そして物語は動き出す

 店を冷かしながら、街の外れまで当てもなく歩いていた俺の背に、


「あっ! やっと見つけた!」


 おっと、この声は……。

 聞き覚えのある声にクルッと後ろを振り返ってみたら、そこに居たのは、

「やあ、久しぶりだね助手君!」

「やっぱり、お久しぶりですねお頭! 最近会ってなかったから寂しかったですよ」

「それはどうもありがと。ちょっと上の人に呼び出されたり調査で走り回ったりしててさ」

 思った通り、そこに居たのは傍らにいるだけで元気をくれる、このいかれた世界の中で数少ない常識人である活発系の元気娘、クリスだった。

「俺を探してたみたいだけど何か用? はっ、まさか最近何回目かのモテ期到来中の俺に愛の告白をする為にっ! それだったら今からアクセルを一望できる丘の上に行こう。そこで顔を赤らめながら上目遣いに、『あなたの事が大好きです! 愛していますっ!!』って言って欲しいな!」

「違うに決まってるでしょ! というか、なんで地味に設定が細かいのさ!」

 そう言って、クリスは顔を真っ赤にして頬を膨らませた。

 うんうん、やっぱりこの人はからかい甲斐があって話してるとすごく楽しい。

 この表情にはいつも和まされるばかりだ。


 未だにぶつぶつと不満を言っているこのクリスという美少女は、とある優秀な女神様が下界で過ごす時の仮の姿だ。

 その女神様というのは、アクア曰く胸にパッ、

「ある時はダクネスの親友にして、敬虔なエリス教徒である盗賊職の冒険者! またある時は義賊として名高く、世間を騒がせる銀髪盗賊団のお頭! しかして、その実態は。この世界を管理する幸運の女神、エリスその人なのだ!」

「どうしたんだ、いきなり自己紹介なんか始めて?」

「いや、なんだか自分でしておかないとロクな事を言われない気がしてね」

 そんな事をノリノリで話すクリスを見ていたら、なんだか心がほっこりして来る。

 しかし、俺の事を探してくれていたとは。

 本人は違うと言ってるけど、やっぱり女神様フラグが立ったのではなかろうか。

 そんな妄想を膨らませていると、クリスはいつもの柔らかい笑顔を浮かべ。

「実は、魔王を倒した他ならぬキミに、頼みたい事があるんだ」

「お断りします」

「そっか、ありが……」

 俺の即答に、クリスはそのまま笑顔を凍り付かせる。

「クリスがわざわざ俺の事を、他ならぬ魔王を倒したとか言ってる時点で厄介事を頼もうとしてるのは確定じゃん? 俺そんな時間も度胸もないから。それじゃあ、俺はこれで」

 そう言って立ち去ろうとする俺の服を、クリスは慌てて掴んできた。

「ちょ、ちょっと待ってよ、まだ何も言ってないよ! まあ、確かに安全かどうかは保障しかねる内容を言おうとしたけど。それでも、世界の平和を守るため、どうしてもキミの力が必要なんだよ。あっ、ちょっと、耳をふさがないで、帰ろうとしないでっ! と、とりあえず話だけでいいから聞いて、お願い!!」

 クッソ、クリスの奴意外な握力を。

 ここで指を滑らかに動かすなどして脅せば逃走も図れるだろうが、ここは一度冷静に考えてみることに。

 仮にこのままクリスを無視して帰ったとする。

 その場合、きっとクリスはダクネスやめぐみん辺りに協力を求めるのだろう。

 するとどうだ、あいつらは勝手に興奮したり無意味に爆裂したりして、事態はもっとややこしくなるに違いない。

 そして、あいつらだけではどうにもならないと言う事で、何故か俺が責任を取らされる羽目になるんだ。

 ……どうしよう、ここまでの流れが容易に想像できてしまう。

 そんな事なら、今のうちにさっさと話しを聞いておいて、俺とクリスだけで解決した方が楽なんじゃないか。

「はあ、分かった。聞くだけ聞いてやるよ。俺達は愛と真実の悪を貫く仮面盗賊団だからな。その話はすぐ終わるのか?」

「仮面じゃなくて銀髪だってば! まあ、取り敢えずありがとう。ただ、今回はかなり込み入った話だから立ち話ではちょっと。ここからだと近いし、いつもの喫茶店に行こうよ。話を聞いてもらうんだし、ここは奢らせてもらうよ」

