第44羽 「魔王」と「黒の聖女」

 あの森で暴走した時と同じように、ロベル君の身体からは黒い魔力が出ていた。


「マジかよ……!」


 シーボルト君が顔を歪ませて、舌打ちする。


「おい、会長! 意識はあるか!?」

「……は、い。なん、とか」


 シーボルト君の呼びかけに対し、ロベル君は苦しそうに答えた。

 良かった、まだ意識はある。

 それなら、私が力を抑えることができれば何とかなるかもしれない。

 私は急いでロベル君の元に向かおうとした。


「――きゃっ!?」


 けれど、私の身体は誰かによって後ろから羽交い締めにされてしまった。

 何とかして視線を背後に向けると、そこにはネペンテス先生の姿があった。


「は、離して!」

「まだ君を離すわけにはいかない。彼が『魔王』になるまで待つんだ」

「そんなことをしたら、ロベル君が……!」

「ロベル・アコナイトの意識など必要ない。君は『魔王』と会って、『黒の聖女』としての記憶を取り戻すんだ」


 何とかして抜け出そうとしても、力が強くてビクともしない。

 ルーファス君達も何とか動こうとしているけど、どうにもならないみたいだ。


「ぐ……ああっ!」


 その間に、ロベル君の身体から溢れ出る魔力の量が増えてきていた。

 周囲への被害が出ていないのが不幸中の幸いなのかもしれない。


「ロベル君!」


 私が名前を呼んでも、ただ苦しそうに呻くだけ。

 胸を押さえてうずくまるロベル君を、私も周りの人達も黙って見つめるしかなかった。


 それでも何とか動こうともがいていると、急に彼の呻き声が止んだ。

 ……もう、嫌な予感しかしなかった。


「……ロベル君?」


 恐る恐る、声をかける。

 ロベル君はゆっくりと顔を上げた。


 その顔は、ロベル君なのにロベル君じゃなかった。


「――リン」


 “彼”は私を見て、そう言った。

 その声はロベル君のもの。

 でも、“彼”はロベル君じゃない。


「『魔王』……」


 私がそう呟くと、“彼”は顔を歪ませた。


「何故その名で呼ぶ? 以前のように『シスル』と呼んではくれないのか?」


 「シスル」?

 あれ……そういえば、ネペンテス先生もその名前のことを聞いてきてたっけ。

 もしかして、それが「魔王」の本当の名前なの?


 そう思っていると、不意に私を拘束していた先生の腕が離れた。


「ほら、彼のもとに向かうと良い」


 先生に背中を押され、私はよろめくようにして前に出た。

 私は先生をキッと睨みつけてから、“彼”の方を向く。


「リン……」


 “彼”は悲痛な顔で、私をそう呼んだ。

 もちろん、私はそんな名前じゃない。

 前世も……多分、そういう名前じゃない。

 だから、“彼”が呼んでいるのは「黒の聖女」の名前だろう。


「……私は、『リン』ではありません」

「何を言っている? 君は間違いなく『リン』だ。俺の命を繋いでくれた、大切な女性だ」

「違います。少なくとも、今の私は『リン』ではなく『スズ』なんです」


 “彼”を前にしても、私に「黒の聖女」――「リン」としての記憶は浮かんでこない。

 先生の目論見は外れたってわけだ。

 ……それが良いことかどうかは別だけど。


「何故だ? 何故、君はそうやって俺を避ける?」


 “彼”が私に手を伸ばしてくる。

 私は思わず、その手を避けるように“彼”から距離を取ってしまった。


「……君はあの時もそうだった。君が倒れて寝たきりになった時も、君は俺から離れていった」


 寝たきりになっていたということは「黒の聖女」は病死したのだろうか。


「君が倒れたのは俺に魂を分け与えたからだろう? だから、俺はそれを返そうとしたんだ。でも、君はそれを受け取ってはくれなかった……!」


 “彼”の悲痛な声が響く。

 誰も、“彼”の話を遮ることはできなかった。


「どうして俺から離れていった? どうして俺と一緒に生きてくれなかった?」


 “彼”は一歩一歩、私に近づいてくる。

 その鬼気迫る様子に、私の身体は動けなくなっていた。


「どうして……あの女に殺されたんだ!?」


 殺された……?

 「黒の聖女」の死は病死ではなく、殺人だったってこと?


