第20羽 夢じゃないよ
――何だろう、身体がポカポカしてる。
さっきまでの全身の痛みも消えてるし、だるさもない。
よくわからないけど、今ならロベル君を抱き締めてあげられそうな気がする。
顔を上げれば、苦しそうなロベル君がいた。
黒い魔力の渦の中心で、必死に頑張っている。
そっと黒い魔力に触れると、とても冷たくて、全身を虫に這われているような嫌な感じがした。
こんな物の中に、あんな小さな子供がいるなんて……。
私は胸が苦しくなって、黒い魔力の中へと飛び込んだ。
そして、頭を抱えてうずくまるロベル君を、両手を広げて抱き締めた。
「……大丈夫」
そっと、彼の耳元で囁く。
「もう皆を傷つける悪い奴はいなくなったから。ロベル君やロベル君の大切な人達を傷つける人はもういないよ」
ロベル君の身体はとても冷たくて、強ばっていた。
それを温めてあげたくて、私は彼をもっときつく抱き締めた。
「その力は悪いものじゃないよ。それに、ロベル君がそれを操れないことも悪いことじゃない」
ロベル君の口から発せられていた、耳を劈く絶叫が次第に小さくなっていく。
「今は操れなくてもいいの。これからゆっくり、操れるように練習すればいいんだから」
少しずつ、ロベル君の身体の緊張が解れていく。
森を響かせるほどの絶叫も、今はもう聞こえない。
「大丈夫。ロベル君がその力を操れるようになるまで、私がそばで支えてあげる。ロベル君のこと、守ってあげるから」
腕の中で、ロベル君がもぞりと動いた。
少し力を抜いて腕の中を見ると、こちらを見上げるロベル君と目が合った。
「……ス、ズ?」
前髪の奥で、真っ赤な瞳が驚いたように見開かれる。
さっきまでは焦点のあっていない虚ろな目をしていたけど、今はいつものロベル君だ。
「良かった……気がついたんだね」
私はロベル君の頬をそっと撫でる。
冷たかった身体も、その温もりを取り戻していた。
一先ず、もう心配はなさそうだ。
「スズ、なんだよね……?」
ロベル君はおずおずと、そう聞いてきた。
私は、しっかりと頷く。
「うん。私はスズ。あなたに救われた雀だよ」
そう答えると、ロベル君の丸い目が更に丸くなった。
「あなたに命を助けてもらって、名前まで付けて可愛がってもらえている幸運な雀」
そう言って、私はロベル君に微笑んだ。
「好きだよ、ロベル君。私は必要とされなくなるまで、ずっとそばであなたのことを守るよ」
ロベル君は私を見つめながら、首を横に振った。
「……僕がスズのことをいらなくなるなんて、有り得ないよ」
ロベル君が、私にギュッと抱きついてくる。
「僕のこと、好きって言ってくれたのは君が初めてなんだ。こうやって抱き締めてくれたのも、スズが初めて。だから……どうか、僕の前からいなくならないで」
小さく震えるその身体を、私は抱き締めた。
「私は勝手にいなくなったりしないよ。君が望むなら、ずっとそばにいる。……でもね、ロベル君」
名前を呼ぶと、腕の中のロベル君が私を見上げた。
乱れた前髪の間から、普段は隠されている美しい紅の瞳があらわになっている。
「あなたを愛しているのは私だけじゃないよ。お父さんやユリウス、それにお屋敷で働いてる人達も、ロベル君のことが大好きなの。皆恥ずかしくて、ロベル君に面と向かって言えてないみたいだけど」
お父さんの場合はそれ以外にも理由があるけど。
「本当……?」
「嘘なんてつかないよ」
私が笑いかけると、ロベル君はぼうっとした顔で私を見つめ返した。
「……嬉しい。でも、きっと、僕は夢を見てるんだね」
ロベル君の瞼が次第に下がり、赤い瞳を半分ほど隠し始める。
半目状態の彼は、船を漕ぐように身体をぐらぐらさせていた。
「ロベル君、眠いの?」
「ん……」
ロベル君は頷くように首を縦に振る。
でも、あまりに眠たそうだから、本当に頷いたのか身体がぐらついただけなのかわからない。
「寝てもいいんだよ?」
「でも、このまま寝たら夢が覚めちゃいそうで……僕はまだ、夢の中にいたい」
そう言って、目を擦るロベル君。
今にも眠ってしまいそうだけど、寸でのところで耐えているみたい。
「夢なんかじゃないよ。目が覚めても、私はあなたのそばにいる。それに、お父さんやユリウスもロベル君のそばにいてくれるはずだよ」
私は彼の額にキスを落とす。
「だから……今は、ゆっくり休んで」
私の言葉に安心したのか、ロベル君の瞼が完全に閉じられる。
そして、小さな寝息を立て始めた。
「おやすみ、ロベル君」
穏やかなその寝顔に、私は安堵の笑みを浮かべる。
起こさないよう、優しく彼を抱き締めて――私の意識は、そこで途絶えたのだった。
「……な、何が起こったんだ?」
ユリウスは今起こったことを呆然と眺めていた。
ロベルの身体から溢れ出る魔力が彼らを消し飛ばす直前、スズの身体が光を放った。
そう思った次の瞬間、先程までスズがいたはずの場所に、黒髪の女性がいた。
その女性はゆっくりとロベルに近づいていき、黒い魔力に触れる。
ユリウスが言葉を失っている間に彼女は黒い魔力の中へ入り、ロベルを抱き締めた。
すると、魔力は徐々に弱まっていき、周囲の凄惨な状態を残して完全に消えてしまった。
それだけでも驚きだったというのに、女性がロベルと会話をかわした直後、彼女の身体が光出した。
そして、光が収まった後には眠っているロベルと、そのそばで倒れるスズの姿だけがあった。
「まさか、スズがあの女性なのか……?」
驚きのあまり固まるユリウスより少し離れた場所には、二人の人影がいた。
「『魔王』の魔力が消えただと……」
「そのようですね。女性がロベル坊ちゃんに何かしていたように見えましたが……」
その影達――スズを追いかけてやってきたパパヴェルとプラムは動揺していた。
「まさか……あの女性は『黒の聖女』なのか?」
「そんなまさか。彼女は文献でもはっきりしないほど大昔に死んでるんですよ?」
「しかし、『魔王』の魔力に触れても平気な生物など、彼女以外にはいないだろう。それに加えて、あの女性は魔力を抑え込ませたんだぞ」
「文献に載っていた『黒の聖女』の御業と同じですね」
プラムの言葉に、パパヴェルが頷く。
「仮に本当に彼女が『黒の聖女』なら……」
「ロベル坊ちゃんの中の『魔王』を消滅させられるかもしれませんね」
「ああ。だから、スズさんには何としてでも、ずっとロベルのそばにいてもらわないとな」
パパヴェルは両手を強く握り締め、倒れるロベルとスズをじっと見つめた。
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