第36羽 ネペンテス先生の計画

 その日記の日付は今年の四月――具体的には入学式の日――から始まっていた。


『四月○日

 今日は入学式。いよいよゲームのストーリーが始まる。

 全てがゲーム通りでは無いが、私の計画に支障はない。

 あの日の失敗から私はありとあらゆる可能性を考えて計画を立ててきたのだ。多少問題が起きても、私の望みは叶うだろう。

 まずは、ヒロインに接触するところから始めなければ。』


 文章中の「ゲーム」という単語に、私はドキッとした。

 ネペンテス先生も、どうやらこの世界がゲームの世界だと知っていたらしい。

 乙女ゲーム「神聖剣の乙女」のプレイヤーならすぐ気づくことだから、彼も前世でプレイしたことがあったのだろう。


 私はロベル君にページをめくってもらいながら、日記を読み進めていった。


『四月△日

 ロベル・アコナイトが公表したことが国王からも公表され、世間に広まることとなった。これは想定通りだ。

 しかし、彼の兄が教師として学園にやってきて、私が彼のお目付け役を任されてしまったのは想定外だったな。

 かれこれ二年弱の付き合いになるが、奴のブラコンが酷すぎてちょっと目を離すと暴走し出すのが厄介だ。おかげでヒロインに接触する機会が減ってしまった。

 まあ、ロベル・アコナイトが行動し出せば、もう少し落ち着くだろう。奴は弟が好きすぎて変態的な行動をとるが、弟の邪魔になるようなことは絶対にしないからな。』


 ネペンテス先生にとってもユリウスのお目付け役になるのは想定外だったらしい。

 でも、文章を読む限り、彼はロベル君が「魔王」を消滅させるために行動することを知っていたみたいだ。


『五月○日

 どうやらロベル・アコナイトが動き出したらしい。

 まずは彼らからというあたり、やはりゲームについて知っている者がいるのだろう。

 ロベル・アコナイトが彼女の情報を得ているのもわかっている。それを使って彼らを仲間に引き入れるのだろうな。

 彼らの目的を達成させるためには彼女の力が必要だ。もしも彼らが魔王だけでなく彼女も取り戻してくれるなら嬉しい限りだ。私が直接やる手間が省ける。それはつまり、ヒロインと接触する時間が増えるということなのだから。』


 こちらサイドにも転生者がいることをネペンテス先生にはバレていたみたいだ。流石に私が転生者だとは思ってなさそうだけど。

 でも、文章中に出ていた“彼女”って、もしかして「黒の聖女」のことを指しているのかな?

 ゲームにはいなかった存在なのに、先生が彼女のことを知っているのは何故なんだろう?

 それに、この文章だと、まるで「黒の聖女」を復活させたいと言っているみたいに思える。

 どうして先生がそれを望んでいるの?

 復活させた「魔王」の力をコントロールするため?

 それなら、ヒロインであるマリアちゃんに接触しようとしているのはどうして?

 下手したら「魔王」を復活させようとしているのがバレてしまうかもしれないのに。


 ……今考えてもしょうがないか。

 そういったことも書かれているかもしれないし、もっと先を読み進めてみよう。


『五月△日

 ロベル・アコナイトはルーファス達だけでなく、シーボルトにも声をかけたようだ。

 彼はヒロインとかなり親しい様子だったから、引き剥がしてくれたのは有難い。

 おかげでヒロインとより接触する機会を増やすことができる。

 それにここがシナリオ通りなら、シーボルトには厄介な能力があるはずだ。

 ヒロインが彼と一緒にいる時に近づくと面倒なことになりかねなかったからな。そういう意味でも感謝せねば。

 彼女が保健委員になったことも嬉しい追い風だ。どうやら彼女はアンドレイ・ネペンテスのルートに入ろうとしているらしい。

 運気は私に向いている。計画は順調だ。』


 え……ネペンテス先生はシーボルト君の能力についても知っていたの?

 何で、これもゲームにはなかったはずなのに。

 シーボルト君が先生に話したことがあったとか?