「何故その時、俺を呼んでくれなかった!? 逃げ出せなかったとしても、俺を呼んでくれたら君を助けられた。それなのに、どうして……」


 遂に、“彼”の目に涙が浮かぶ。

 その目で、私をじっと見つめていた。


 「どうして」と聞かれても、私にはわからない。


「……私にはわかりません。私は『リン』ではありませんから」


 だから、それしか言えなかった。

 “彼”の話をいくら聞いても、私には身に覚えがなかった。

 ほんの少し胸が痛むけど、それだけ。

 おかしいな。

 ロベル君のお父さんから「黒の聖女」の話を聞いた時は、まだ聞いたことがあるような気がしてたんだけど。


「……君は、そうやって俺を拒絶するんだな」


 “彼”がポツンと呟く。

 きっと、“彼”には今まで親しかった人に拒絶されたように見えているのだろう。

 でも、それは勘違いだ。

 私は「黒の聖女」ではない。

 それをハッキリ伝えなければ。


「私は『リン』ではなく『スズ』です。あなたが求める女性はここにはいません。だから、その身体をロベル君に返してください」


 後ろでネペンテス先生が何か喚いていたけど、気にしてはいられない。


 ロベル君がこの状態になってしまった以上、私にできるのは「魔王」にロベル君の身体から出ていってもらえるようにお願いするだけ。

 「黒の聖女」の力でできるのは「魔王」の魔力が暴走した時に抑え込むことだけだから、根本的な解決はできない。

 マリアちゃんは倒れてしまっているし、そもそも「神聖剣」で「魔王」を切ろうものならロベル君まで命を落としてしまう。

 これで「魔王」が私のお願いを聞き入れてくれたら平和に終わるんだけど……。


「『リン』はもういない……?」

「そうです。だから、あなたがここにいる必要は無いんです」


 私は何とかして、「魔王」にロベル君へ身体を返してくれるようお願いする。

 しかし、“彼”は突如、狂ったように笑い出した。


「ハハハッ。そうか……彼女がここにいないなら、俺はこの世界をもう二度と許さない!」


 “彼”がそう言うと、その身体から再び黒い魔力が溢れ出る。


「彼女はこの世界を愛していた……その彼女がいないのなら、こんな世界は必要ない!」

「やめて!」


 私は“彼”から出る魔力を止めようとした。

 しかし、それよりも早く“彼”の魔力が私に襲いかかってくる。

 その魔力は黒い触手のように私の身体にまとわりつき、そのまま縛り上げられてしまった。


「黙れ! お前は『リン』じゃないんだろう!?」


 激昂した“彼”が、叫ぶように言った。

 それに呼応して、私を締め付ける力も強くなる。

 それを「黒の聖女」の力で弱めようとしてみるけど、上手くいかない。

 私が力を使いこなせていないからなのか、“彼”の力が強すぎるからなのかはわからない。

 わかるのは、この状況が非常にまずいってことだ。


「『リン』ではないのなら、死んでしまえ!」


 徐々に力が強まり、身体からミシッという音がし始めた。

 周囲の人達は動けないし、動けてもこの黒い魔力に触れた瞬間に塵となってしまう。

 ネペンテス先生が何をしているのかは見えない。

 声も聞こえないことを考えると、腰を抜かしているのかもしれない。

 元々頼りにはしていないけど、この事態を招いたのは先生なのにな……。


 次第に意識が遠のいてきて、もうダメだと諦めかけた時だった。


「――はあ!」


 そんな声と共に、突然締め付けが弱まった。

 そして、触手のような魔力は形を失い、霧散していった。

 私は魔力の呪縛から開放され、地面にしりもちをついた。


「大丈夫ですか?」


 地面に叩きつけられて痛むおしりをさすっていると、頭上から声をかけられた。

 数日前にも聞いているのに、久しぶりに聞いたような気がする声。

 私は驚いて、顔を上げた。


「マリアちゃん?」


 名前を呼ぶと、彼女は髪と同じ色をした瞳を細めて笑った。

 その顔は、以前のように明るく可愛らしいマリアちゃんだった。


「ご迷惑おかけしてしまってごめんなさい」

「あ、あれ、気絶させられてたんじゃ……?」

「気絶というか、麻酔を打たれたんだと思います。ですが、解毒してくださったのでこうして動けているんです」


 解毒されたって、「魔王」と先生以外に動ける人はいなかったと思うんだけど……?

 私が首を傾げていると、動きを封じられていた人達も動き出しているのが目に入った。


「『魔王』の動きを止めるぞ! 何としてもここで食い止めるんだ!」

「ちぃ! 小賢しい!」


 周囲の人達が放った魔法を「魔王」は魔力を一振りさせて打ち消した。


「な、何故マリア・カモミールの洗脳が解けている? それに、魔法陣の効果も無くなっているだと?」


 ネペンテス先生のそんな声が聞こえて、私は後ろを振り返る。

 先生は案の定、腰を抜かして地面にへたりこんでいた。


「……そんなもん、俺が全部解いたからに決まってるだろ」


 先生の疑問に答えるかのように、誰かがそう言った。

 この声……もしかして、あのヘビ(?)では?


 しかし、私がその声の主を見る前に、先生の身体にロープが巻きついた。

 そのロープはあっという間に先生を縛る。


「何っ!?」

「油断大敵ですよ、先生」


 いつの間にか、ルーファス君が先生を縛るロープの端を持ってすぐそばに立っていた。


「話は後でたっぷり聞くんで、今は大人しくしといてください」

「くっ……」


 先生は悔しそうに顔を歪ませるものの、抵抗はしなかった。

 もう観念した……のだと思いたい。


「まあ、もう妨害はされないから安心してくれ、姫さん」


 不意にそう話しかけられて、私は慌てて声がした方を向く。

 そこには、ヘビ(?)がいた。

 彼は最後に見た人の姿ではなく、最初に会った時のようなヘビの姿に戻っていた。


「ヘビ(?)さん! 無事だったんですね!」

「当たり前だろ。それより、どうするんだ?」


 無事を喜ぶ暇もなく、チラリと横目で「魔王」を見るヘビ(?)にそう問われた。


 どうする、と言われても……。

 私にできそうなのは「魔王」の力を弱めることだけど、それも気休め程度でしかない。


 ……この世界を守るには、もう「魔王」を殺すしかないのかもしれない。

 だけど、私にはそんなことできない。

 ロベル君を殺すなんて、したくない。

 きっと、まだ方法はあるはずだ。


「スズさん」


 私がロベル君を助ける方法を考えていると、マリアちゃんに声をかけられた。

 ……て、あれ?

 私、マリアちゃんにこの姿で名乗ったことなんてあったっけ?


「あなたに頼みがあるんです」


 マリアちゃんはそう言うと、手に持っていた「神聖剣」を私に差し出した。


「この剣で、あなたが『魔王』を刺してください」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る