第9話 ユリウスは今日も弟を思う
私の名前はユリウス・アコナイト。
アコナイト伯爵家の長男にして、
世間ではそう言われている。
だが、実際は、私には年の離れた弟がいる。
その子の名はロベル・アコナイト。
しかし、ロベルは世間には認知されていない。
この国では通常、貴族の家に子供が生まれると盛大にお祝いをする文化がある。
親族友人その他諸々を呼んでパーティを開き、生まれた子をお披露目するのがこの国の貴族社会では常識だ。
けれども、そういうお披露目をされない子もいる。
例えば、愛人との間にできた子供。
正式にその子を家に迎え入れていなければ、パーティを開いたりはしない。
だが、ロベルは正真正銘アコナイト家の子供だ。
父親も母親も私と同じである、血の繋がった弟だ。
それなのに、あの子が生まれた時、お披露目会を行わなかった。
それどころか、父上はロベルを屋敷から出したがらず、使用人や私にまでロベルの存在を他人に教えないよう箝口令をしいた。
それはまるで、世間にその存在が知られるのを恐れているかのようだった。
パーティを開かなかったのは、ロベルが生まれた時の状況が良くなかったのもあるだろう。
ロベルが生まれるのと引き換えに、母上は命を落とした。
そんな状況下で祝うなんてことはできなかったのかもしれない。
しかし、だからといって、ロベルのことをお披露目もせず、今も生まれたことすら他人に教えないのはどういうことなのか。
まさか、ロベルに魔力が発現しなかったから?
だが、生まれた時に発現していなくても、後で発現することもある。
貴族や王族では生まれついての魔力発現者が多いとはいえ、それだけで世間から隠そうとするものなのか?
……父上の考えはわからない。
今だってそうだ。
「……最近、ロベルに頻繁に会いに行くようになったそうだな」
突然父上から呼び出されたと思ったら、開口一番にそう言われた。
父上は私に話しかけながらも、視線は机の上の書類に向いている。
父上が会話する時に私の顔を見ようともしないのは昔からだ。
「以前からロベルには良く会いに行っておりましたが?」
「以前よりも会いに行っているのではないか、と聞いている」
父上は何が言いたいのだろうか。
顔がピクリとも動かないので、表情から読み取ることもできない。
「……確かに、以前より回数は増えたと思います」
私は昔からロベルのことを不憫に思っていた。
家にずっと閉じ込められているばかりか、使用人達はあの子のことを良く思っておらず、不当な扱いを受けていた。
それを咎めたこともあったが、結局扱いが改善されることは無かった。
せめて、私くらいはあの子に優しくしてあげようと、度々ロベルの部屋へと足を運んでいた。
当時は自分から会いに行くのは週に一回程度で、たまにロベルに呼ばれたらそれに応じて、という感じだった。
しかし、最近は時間を見つけては会いに行くようになった。
というか、無理やり時間を作っては、会いに行っている。
「聞けば、ロベルが雀を助けて飼うようになってからのようだな」
父上の言葉に、私はあの日の出来事を思い返した。
――あの日、ロベルが私を呼んでいると聞いて、いつも通りあの子の部屋へ行った。
思えば、部屋に入ってロベルを見た時から、少し心臓の鼓動が速くなったような、そんな感じがしていた。
ロベルに用件を聞くと、あの子は怪我をした小鳥を見せてきた。
私を呼んだのは、部屋の窓にぶつかってきたこの小鳥を助けて欲しかったからだった。
断る理由もないし、私は了承した。
「ありがとうございます、兄様!」
そう言って、ロベルは今まで見たことがないほど嬉しそうに笑みを浮かべた。
私や父上と色が違うからと、長い前髪で隠した赤い瞳をキラキラさせている。
その瞬間、私の心臓が大きく跳ね上がった。
(な、なんて可愛いんだ!)
今までは、ただロベルのことを可哀想だとしか思っていなかった。
ロベルがこんなにも可愛いだなんて、気づきもしなかった。
むしろ、何故気づかなかった。
小鳥の怪我が治って頬擦りする姿も可愛い。
小鳥もロベルにスリスリし出したのには驚いたが、それでくすぐったそうにしているロベルが可愛い。
上目遣いをされた時には思わず「可愛い」と声に出して言ってしまいそうになった。
何だかもう、この子が何をしていても可愛いという感想しか出てこなくなってしまった。
でも、やっぱり笑顔が一番可愛い。
私が会いに行くと、必ずと言っていいほど見せてくれる笑顔に、私は夢中になっていた。
助けた雀――ロベルに「スズ」と名付けられた――からは冷たい視線を感じるが、ロベルが可愛いのでそんなことはどうでも良かった。
正直、学校を休んでロベルとずっと一緒にいたいとさえ思い始めている。
ああ、愛しいロベル。
こんな父上の言葉より、ロベルの声を聞いていたい。
これが終わったらすぐにでも会いに行こう。
待っていてくれ、私の可愛い弟よ。
「……ユリウス。聞いているのか?」
父上の声で私は現実へと引き戻された。
「失礼致しました。確かに、私はその日以来良く会いに行くようになりました。しかし、それがどうかなさいましたか?」
「……これ以上、会いに行くのはやめなさい」
……は?