 途端に破顔したクリスとお互いの愚痴を言い合いながら、毎度おなじみエリス教の人が運営している喫茶店へと向かって行った。



 奢ってもらったコーヒーを一口啜ったところで、

「それで、今回はどんな無理難題を持って来たんだ? また神器集め? それならもう魔王もいないんだし、必要ないんじゃないか」

 と、カップを受け皿に戻したクリスは真面目な雰囲気を作り、

「まあ、神器と言えば神器なんだけど、今回はちょっと特殊でね。事の始まりはつい先日、ある人が天界から脱獄しちゃった事なんだよ」

 いきなり天界や脱獄ってワードが出るとか予想外にも程がある。

 というか、天界にも牢屋ってあるんだな。

「さっき上の人に呼び出されたとか言ってたっけ。そう言えば、アクアも昨日の晩から天界に帰ってるんだよな。……もしかしなくても」

「うん、それと関係大有りなんだ。あたしも昨日聞いたばかりだからまだちゃんと把握しきれてないんだけど……」

 こめかみに手を当ててふうっと息を吐いたクリスは、普通なら人間であり一介の冒険者に過ぎない俺が知る由もない話を始めた――


 エリスやアクアの大先輩にあたる、トルクティオという破壊を司る女神がいる。

 あまりに古株の女神であるため、エリスを含め今や殆どの神々が直接会ったことがないそうだが、様々な噂だけは定着していた。

 やれ天界における事実上のNo.2だ、やれ冷徹無比だのと恐れられ、今や生きる伝説と化しているのだとか。

 事実、本来壊すべきでない種族や星を壊しかけたこと数知れず、神々間での悪評は増えていく一方だった。

「アクアにしろその人にしろ、エリス様以外の女神は周りに迷惑を掛けないと生きていけないんですか?」

「エリス様はやめてっていつも言ってるじゃん! 力のある先輩方にはちょっと独特の感性を持ったというか、困った人が多いんだよね。そのせいで下で働いてくれてる天使達や私達みたいた後輩女神が、いつも寝不足になりながらも頑張ってるんだけど……」

 本当にお疲れ様です、エリス様。

「それで、昔創造神様が大先輩のやり方があまりに過剰だと判断なされて……」

 女神の力を失った状態で数千年もの間地球で謹慎させることになったのだが、最近になって謹慎が解け、その女神が天界に戻ってきた。

 しかし、帰った次の日に何を血迷ったのか、突如天界各所で大爆発を起こし大暴れしたそうな。

 激戦の末、ギリギリ活動限界に陥れたものの天界側の被害は甚大。

 罰として心身の永久凍結の刑が処されることに。

 しかし、あと少しで完全に封印が施されると思われた時、突然何の前触れもなくその女神が姿を消してしまったのだ。

 慌てた天界の人達は急遽女神の探索を開始、昨日漸く判明した女神の逃亡先というのが――

「誠に残念なことに、この世界だったという訳さ」

「なめんな!」

 クリスが口を閉じると同時に、俺は人目も気にせず叫んでしまった。


「――落ち着いた?」

「はい、取り乱してすいませんでした」

 クリスが新たに注文してくれたカモミールティーを飲み、俺は少しづつ心を落ち着かせていく。

「それで、この世界におっかない女神様が来たのは分かったけど、結局俺は何をさせられるんだ? 言っとくけど、その女神様を捕獲するのを手伝えとかだったら絶対断るからな」

「いくら何でもそんな無茶な事は頼まないよ。創造神様自らがご考案なされた、一度掛けられたら創造神様でも自力では解呪できない封印が施されてるとは言え、三段階中二段目までは外れてるから危険極まりないしね」

「二段突破されてるとかザル封印じゃねえか」

 聞く限りその創造神というのが天界のトップのようだが、本当に創造神という人は一番偉くて強いのか?

