第2箋 : 邂逅
果たしてどれほど歩き続けただろうか。
雪が跳ね返す白い光と、葉を落とした木の焦げた茶色が延々と続くように感じられる。
日は中天から傾き始め、これから気温は低くなる一方だ。なんとかしてモーバスまでたどり着かねばならない。
「くそ…っ、恨むぜ…、ったく」
口から溢れるのは、愚痴にも近い言葉。誰に向けられるでもなく、それは空気に溶けていった。
そのうち、足を動かしていく過程が作業と化していく。景色が変わるまでひたすらに動かす。無意識の行動だった。
雪の白さに果てはない。例えそこが高所からの景色だったとしても、白さに変わりはない。認識することはない。
「ぁ……」
足が空転した。踏み締めるべき大地を失い、重力に従った自由落下運動を開始する。
遠近感すらほぼ見失った頭で、体を仰向けにした。
「…空が綺麗だなぁ………、ガボっ!」
アホなことを
ーーーーーーーー
「………?」
いつものように本を読んでいた。
ただの文字の羅列なのに、風景と感情が滲み出る不思議なものが、私は好きだった。それが所詮、私の中の空想だったとしても。
暖炉が、パチパチと音を立てる。木が燃える音だ。太陽は南中していて、窓からは外の景色が見える。真っ白だけど、見上げれば同じものはない青い空があって。
身体が弱い私は、村から出ることはもとより家から出ることすら少ない。だけど、五感の鋭さは人一倍で、我が家の分厚い壁越しにも、外からの音が聞こえてくる。
「何かが……落ちた…?」
雪よりももっと重いものが、どこか離れたところで落下した音。辛うじて聞き取れたそれは、平坦な私の日常に波紋を落とした。
そう言えば、今日は珍しく祖父が家にいる日だ。身体の調子もいいし、頼み込めば見に行かせてくれるだろうか。
「そうと決まれば…!」
手早く着替え、逸る気持ちを抑えながら、リビングでコーヒーでも飲んでるだろう祖父の下へ向かう。
手すりに捕まり階段を降りながら、やはりリビングで祖父の姿を目にした。
「…寝ちゃってる」
久々の休暇か何かで戻ってきて、疲れたのだろうか。ロッキングチェアに揺られ、穏やかに眠っていた。
邪魔するのも悪いと思い、ならば静かに出かけよう。
玄関で長靴を履いた。ここ最近の積雪は私の身長を優に超えるほど。家の周辺の雪かきは済んでいるが、少し離れればあっという間に埋もれてしまいかねない。
「ふうっ、ふう、っ」
力を込めて足を動かし、前へ進む。見てる分には綺麗なものだけれど、実際そこに足を踏み入れると存外大変なものだ。
音が聞こえた方向はこっちであっている。あとは目で探すだけ。
「ん――」
思わず漏れる間延びした声。雲が少なく、遠くまで見通せる。
「—――あ」
見つけた。口角が上がる。久しくない出会いだ。一体どんな人なのか。どきどきする。
そんなつもりはなかったのだけれど、そーっと近づいていく。
するとよくわかる。ああ、落ちてきたんだって。
大の字の形に窪んだ雪。近づきすぎてその穴の輪郭が崩れないように、少しだけ距離を開けて上から覗き見た。
「――――」
「……いや、誰だよ…」
間の抜けたとでも言ったほうがいいのだろうか、こういう感じは。
雪と紛らわしいまでに白い長髪。そして赤い眼のせいでウサギが連想される。けれど、そんな生易しいイメージでは到底表せない何かを感じた。
端的に言って、見惚れてたんだと思う。
「……もしかして、落ちた?」
「……」
「落ちたんだね」
「落ちたな」
意地を張ってるのか思ったら、意外とあっさり認めていた。
見た目から想像できるより低い声音と、三白眼ゆえの目つきの悪さ。それが自然に感じられる程度には板についていた。
「それで、貴方はだれ?」
「そっちから教えてくれ…」
「私?私はミル。ミル・シューシュタル。この近くに住んでるの」
「……マジかぁ…。
名乗ったのに、それを聞いた男の人は凄く嫌そうな顔をした。自分の
私は男の人に名乗るよう促した。私が名乗ったのだから、名乗ってもらわなくちゃいけない。
「あーめんどくせ。…ラグ。俺はラグ・フェブルアリー。医者だよ」
そう名乗った男の人ことラグさんは、よっこらせと立ち上がり、雪に足を取られかけながらも遅々と歩き出した。
その足取りは私よりも遅い。ここは慣れがモノを言う世界だから、仕方がないのだろう。むしろ辛うじてながらついてこれるあたり、見た目からは分からないくらいに鍛えているように思えた。
「…ちなみに、これ、お前の家に、向かってる、感じか?」
「うん。そうだよ」
途切れ途切れに投げかけてくる言葉に、私は一息で答えを返した。
息が上がってる訳ではない。一歩一歩が雪にとられて、それだけ力を込めなければ歩けないのだ。
この辺りは初めてなのだろう。だから、ちょっとしたズルをしてる私を見ても分からない。
だって魔術ってこういう時に使ってこそ、でしょ?
「あ"ぁー、お前ソレ『
「あ、これそういう名前なんだね。…アグルーって何語なの?」
「ンなもん俺が知るか」
なんとなくそう問いかけると、ラグさんからはかなり投げやり気味な返答が飛んできた。
「しっかし、随分と遠いな。…もういいや使っちゃおう。……大体あと2キロ強、か?」
「…?多分合ってるけど、なんで分かるの?」
「ちょっとした裏技」
「…へー」
少し気になるけど、それを聞くのは今じゃない気がした。
ちょっと頭が重い。
あはは、動きすぎたかも。
「つか、お前さっきからフラフラしてる気がするが…、大丈夫か?」
「あはは、面目ない。…倒れたらごめんなさい」
「は?」
それとなく保険のようなものをかけた。なんとなくだけど、この人は見捨てたりはしないだろう。
ぶっきらぼうだけど、根は優しそうだから。
そうしてそのうち、視界の白さが加速していき。
目の前の景色が雪の白さかなにかも分からなくなってしまって。
ドサリ、と。
私の意識は、どこかに飛んでいった。
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