3. 事故

 世界でもトップクラスの工作機械製造会社カディテック、ここがメセナ事業の一つとして建てた芸術振興施設が、カディテックセンターだ。

 大小六つのホールでは、演劇やコンサートが常に催されている。


 その小ホールの一つで、ライブペインティングのイベントが予定された。

 新進気鋭の芸術家、新田にった陽治ようじを呼び、観衆の前で大作を制作してもらおうというものである。


 彼はホールの床にキャンバスを広げて、その上にインクを撒き、幅五メートルに及ぶ作品を二日で完成させるはずだった。

 ところが、設営準備中に事故が発生し、イベントは中止される。これが五日前、先週木曜日のことだ。

 一人が落下事故で重傷を負ったと、矢崎も報道を耳にしていた。


「被害者は新田のアシスタント、確か名前は……」

関根せきね駿次郎しゅんじろう、三十六歳。新田の四つ下で、十年来のパートナーだそうだ」

「彼の怪我は酷いのかい?」

「亡くなったよ。二日前にな」


 会場にはパイプでアーチ状の足場が組まれ、インクはその上部から噴射される手筈だった。

 この描画システムが、桂木はポロックに似ていると言う。


 前世紀の画家は、バケツやブラシを使って絵を描いた。

 新田はもっとハイテクで、三メートルの高さから顔料インクを射出機イジェクターで吹き付ける。

 射出機はコンピューター制御され、遠隔操作で微調整もできる仕組みだ。


「新田の作品は、ボクも見たことがある。ポロックと違って、ある程度モチーフに沿った絵だった」

「俺も画集を見たよ。点でぼんやり顔とか動物を描くんだよな」

「そう、点描に近いね。でも、高さがあるから狙いがズレやすい。微妙に抽象画みたいになるわけさ」


 カディテックが後援する芸術家を公募した際に、新田はこの射出機を提案した。

 案は採用され、当時はまだカディテック社員だった関根が担当者となる。


 先端技術と芸術との融合は話題性が高く、パフォーマンスとしても面白い。

 インクジェットプリンターの技術を援用することで、新田が希望する機器は実現した。

 会社の積極的な宣伝もあって作品は話題を集め、新田は人気アーティストの地位を確立する。


「関根は七年前に退職し、以降は新田と組んで活動していた。今回のイベントでも、二人で準備と実演を行う予定だったそうだ」

「事故の経緯は?」

「足場を組み終わり、射出機を設置した直後、新田が位置を調整し直すと言って上へ登った」


 現場にいたのは新田の他、ホールの職員が二人だけ。

 設置を手伝った外部業者と一緒に、関根は外へ出て撤収時の打ち合わせをしていた。


 新田は足場の上に着いた途端、立ちくらんで身動きが取れなくなってしまう。

 しゃがみ込み、パイプを握って脂汗を流す彼を見て、戻ってきた関根が走った。

 馬鹿野郎と怒鳴りながら自分も登り、新田の身体に取り付く。


 彼らがもつれ合うように互いの腕を掴んだ瞬間、関根は落下し、背中と後頭部を強打したそうだ。

 二人とも入院し、重要参考人として新田は警察病院へ移送された。


「新田が動かなくなった時、職員が助けを呼んだの?」

「いや、関根が叫ぶまで異変に気づかなかったとか」

「落下の原因は?」

「新田に掴まれてバランスを崩した、かな。職員の一人は新田が押したように見えたと言うが、もう一人は関根が無理に身体を捻ったせいだとも証言してる」

「矛盾だらけだね」


 矢崎の感想に、桂木も我が意を得たりとばかりに頷く。

 不慮の事故と言うには、不自然な点が多い。


 仕事柄、桂木は真っ先に殺人の可能性を考慮した。

 しかし、故意の犯罪とするには、これまた決め手に欠ける事案だ。


「三メートルの高さだと、必ずしも相手が死ぬとは限らねえ。関根が助けに上がる必然も無い」

「たまたま好都合な状況になった、だから落とした。とすると?」

「衝動的な加害行為ってわけだ。それだと次は、強い動機が要る」


 二人は和気藹々と準備作業に取り組んでいた、そう職員たちは言う。

 まだ関係者全員の聴取は済んでいないが、大方の証言だと新田たちの仲は良好だったようだ。


「だからって、人間、急に相手を恨むこともあるからな。新田が容疑者には違いない」


 過失致死の線で捜査を進め、新田にはまだしばらく離県しないように要請した。

 彼も反発はせず、退院の引き延ばしを受け入れたそうだ。


 関根の死が実感されてくると、新田は相当なショックを受けた素振りを見せる。食事を残すようになり、不眠の悩みを訴えているらしい。

 これが演技かは、桂木にも判断がつきかねた。


「喧嘩や口論をしていなかったか、聞き込み中だ。立件は難しそうだが」

「……故意だと思う」

「金銭か女、或いは仕事上のトラブルか」

「偶発的な事故じゃなさそうだよ」


 刑事は眉を上げ、対面に座り直した友人を見つめる。

 人差し指を立てた矢崎は、生徒に教えるが如く疑問点を並べていった。


「なぜ職員は、自分たちで新田を助けようと思わなかったのか」

「気づかなかったからだな」

「黙ってしゃがんでただけではね。じゃあ次に、どうして関根は即座に反応したのか?」

「そいつは……、うーん」


 他人に指示も出さず、新田に状況を尋ねることもせず、関根は一人で足場へ登る。

 彼にはそうするだけの理由があったはずだ。


「新田を調べるのは当然だろうけど、関根も調査すべきだね」

「そりゃあするさ。二人がどんな様子だったかを、聞いて回るつもりだ」

「過去も。彼らが知り合う前から始まって、徹底的に」


 矢崎の推理を問うても、現時点では教えてはくれない。

 しかしながら、この指摘にこそ真相の鍵がある――そう方針を固めるほどに、桂木は彼を信用していた。


「よかろう。新田の聴取は他の者に任せる。俺は泊まりで出張だな」

「ボクも調べておくよ。修復の合間に」


 一体何を調べるつもりなのか甚だ疑問に思いつつも、桂木は軽く礼を述べて退出する。

 新田が本拠地とする神戸を目指し、彼はその日の内に新幹線へ乗った。

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