「そ、創造神様を悪く言わないでください! 封印が不完全だったせいで紐解かれやすくなってしまっただけで、封印自体に否はないんです! そもそも一度完成間近まで施された封印なんて、並の神々では解呪なんてまず不可能です。それを破る大先輩の方が規格外なんですよっ! それに、あの方は全ての世界と癖のある神々を統括していらっしゃるので、日夜頭を抱えて各世界の問題に対処している苦労人なんです」

「ごめんなさい、俺が悪かったです。今度創造神様に謝っておいてください」

 魔王にしろ創造神にしろ、何でこの世界は上の立場の人がこんなにも苦労するのだろうか。

「それじゃあ、本題に入るね。助手君は女神に与えられる神器について知ってるかな?」

「それって、アクアが持ってる羽衣みたいなやつの事か?」

「その通り。女神にはそれぞれ、自身のアイデンティティとも為り得る神器が寄与されるんだけど、大先輩が持ってる神器は自分で改良を加えた特別性らしくてね。通常の二倍ぐらい特殊効果が組み込まれているんだって」

 通常の倍って、アクアの羽衣もかなりの一品だって聞いたんだが、それ以上の性能ってことかよ。

「確かに大先輩の素の力もとんでもないらしいけど、天界の人が最も苦戦した理由はこの神器があるからこそなんだ。つまり、この神器を奪うことに成功すればかなりの戦力ダウンに繋がるのさ!」

 ああ、もう読めた。

 ここまで長々と女神について話した上で、そんな神器の話を持ち出したということは。

 そこでクリスは俺に向かってビシッと指を指し、

「という訳でキミには、大先輩の神器を奪うのを手伝って欲しいんだよ」

 ほら来た。

「あのなクリス、それって直接戦闘しなくなっただけで危険度は大して変わってないからな。俺、これ以上命張りたくないんで、やっぱり今回の件はなかったことに……」

 さっさと俺がこの場を去ろうと……。

「ま、待って! 神器の回収は真正面から戦闘するよりは遥かに安全だからっ! でも、他の天界の人は盗賊スキルを使えないから、このままだとあたし一人で大先輩から神器を奪うことになるんだよ。助手君はあたしの事が心配じゃないの?」

「大丈夫ですよ、お頭は優秀な盗賊ですから。俺がいなくてもそんな女神の一人や二人相手なら楽々盗めますって。そういう訳で、陰ながら応援してますよ」

「薄情者っ! あたしとキミの仲じゃないか、お願い協力してよ!」

 アクアみたいに面倒臭い事を言い出すクリス。

 このままでは拉致が明かないので、ひとまず椅子に座り直すことに。

「その人から神器盗むのは本当に危なくないのか? それってすごく大事な物なんだろ?」

「三段階のうち残る封印は記憶系統に掛けられたものだし、神器自体にも強力な封印が施されてるからすぐには使えないんだ。だから人間の姿のあたしやキミなら自然に近づけるはず。ささっと盗んじゃえば、案外バレないと思うんだよね」

