかなかった。
山裾の鳥居までは走れた俺も、石段では何度も足が止まる。
体が重く、腹の痛みは増すばかりだ。
これが野良の末路か。
待たせたな、爺さん。俺もそっちへ行かせてもらおう。
約束は果たせなかったけど、最期くらいは神社を見ておかないと。
脚を引きずって上り切った先に、小汚い社が現れる。
久々に訪れた間奈神社は、以前にも増して寂れていた。
手前に拝殿、奥に本殿、左に社務所の三棟が在り、どれも屋根が
こりゃあ、雨漏りは相当酷くなってそうだな。
石灯籠は全て倒壊したようで、土台だけが虚しく
出て行った際はまだマシだった社務所も、煤でも被ったかの如く黒い。
境内に敷き詰めた玉砂利は薄く、所々下の土が覗く。
雑草は生えていないので、掃除はしているみたいだが。
拝殿の扉は開けっ放しにされており、がらんと何も無い中へ入るかのは簡単だろう。
だがボロボロの神社と言えど、血で汚すのは
その縁の下へ潜り、少し進んで腹を庇うように身を屈める。
背中を丸めた俺は、目を閉じて眠ることにした。
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