 そう思って、私はロベル君経由でシーボルト君に尋ねた。


「俺の能力についてネペンテス先生に話したかだって? 話したところで信じてくれるわけないし、話すわけないだろ。第一、俺はネペンテス先生とほとんど話したことないぞ」


 そんな言葉がシーボルト君から返ってきた。

 やっぱり、そうだよね。

 そもそも「シナリオ通りなら」という前置きがついている。

 これを踏まえると、ネペンテス先生は前世でゲームのシナリオを読んでシーボルト君の能力を知ったことになる。

 だけど、私が知っているゲームのストーリーにはそんなこと書かれてなかった。

 私が死んだ後に設定資料集みたいなのが発売されて、それでネペンテス先生が知ったとか?


『六月○日

 彼らがあの場所に入ったらしい。

 私にとっては忌々しい場所だが、あそこには様々な資料が残っている。それに、彼女のリボンも残しておいた。

 リボンと残っていた資料から、彼らが彼女を取り戻す術を思いついてくれることを期待しよう。そのために、あの汚点を残しておいたのだから。

 彼らがそうこうしているうちに、ヒロインへの接触も充分なものになった。私への信頼感が増し、依存度も増した。

 彼らも良い所まで来ているし、そろそろ次に移ろう。』


 ……これ、あの組織の隠れ家だった場所のことを指してるのかな。

 「リボンを残しておいた」と書いてあるし、絶対そうだよね。

 何が忌々しいのかはよくわからないけど、先生はあの家のことを知っていた。

 それに、先生は私達をあそこに行かせたかったみたいだ。

 シーボルト君が情報をくれなかったら、先生が私達に情報を寄越したのかな?

 それとも、シーボルト君があの隠れ家で「黒の聖女」の肖像画を見たことがあるということも知っていた……?

 最後の文章も引っかかる。

 依存度が増しただなんて、マリアちゃんに依存させようとしているの?


『六月△日

 今のところ、彼らが大きく動いたという話はない。

 しかし、教会も動き出したようだな。内部にいる奴らの何人かは見捨てる他ないだろう。

 仮に教会にいる奴らが全員捕えられたとしても、こちらの計画は順調だ。ヒロインの洗脳ももうすぐ完了する。これが終われば、あとは彼らの動きを待つだけだ。』


 マリアちゃんを洗脳……!?

 じゃあ、マリアちゃんの様子がおかしかったのは、ネペンテス先生のせいだったんだ!


『七月○日

 ああ、ようやくこの日がやってきた!

 彼女がようやく力を取り戻した!

 なんと素晴らしい日だろう!