 なるほど、神器の存在を忘れており、仮に思い出してもすぐには使えない今なら、確かにやれないことも無いかもしれない。

「でも記憶や神器の封印だって何時解かれるか分からないんだろ? もし盗む直前になって思い出したらどうするんだよ?」

「その点に関しては問題ないよ。解呪されたかどうかは施した人達が気付けるし、何より……」

 そこまで言ったクリスは、そっと自分の胸に手を当て――


「幸運の女神である私が付いています。私とカズマさんの幸運値の高さなら、絶対に大丈夫です。ですから、どうか私を信じて、協力してくださいませんか?」


 エリスの口調で物憂げな表情を浮かべるクリスがそこに居た。

 ……そんなこと言われたら断れないじゃないですか。

 ズルいですよ、エリス様。


「――因みに、その女神が今どこにいるかは分かってるのか? 一から探すとなると一気に難易度上がるんだが」

 エリスの頼みを聞き入れてしまった俺は、成り行きながらも神器奪取作戦に加わることになってしまったので、こうして作戦会議を始めたのだが。

「その事なんだけどさ。魔力を感知したかと思ったら、次の瞬間には反応がぷっつり切れちゃったみたいで。四、五日前にアクセル周辺に降り立った事までは突き止めたんだけど、それ以降の動きは探れなかったらしいんだ。でも大先輩は致命傷を幾つも受けたそうだし、多分この街で英気を養ってると思うんだよね。だから、あたしが宝感知スキルで地道に探してるんだけど、中々引っかからなくて」