「今、何と?」
「これ以上、ロベルに会いに行くのはやめろと言っている」
「何故ですか?」
「……お前のためだ」
そんなのは理由になっていない。
だが、父上はそれ以上何も言わなかった。
それでも、普段なら「わかりました」と言っていただろう。
でも、今回はそうはいかない。
「私のためとは、具体的にどういうことでしょうか?」
「お前は今、卒業に向けた大切な時期にいる。ロベルに構っている暇など無いだろう?」
「卒業試験に向けての訓練もしっかり行っております。その上でロベルに会いに行っているのですが、父上はロベルに会いに行くより試験を優先しろと仰るのですか?」
「……そうだ」
父上の言葉は淡々としていて、表情からも考えは読み取れない。
けれども、父上の発言からこれだけは言える。
「つまり、父上はロベルを独りにさせろと仰っているのですか?」
私にはそう言っているとしか思えなかった。
最近では使用人達のロベルに対する態度も良くなってきてはいるが、使用人として以上に関わろうとする者はいない。
私が会いに行かなくなれば、ロベルが寂しい思いをするのは明らかだ。
「もしそうだと仰るのであれば、私は従えません」
いくらスズと一緒でも、私が突然来なくなれば不安になるだろう。
まして、あの子はまだ7歳。
甘えたい盛りの子を、独りになんてさせられない。
「……そうは言っていない」
「であれば、会いに行くのを止めなくても良いということですよね?」
「ユリウス。何度も言うようだが、これはお前のため――」
「それは本当に私のためですか?」
……我慢の限界だ。
何の説明もなく、ただ命令するだけの父上にはもう従えない。
「父上が私のためと仰ることが、本当に私のためであるとは思えません。そして、父上の仰るそれは、ロベルのためにはならないことではありませんか?」
父上がチラリと目線をこちらに向けた。
こんな時でさえ、この人は真正面から私を見てくれないのか。
「今までは特に意見することなく父上のお言葉に従っておりましたが……今回ばかりは納得のいくご回答がいただけるまで、従えません」
私はキッパリそう言い放つと、父上に背を向けた。
「待て、まだ話は終わっていないぞ」
「では、ロベルに会ってはいけない本当の理由をお教えいただけるのですか?」
私の言葉に、父上の顔に動揺の色が見えた。
私が何も気づいていないとでも思っていたのだろうか。
流石にここまであからさまなことをされれば、誰だって父上がロベルに関する何かを隠していると思うだろうに。
「それは……今はまだ言えない」
……ということは、いずれは教えてくださるつもりなのだろうか。
だが、そうであったとしても、理由がわからないままなのは変わらない。
「でしたら、これ以上話すことはありません。私はこれからロベルに会いに行きますので、ここで失礼します」
父上の返事を聞く前に、私はさっさと部屋を出た。
前々から思っていたことではあるが、父上と私は相容れない部分が多いのかもしれない。
今回のロベルの件もそうだ。
父上が私のためというそれは、ロベルのためではなかった。
あの人にとって、ロベルはその程度の存在なのかもしれない。
だから、使用人達があの子にどんな酷い態度で接していても、あの子が屋敷の外に一歩も出られないことを嘆いていても、見て見ぬふりをできるのだ。
……私自身が今までそうであったことを思うと、自己嫌悪に陥りそうだ。
父上がスズを飼っても良いと許可をくださった時はロベルのことを少しでも気にかけてくださっているのかと思っていたが、今回の件を考えるとどうやら勘違いだったようだ。
父上がロベルに対してそうである以上、私があの子を守ってやらねば。
父上が隠しているロベルに関することが何であるかは知らないが、ロベルを傷つけるような真似をしたら父上であっても許さない。
しかし、ずっと一緒にいて守ってやれれれば良いが、私もまだ未熟な身。
もっと力をつけなければ、父上からあの子を守ってはあげられないかもしれない。
私が学校に通っている間も、誰かがあの子を守ってくれると良いのだが。
……そういえば、ロベルは魔法を習いたいと言っていたな。
魔力を発現していないうちは使えないが、魔法に関する知識を持っていれば魔力が無くとも魔法へは対処できる。
直接的に傷つけられることは無いと思いたいが、将来的にはわからないからな。
ロベル自身がある程度の力を身につけられれば、あの子が傷つくこともグッと減るだろう。
よし。本当はロベルに会いに行くつもりだったが、予定変更だ。
ロベルに魔法を教えてくれる家庭教師を探そう。
ロベルが社会的に知られていない存在であるから、口の固い人物が良いな。
先生に頼んで、良い人物がいたら紹介してもらうことにしよう。
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