ノールック・ルーニック
如月真白
Chapter1ー雪の時節に廻る
第1箋 : 雪山にて回顧する
見渡す限りの白。立ち並ぶ木だけが、その景色に変化を与える。その間隔は疎で、故に森は死んだように眠っていた。
真白の大地に、踏み出した足が沈む。膝ほどまで沈み込めば、不自由なことこの上ない。
雪用の長靴も、ここまで深い雪を相手にすると無力だ。
厚着に厚着をして、靴下も二重に履き、施せる限りの寒さ対策をしてもなお、それらを貫通してくる寒さ。
…何故俺がここにいるかと聞かれ、それに答えるとしたら、数日前に遡ることになる。
――――――
「…謎の病、ねぇ」
目の前に積まれた山盛りのポテトを口にしながら、眼前の友人から飛び出してきた言葉を反芻する。
「ああ。近場の医者やそれなりに高名な医者にも診てもらったらしいが、原因がさっぱりなんだとか。それでちょうどこっちに来ていた君に頼もうと思ってね」
「そいつらにも何とか出来ないなら、俺にも無理だろ」
「原因が
まとも、の部分を強調するあたり、コイツにはその正体が薄々ながら分かっているのだろう。この女ともそれなりに長い付き合いだ。考えていることの一つや二つくらい察することはできる。
根っからのS気質であるからか、昔からめんどくさい厄ネタを吹っかけては、それを面倒がる俺を笑いながらみているのだ。
「なら、お前が行ったらどうだアイシャ。そういうの大好きだろ」
「そうしたいのは山々なんだけど、その辺りの環境がイヤなんだ」
「環境だぁ?…お前寒いの苦手だったっけか?」
「大っ嫌いだね。そうでなくてもここ数ヶ月ほどあの辺りは酷く吹雪いているんだ。好き好んで行くような場所じゃない」
「そこに放り込まれるんだが俺は」
むすっとした物言いだが、滅多に見られない態度に新鮮さを感じた。猫被りが得意技であるアイシャは、大抵のことは軽くこなせるオールマイティな天才だ。そんな奴が寒さが嫌いだというのだから、今度のからかいのネタにでもしてやろうと俺はほくそ笑んだ。
「何かイヤな予感がするんだけど」
「気のせいだろ。ああ、気のせいだ」
「……、まあいい。兎に角、君の魔術師と医師としての腕前が試される一件だぞ」
「おいコラ何勝手に引き受けたことにしてやがる」
相変わらずの理不尽っぷりに辟易としながらも、この流れは変えられないのだろうと溜息を溢す。
「ラグ、これが地図だ。いくら君に視えているのだとしても、
「…世話焼きは変わらず、か。その蟻くらいの優しさが俺じゃない奴にも向けられたらなぁ…」
「なんだ、優しくされないでもらいたいのか?」
「違えよ。もう少しオープンな人間関係を作れって言ってんの」
目の前のこの女の人間関係は仕事にまつわるそれ以外ではないに等しいほどの閉鎖っぷりだ。いわゆるコミュ障というわけでもないが、人見知りと言った方が近いのかもしれない。
「仕事ができればいいんだ。プライベートまでは踏み込まれたくない」
「…はぁ。そんなんだから俺とかスエードくらいしか友人枠がいないんだろうに」
「余計なお世話だよ」
ため息をカウントすれば、それこそ月にまで届くんじゃないかと訳の分からないことを考えてしまう。その程度には手を焼かされるのが、アイシャ・リームハウスとの付き合いだ。
今日はよく晴れている。レストランのテラス席には陽光が降り注ぎ、白いパラソルがそれを遮っていた。
ガタリと椅子をずらして立ち上がった。一つに結った白髪が背中で揺れた。
「まあ、やるしかないのかね」
「おや、珍しいじゃないか。明日は雪かな?」
「仕掛けておいてよく言うよ、ったく」
心底面倒そうな風で俺はごちた。
「明後日には出る。準備するから俺は行くぞ」
「いい報告、待ってるよ」
アイシャの分まで金を置いて店から街路へと出た。背後から飛んできた声に、振り返らずに手だけ振って返す。
この街は四季を持つ。そこに照らせば、今は春先だっただろうか。
街を割るメインストリートに、暖かい風が吹く。背中に届く結った白髪の枝先が揺れ、春の訪れを知った。
――――――――
「春…だったんだがなぁ」
どう見ても冬。冬一色である。アイシャと話をしていた街はシーズナリーという街だったが、そこから北へ
とんでもない距離を移動したが、ここまでガラッと変わるとは予想していなかった。
というか、道程の9割は春のような穏やかな天候だったのだ。
「いや…、それは甘えなのかね」
ただ視なかったというだけ。防寒具は持っていたが、想定より厳しい。そんな可能性を考慮しなかった俺の落ち度なのだろう。
俺の持つ先天性の能力は、使えば便利だし目的地まで真っ直ぐ辿り着くこともできる。しかし、それは人ならざる力でもあった。
あの日アイシャに「使うな」とは言われていない。必要に迫られれば使うことも躊躇わない。が、やはり使わないに越したことはないのだ。
北へ歩き、のらりくらりと一人旅。気楽で、自由なものだ。
懐から地図を取り出し、少なくとも方位が合っていることだけを確認した。真っ直ぐ進めているかどうか、この白の中ではそれすらも危うかったからだ。
「いい加減、目についてもいい頃なんだが…」
ここに来る前に立ち寄った村で聞いたところによると、赤い煉瓦の建物が見えてくるという。それは目的地の村――モーバスの目印だという。
アイシャは村の名前を口にしなかったし、渡された地図にも載っていなかったのだが、俺はその村の名を耳にした瞬間に盛大に顔を顰めたことを覚えている。
「謀った…んだろうな、アイツのことだし」
どうにも足が重いのは、雪と疲れのせいだけではないようだった。
顔を合わせる事がないことを祈りながら、俺は足を進めた。
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