 スキルを使ってその女神が持つ神器を目印に、本人を見つけようってことか。

 聞いた限りだと、クリスの推測は正しいと思う。

 天界にいる時点で治癒限界には到達していたらしいし、深い傷を負った状態でそんな遠くへ行くはずもない。

 となれば、近場の街で薬草などを使いつつ、体調が戻るまで潜伏するという選択肢を選ぶはずだ。

 というか、俺はさっきから嫌な予感がしているのだ。

 女神が力を取り戻したタイミングといいその強さといい、非常に既視感を覚えている気がしてならない。

 何かは分からないのだが、今までえらい目に合わされ続けた俺の本能的危険察知スキルにビンビンと反応しており、これ以上関わるなと警告を発している。

「クリスはその人の特徴とかって聞いてないのか? 顔も分からないと見つけようもないしな」

 そんな事を聞いたのが運の尽きだったのだろうか――


「一応大先輩の履歴書を読ませてもらったから大体分かるよ。身体付きはアクア先輩と同じぐらいで、身長は170㎝ちょっとってところかな」


 ――クリスの口から出たその情報は


「左腕には神器である緋色のブレスレットを装備していて」


 ――俺の期待を一瞬でぶち壊し


「あと、これが一番の特徴なんだけど」


 ――俺が困窮し頭を抱えるには


「髪は腰の辺りまで伸ばしていて、あたしの髪をより一層白くした感じの美しい白金色だったよ」


 ――十分すぎる程のものだった。



 急に頭を抱え込みだした俺にクリスが心配そうに声を掛けてくれたが、咄嗟に大丈夫と言って誤魔化す事にした。

 クリスも何か言いたげだったがそれ以上は追及してこず、また近いうちに会う事を約束し今日はお開きという流れになった。

 その間に、クリスは他の街に出向いて調べてみるとのことだ。

 随分と長く話していたようで、外は既に暗くなり始めていた。

 そろそろ晩飯の時間なので早々に帰路に着いた俺だったが、道すがら自然と思い起こされるのは先程までの会話だったりする訳で。

「はあー。なんで毎度こうややこしい問題に巻き込まれないといけないのかねえ。俺はトラブル処理係じゃないぞ」

 とは言え、引き受けてしまった以上文句ばっかり言っても仕方がない。

 俺は溜息をつきつつも、頭に勝手に湧いて来る思考に身を任せることにした。


 取り敢えず、クリスが言っていた件の女神様の特徴を復唱してみよう。

 容姿に関しては、アクア並のスタイルでロングヘアーの白金色。

 腕には緋色の腕輪が付けられており、記憶障害の可能性有り。

 そしてその力は創造神にさえ及ぶ程だとか。

 これらを踏まえた上で、俺は頭の中に浮かんだもう一人の人物について思い浮かべる。

 銀髪女神と言えばどんな姿かと問われれば、こう答えるだろうと言うぐらい美しく、サキュバスの夢でお世話になりたいぐらいの容姿を持つ誰かさん。

 今思えば確かに腕には綺麗な腕輪をしており、絶賛記憶喪失中な何とかさん。

 更には頭脳明晰超高ステータスと言ったおまけ付き。

 ……うん、これはどう目を背けようとしてもこの結論に達するな。


 ――クイーンとその女神は同一人物


「やっぱそれしか考えられねえよな……」

 性格面においてかなり違いがあるが、記憶を失い性格が変わるのはアニメやラノベではよくある話だ、ここは目を瞑っていいだろう。

 とにかく、これでクイーンの不自然な出自がハッキリした。

 次に問題となってくるのは、クイーンの今後の取り扱い。

 クリスに伝えることも勿論考えたが、正直あのクリスがどう判断するのかが読めない。

 心優しく寛大なエリスのことだ、俺の話に最後までしっかりと耳を傾けてくれるだろうし、多少は意を組んでくれるとも思う。

 でも、エリスだって天界で働く身の上だ。

 上からの指示が出てる以上、俺達の個人的な都合であまり迷惑を掛ける訳にもいかない。

 おまけにその女神が事実危険だってんだから、この世界の管理者としても見過ごす訳にはいかないだろう。

 かといって、仲良くしていた仲間が俺達の知らない罪で処罰を受けるのは正直気が進まない。

 だからこそ、クリスには言葉を濁して出てきたんだけど、俺が黙ってたせいで天界の対応が遅れて、結局手が付けられなくなったら元も子もないし……。


 そんなこんなで思考をグルグル回しながら歩いているうちに、いつの間にか屋敷が見えてきた。

 と、俺は目に映ってきた状況が信じられず、思わずその場で足を止め絶句した。

 視界に映ったのは見慣れた屋敷ではなく――


 至る所から煙や火の手が上がり、随所が氷漬けにされ崩壊しかかった建物がそこにはあった。


 壁や屋根などは何ヵ所も崩れ落ち、何か恐ろしく鋭利な物で切断されたのか、建物の壁には縦横に大きく細長い筋が何本も残っており、見るも無残な状況と化している。

 そんな屋敷のあんまりな状況に暫し思考が停止した後、気付いた時には屋敷に向かって走り出していた。

「アクアーッ! めぐみーんッ! ダクネースッ! 大丈夫かっ!?」

 マズイマズイマズイ、これはどう考えてもマズイ!

 嫌な考えが否応なしに頭の中を駆け巡る。

「おーい、誰かいるんだろっ! 返事をしろーっ!!」

 まさか、クエストから帰ったクイーンの記憶が戻り、気まぐれでこの屋敷を破壊しようとしているのか?

 もしくは、誰かが余計な事を口走ってクイーンを怒らせ、このような状況を招いたのか?

 クリス曰く、記憶の封印はそう簡単に解けないそうだが、何が怖いってクイーンの周りにいるのがウチのメンツだということが何より怖い。

 あいつらが、特にアクアなんかが一緒にいるとなれば、『何か知らないけど、何時の間にか世界が破壊されてました。テヘペロッ!』なんて、通常ならあり得ない事態が起こり得てしまうのを、俺は既に何度も経験している。

