4. 唸り

 薪を拾い上げ、両手で掴んで玄関を睨む。

 得体の知れないノックは、その後も三回ほど響き、そこで止んだ。時間にすれば十分未満だ。


 五分ほど静寂が続いた頃、私もやっと肩の力を抜く。

 いい加減、諦めてくれたことを願う。何者かは分からず仕舞いだけど。


 この家の出入り口は正面の玄関だけであり、他に裏口みたいな侵入路は存在しない。

 鉄格子に嵌め殺しの窓が、こうなると力強い。扉さえ見守れば、知らぬ間に入ってこられたりはしまい。


 少し落ち着けば、護身用に薪を選んだ自分に苦笑いが浮かぶ。これで暴漢を殴れたら苦労は無い。

 薪を暖炉へ投げ入れ、替わりに火掻きを手に取った。


 木製の柄にそこそこ太い鉄の棒が挿された火掻きは、薪よりもずっと長い。

 自分が闘う姿は想像しにくいけれど、少しでも離れて撃退出来そうなのが嬉しかった。


 ついでに暖炉内の灰を端に集め、葉っぱを数枚投入する。

 縁がトゲだった葉は、何の木だったろう。クリスマスによく見る葉なので、お守り的な意味合いもありそうだ。


 椅子を玄関へ向け直し、浅く腰を下ろす。

 皿も洗わずに、周囲の物音を聞き漏らさないよう息を詰めた。


 燃える薪がたまにパチンと鳴る以外は、自分の鼓動が感じられるほどに静かだ。

 あとは通風孔から伝わる風鳴りくらいか。


 これだけ集中すれば、かすかな低音も聞こえる。

 外は荒れてきたらしい。天井から断続的に響くコーコーと虚ろな音は、獣の遠吠えにも似ていた。


 ……獣?


 上がり口へ走った私は、もどかしい思いでスニーカーを脱ぎ、居間へと急ぐ。

 障子を勢いよく開き、闇深い外を見回した。


 想像以上に雪が勢いを増しており、見通しはかなり悪い。

 深々と降り落ちる粉雪は一帯を白く塗り始めていて、おそらくそのまま全てを覆い尽くすだろう。


 動く物と言えば、垂直に落ちる白雪のみ。

 時折、影が左右に駆け抜けたようにも感じたが、気のせいでないと断じるには何もかもが暗い。


 木が軋むような奇声が、遠くで上がった気がする。

 森が風に揺れたわけではなかろう。風が原因なら、雪はもっと激しく左右に舞うはず。


 ガラスに耳を当てようとする試みは、格子が邪魔をして果たせなかった。

 一拍考えを巡らせ、キッチンへグラスを取りに行く。


 よくあるガラス製のシンプルなコップは、ちょうど鉄格子の隙間に挿し入れられた。

 コップの底に耳をつけ、今一度、外の音へ意識を集める。


 繰り返される低音は、やはり生き物の唸りに思えた。

 そこへ時折、高い軋み声が混じる。こちらは喩えるなら、断末魔の悲鳴といったところ。

 好ましい比喩ではないが、そう聞こえるのだから仕方ない。


 コップで増幅しても、ちょっと音量が上がったという程度だ。

 まして雪がこう激しくては、元より音は散って消える。

 それでも諦め切れずに耳をコップに押し付けていると、明瞭な声が鼓膜を揺さぶった。


「入れてください」


 コップを手放し、バネ仕掛けのように窓から撥ね跳ぶ。

 落ちたコップは床で砕け、騒々しく破片を散らせた。


 断じて幻聴でも、聞き間違いでもない。

 この家の周囲には、何者かが潜んでいる。


 ドゴンッ。

 一際大きな扉を叩く音に、今度は短い悲鳴が口を突いた。

 逃げ場は――無い。

 どうすればいい?


 居間の引き戸を閉めて立て篭もる?

 そんな脆弱な戸に、意味があろうものか。家に入られたら終わりだ。

 辛うじて保っている理性が、夕刻に教えられた忠告を思い出させる。


“火を絶やすな。葉を燃やせ”


 あれは侵入者を想定したものでは?

 老人は全てを知って、私を留守番に任じたように思えてきた。


 恨みは後回しにして、火を守るべく踵を返す。

 薪をくべ、葉を燻し、何者か・・・を追い払おう。


 理屈も現実感も薄いが、これくらいしか対処法が思いつかない。

 気休めの防具としてコートを羽織り、スニーカーを履き直した。


 火掻き棒で灰を掻き出し、スペースを作って新たな薪を暖炉へ突っ込む。

 灰の処分は、あとからでいい。それよりもと、両手で葉を掬って暖炉の中へ投げ入れた。


 扉が二連続で叩かれ、思わず玄関へ顔を向ける。

 だが今回は、知った声がノックに続いた。


「私だ。こっちへ来てくれ」


 老人の呼び掛けに、安堵とも緊張ともつかない複雑な感情が湧く。


 こんな夜中に、なぜ彼は戻ってきたのだろうか。今まで何をしていたのだろう。

 それ以前にあの声は――本当に老人が発したのか。


 火掻きを前に突き出しながら、じわじわと玄関へ歩を進める。


「戸は開けなくていい。聞こえたら返事をしてくれ」

「ここにいます。何が起きてるんですか!」

「よし。一度しか言わんから、よく聞けよ」


 今年は少々失敗したと、老人は外に留まったまま話を切り出す。

 雪に滑り、足に怪我を負ったと。

 中で治療をと言う私を制して、彼は言葉を続ける。


「何があっても、明日まで戸は開けてはいかん」

「でも、誰かがいるんです、家の周りに!」

「わしが狩っていくから、火の番だけしておけ。但し――」


 年々手強くなってきた、と老人は言う。

 万一の時は、自分を待たずに下山しろと指示を出し、扉の下から茶封筒を差し入れてきた。


「約束の金だ。じゃあ、ワシは行くぞ」

「待って! ちゃんと説明して。これじゃ何が何やらさっぱり分からない!」

「……また明日な」


 雪を踏み抜く足音で、老人が去ったのを知る。

 僅かな会話でも、いくつか判明したことはあった。

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