 ヒロインの洗脳は終わった。後は、彼らに彼女の不自然さを匂わせれば、自然と追いかけてきてくれるだろう。

 計画は大詰めだ。ここを乗り切れば、私の悲願は達成されるのだ。』


 日記はそこで終わっていた。

 日付は私が「黒の聖女」の力を使えるようになった日だった。

 その日のうちに情報を得ていたということに驚きを隠せないけど、私達の今まで行動がネペンテス先生の計画通りだったのにはもっと驚いた。

 それと同時に、悔しく思った。

 私達がやっていたことは全部先生の掌の上でしかなかった。

 せめて、もっとマリアちゃんと話をしていればこんなことにはならなかったかもしれない。


「マリアさんが洗脳されてるって、まずいんじゃないか……?」

「かなり事態は深刻なようですね。これは教会だけでなく警察にも話さないといけないかもしれません」

「今マリアさんは家ですかね?」

「……いえ、彼女は今行方不明です」


 ロベル君はプリムラさんから口止めされていたことをシーボルト君に伝えた。

 シーボルト君は一瞬目を丸くしたけど、すぐに納得したようだった。


「……やっぱりそうなんだな。親父から口止めされてたのはそれだろ」

「はい。しかし、事態は一刻を争います。シーボルトさんのお父様には申し訳ありませんが、警察にも協力して早く見つけ出さないと」

「くそっ、せめて連れ去った場所のヒントでも書いてあれば良かったのに!」


 シーボルト君が悪態をつく。

 日記には今まで先生が何をしてきていたのかは書かれていたけど、マリアちゃんの居場所については書かれていなかった。

 恐らく先生も同じ場所にいるのだろうけど、完全に手詰まりだ。

 「追いかけてきてくれるだろう」なんて書いてるくせに、肝心なところは書かないなんて……。


 何かヒントが隠されていないかと、ロベル君は更にページをめくっていた。

 すると、一番最後のページにノートの切れ端のようなものが挟まっていた。

 そこには日記と同じく、日本語でこう書かれていた。


『私は西の森の塔にいる』


 書かれていたのはそれだけ。

 でも、何を言わんとしているのかはわかる。

 私がそれを伝え、ロベル君がシーボルト君にも伝える。


「……西の森の塔って、昔監獄だったとか落ちぶれた貴族の屋敷の一部だったとか色々言われてるところだよな。確かにあそこなら誰も寄り付かないから隠れるのには好都合だろうな」


 西の森の塔とは、学園の西側にある森の中にひっそりと佇むボロボロの塔のことだ。

 シーボルト君の言う通り、色んな噂があるいわく付きの場所。

 そして、ここはゲームでは魔王の隠れ家であり、ヒロインが魔王に最終決戦を挑む場所だった。


「こんなにはっきり場所を書いてるってことは罠なんだろうな」

「ですが、ここ以外に手がかりはありません」

「おい、まさか行くつもりなのか?」

「罠だとしても、何らかの手がかりは得られるはずです」

「じゃあ、教会や警察に連絡して準備を整えてから行くべきだ。あの森には獰猛な獣だけでなく、魔物もいる。日が暮れてから行くのは得策じゃない」


 外は既に赤く染まっている。

 このまま森に向かうと夜になってしまい、夜行性の獣や魔物に襲われる危険が上がる。

 そうなると、塔にたどり着く前に大怪我をしかねない。

 でも、ロベル君は首を横に振った。


「いえ、こうしている間にもネペンテス先生はマリアさんを使って何かしようとしているかもしれません。それが仮に『魔王』の復活に繋がるようなことであれば、次の日まで待つなんて悠長なことは言ってられませんよ」


 そう言うや否や、ロベル君は日記を持って保健室を出ようとする。


「待てよ、そうやって突撃してアンタが信死んじまったら元も子も無いだろ!」

「安心してください、一人で行くなどという真似はしません。まずは教会に話をして、それから警察にも話して塔に行きましょう」

「だから、アンタが行く必要は無いだろ! 会長は安全な場所で報告を待ってればいいじゃないか!」

「そういうわけにはいきません。向こうはきっと、私が来ないとわかれば容赦なく人を傷つけるはずです」

「それはそうかもしれないけど」

「そして、その人を傷つけるという行為を、マリアさんに行わせるかもしれない」

「なっ……」


 ロベル君の言葉に、シーボルト君が絶句する。


「彼女が持つ『神聖剣』は人を斬ることはできません。しかし、ネペンテス先生が彼女に普通の剣を持たせていたとしたら? 彼女がそれを使って、命じられるまま向かってくる人々を切りつけていったとしたら?」


 そうか……洗脳されてるってことは、そういうこともしかねないんだ。

 ネペンテス先生が転生者で、マリアちゃんのことを何とも思ってない非情な人なら有り得ない話ではない。


「恐らく、私が行けばそのようなことはしないでしょう。彼の望みにはどうやら『黒の聖女』が関わっている。その『黒の聖女』であるスズは私のすぐ側にいるのだから、うっかり傷つけてしまうようなことは避けてくるはずです」


 シーボルト君は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 本当は行かせたくないけど、マリアちゃんを殺人犯にしたくないという思いもあるのだろう。


「……あー、もう! こうなったらさっさと事情を話に行って塔に行くぞ!」


 結局、シーボルト君はロベル君が塔に向かうのを認めてくれた。

 そうして、私達は先生とマリアちゃんの待つ塔に向かったのだった。

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