 と、俺が玄関先まで来た時に、バリンッとガラスが弾ける音が聞こえた。

 慌てて音のした方を見ると、広間にある窓ガラスが地面に落ちてくる様子が伺えた。

 少なくとも、誰か一人はあそこにいるってことか。

 俺は玄関を蹴り破り、壁や床が氷漬けになったり亀裂が入ったりした廊下を無我夢中で走り抜け、いつも皆と一緒にくつろいでいる広間へと急いだ。

 広間へと通じる扉にもまた氷が張り付いていたが、その隣の壁が焼き尽くされていたので俺は迷わずそこから中に飛び込んだ。

「アクアーッ! めぐみーんッ! ダクネースッ! 無事かっ!?」

 大声をあげながら見渡した部屋の中は、ひどい光景だった。

 窓ガラスは粉々に割れ、カーテンは形を保ったまま炭素と化し、食卓やソファーは無残にも切り崩され、床には多種多様な魔法が当たった痕跡が残っていた。

 そして、俺の視界には見たくなかった物まで映り込んできた。


 それは広間の中央に配置された三つの物体。


 一度実家に帰っていたダクネス、天界から呼び出されていたアクア、クエストを終えて戻っていたであろうめぐみんが、ピクリとも動かないで床に倒れこんでいたのだ。

 更に不運な事に、その傍らに立つもう一つの影。

 こちらに背を向けたまま圧倒的なオーラを放っており、見る者全てを魅了するが如き美しい白金色の髪をたなびかせた美女、クイーンの姿が。

 どうやら最悪の形となってしまったようだ。

 と、俺の帰宅に今更気が付いたのか、クイーンはこちらに振り返らずに、今まで聞いたことがないぐらい苛虐で冷酷な口調で。

「帰ったか、カズマ。だが、少しばかり遅かった……。」

「お、おい、クイーン! これは一体どういう……」

 俺が一歩クイーンに近づこうとした時、こちらに見向きもしないでクイーンがバッと手を突き出すと、突然俺の前に巨大な氷の塊が出現して行く手を阻んだ。

「その場を動くな。暫くじっとしていろ。」

 鬼神が舞い降りたかの如きクイーンの迫力に一瞬気後れしそうになるが、流石の俺も今回ばかりは怯む事はなかった。

 万が一のために常日頃から持ち歩くようにしていた最高品質のマナタイトを取り出した俺は、クイーンへと手を向け、

「ふざけんなっ! お前、アクア達に何をした! 事と次第によっちゃタダじゃおかねえぞっ!!」

 この時は、自分も巻き込まれるとか、どうせそんな度胸ねえだろとか、そういう考えは一片たりとも頭に浮かばなかった。

 俺にしては本当に珍しく、というか初めてではなかろうか、こんな格上と対峙しても引き下がろうとは到底思えなかったのだ。

「確かにそいつらは、普段は迷惑しか掛けないは自分勝手だは足を引っ張るは言う事聞かないは性癖おかしいはで頻繁に引っぱたきたくなるどうしようもない連中だ! だけど、それでも! 幸運値と商才以外大した取柄のない性格の曲がった俺の傍にいてくれる、俺にとってはかけがえのない最高のパーティーなんだ! そんな奴らに、お前は……っ!」

 と、不意にクルッとこちらに振り返ったクイーンが、手に雷撃系の魔法を携えて俺に向かって一足で接近して来た。

 あまりに急だったので一瞬戸惑ったが、それでも俺は今まで何百回と聞いてもはや無詠唱で打てるまでになっていた魔法を放とうとした。

「『エクスプロ―』ッ!」

「そこだっ!」

 俺が唱え切る前に、クイーンは俺に向かって手刀を振り下ろ、さないで。

 俺の横を通り過ぎ、後ろにある何かに向かって魔法を放った。

 それと同時にキンッと何かが切れる甲高い音が。

 俺は魔法の発動を慌てて止め急いで振り返ると、胴を真っ二つに切断された俺の頭と同じぐらいあるクモを掴み、ほっと一息つくクイーンがそこに居た。


 ――あの騒動があった後、話をする前に散らかり放題の広間を掃除することに。

 アクア達もクモが退治されてから直に起き上がり、今では元気に広間の片付けを手伝っていた。

 そして、なんとか話し合いができる程度にまで広間が片付いたところで、俺はクイーン達に改めて事情を聴くことにしたのだが……。


「はああああ!? ゲホウグモの変異種に間違ってウィズのとこの『食べれば数時間の間体が巨大化する団子(要:服用した個体の特技が強化されます)』を食べさせたら大暴れしだして手に負えなくなっていた?」


 と言うことらしい。

 ゲホウグモというのは、木の瘤に擬態するというコガネグモ科の一種だ。

 別段珍しい種類ではないのだが、この世界にはパラライズの魔法を使って相手を動けなくしたところを捕食する変異種がいるそうな。

 それを発見したクイーンが生態観察をしようと持ち帰り、何か餌をやろうと机の上に置いてあった団子を与えてみた。

 しかしその実、それはアクアがウィズにお試しでもらってきた団子だった訳で、そのクモは擬態能力とパラライズの威力が跳ね上がり屋敷中を逃げ回った。

 すぐさまクイーンが魔法で退治しようと試みるも、クイーンの魔力制御はまだ甘く。

 その上クモのあまりの俊敏さと擬態能力の高さに目測を誤り、屋敷にどんどん被害が及んでいったのだ。

 長時間に及ぶ戦いをしているうちに、めぐみんが倒れ、神器を干していたアクアが倒れ、自ら進んで攻撃を食らいまくったダクネスも数十発目を食らう頃に遂に倒れ。

 最後の一人となったクイーンが、どうにか広間にまで追い詰めたところに俺が帰ってきたのだとか。

 既にクイーンは自ら正座をしており、俺の前で首を垂れていた。

「ほ、本当に申し訳ない。今回は完全に私の失態だ。」

「顔を上げてくれよ、クイーン。まあ、大体分かったから」

 できるだけ優しく聞こえるように発した俺の言葉に、クイーンはおどおどしながらもゆっくりと頭を上げる。

「なんとお詫びしたら良いか定かではないが、必ずこの屋敷は明日中に直してみせる。それに、私に出来る範囲内ならば近日中に何でも好きな事をしてやる、いや、行わせて頂きます。ですから、その、許しては戴けないでしょうか?」

 そこまで言葉を並べ立てたクイーンは、恐々とした表情を浮かべて上目遣いに俺の顔を覗き込もうとしてくる。

 そんな小動物的なクイーンの様子に俺は少し吹き出しかけたが、それを何とかこらえ、

「別に、そういう事情なら怒らないよ。確かに、不用意に団子を食べさせたのはどうかと思うが、こうしてちゃんと退治してくれたし、屋敷だって直してくれるんだろ? ならそれでいいよ。それに、今回誰が一番悪いかというと……」

 そう言って、俺はさっきからクイーンの隣で一緒に正座をさせているアクアに目を向ける。

 そんな俺の視線から逃れるようにアクアがフイっとそっぽを向くが、

「そんな危険な団子を何の注意書きもなく置いたお前だろー!」

「ひたひ、ひゃめふぇ! 何で私ばっかり責めるの!? 今回のことは半分、いや七割ぐらいはクイーンが悪いじゃない!」

 そう言って早々に涙目になるアクア。

 めぐみんやダクネスもフォローしないあたり、やっぱりアクアに非があると思っているのだろう。

「俺が一番怒っているのは、お前のその悪びれない態度だっ! クイーンはすごく反省してくれているが、お前はそんな気配の欠片も見せないじゃないか!」

「だってだって、こんな大事になるなんて思わなかったんだもの! 私はただ、あのお団子をゼル帝に食べさせてあげたら、私を背中に乗せてくれるぐらい大きくて立派なドラゴンになると思ったからもらっただけよ!」

 そんな傍迷惑な事を考えてたのか。

「テメー、そんなしょうもない事のためにあんな危険な物をもらったって来たのか!? よし分かった。お前が二度とそんな気を起こさないよう、そろそろあの鶏肉を照り焼きにでもして食ってやる! 食卓に並んで皆に美味しそうに食われたら、さぞゼル帝の奴も満足するだろうよっ!」

「やめてっ! 事ある毎にあの子を食べようとしないで! なんでそんな酷い事ばっかり思いつくの!? あの豚と熊を足したみたいなおじさんやチンピラもドン引きよ! 人間だった頃の優しい心を思い出して!」

「言うに事欠けて俺が人間じゃないみたいに言いやがったなっ!! よし、そこまで言うならお望み通り、あいつを美味しく料理してやろうじゃないか!」

 そう言って鳥小屋に向かう俺とアクアが取っ組み合いを始めるのに、そう時間はかからなかった。

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