第76話 深夜の再会2。

「リッシュを、あんまり責めないであげて」

「それは……どういう……」

 ケミーの言葉は、実に意外なものだった。

 昨日話した感じから、どうやらギアッドはリッシュを非常に崇拝している様子だった。だけどケミーに関しては違うと思っていたのだ。恐怖で支配されている様な、抑圧されている様な……そんな印象を受けていた。だからこんな、リッシュを守る様な発言をするとは思わなかった。

 同時に、リッシュという人物像についても曖昧になってくる。実際に会って話しているにも関わらず、ギアッドやケミーの立場や言い分が、俺の受けた印象と微妙に異なっているからだ。

「リッシュは良い人。たまに乱暴で恐いけど、優しいし真面目だし、強くて頼もしい。人に譲れない大切な夢も持ってる」

 良い人……優しくて、真面目。どれも全然ピンと来ないけど、夢を持ってるっていうのは、確かにギアッドも言っていた。そしてその夢を果たす為には、異界溝が必要であるとも。

 異界溝。界の狭間にある不安定な世界で、そこに在る存在は本質が曖昧になってしまうという。異形の武器や道具があって、ギアッド曰く夢の世界で、そこに介入しているであろう人物は……ロジーさん。

 そもそも、ラシックスとロジーさんはどういう関係なのだろうか。ギアッドは、とある人物が異界溝への介入手段を伝えたと言っていた。恐らくその人物はロジーさんで、ケミーがパラ=ズンを受け取っている点から見ても、それなりの協力関係にはあるという事だ。

 赤銅の竜を欲するが故に、リッシュは継承も不十分なケミーを仲間に引き入れた。それと同様に、夢を叶えるのに必要な異界溝に介入する為、ロジーさんと手を組んだという事だろうか。

「今日の夕方、リッシュのホバットが来て『赤銅の竜を止めろ』って言ってた。またリッシュを困らせてるって思って、申し訳無い気持ちになった。間違えてトア姫に弾が当たっちゃった時も、リッシュ凄く怒ってたし。……もうこれ以上、リッシュを困らせたくないと思った」

「今日の夕方……」

 と言えば、きっとあの時だ。赤銅の竜が電波塔を崩壊させて、苛立ったリッシュがケミーに向けてホバットを放っていたのだ。その直後ロジーさんが現れて竜を送還したけど、あの伝言はちゃんとケミーに届いていたのか。

「だから異世界人もそうして欲しい。あんまりリッシュを責めないであげて」

「…………」

 そうして欲しい……って言われてもなぁ。俺はそんなつもりは無いし、むしろ困っているのは俺の方で……なんて言おうとして、口を噤んだ。それはあまりに勝手な言い分だからだ。

 この異世界に突然やってきたのは俺達の方だ。迷惑を被られても、例えば怪我をさせられても、文句なんて言えるはずも無い。トア側ならまだしも、ラシックス側からしたら客人でも何でも無いのだ。

 リッシュが俺達を歓迎する理由があるとしたら、それはきっと蒼天の竜を扱えるという点。三人での分担召喚なんてややこしい条件さえ無ければ、ラシックスに勧誘されていたかもしれない。

 ケミーの様に……。

「…………あのさ、ケミー」

 思う所があって、ふと尋ねてみる。

 世間話なんて、するつもりは無かった。何しろ俺は自分の身すら自分で守れない。だから余計な会話はせずに、聞きたい事だけ聞いて早々に退散するつもりだった。

 だけど、ずっと気になっていた事があるのだ。

「……毎日楽しく過ごしているか?」

 我ながら唐突な質問。フードの隙間から僅かに見えたその瞳も、不思議そうにキョトンとしている。

「あ、いや。えーと……。悪い、リッシュに聞いたんだ。ケミーは事故で両親を亡くしてるって。その後すぐにラシックスに加入したんだろ? 辛い思いとかしてないか、ちょっと心配になってな」

 ケミーは危険だし、信用ならない。指示とは言え俺を殺そうとしたし、トアに怪我をさせた張本人だ。

 だけど責めきれないのは、リッシュにケミーの境遇を聞いてしまったからだった。

 ケミーは……俺と少しだけ似てるんだ。

「辛い思い……。してない。大丈夫。最初は少し寂しかったけど、もう慣れた」

「…………そうか」

 ……嘘だ。そんな事、そう簡単に慣れるはず無い。

 夏の湿った生温い風が、肌を撫でる。頼りなく灯る外灯が、曇天の闇を懸命に照らしていた。

 言うかどうか迷った。こんな事話しても、ケミーを困らせるだけの様な気がした。

 だけどそれでも口を開いてしまったのは、中学生の頃の自分とケミーを重ねてしまったからだろう。

「俺達ちょっと似てるな。俺には母親が居ないんだ。まぁ……うちは離婚しちゃっただけなんだけどさ」

 初めて人に話した。この事はきっと絵里も千佳も知らないだろう。話す機会なんて無かったし。

 基本的に何を考えているのか分からない表情のケミーだが、この時ほんの少しだけ目を見開いたのが分かった。それがどんな感情に起因するのか不明だが、「そうなんだ」と呟くケミーには何となく弱々しい素の部分が滲んでいる気がした。

「俺って昔から優柔不断でさ、それでよく両親を困らせる……っていうか、イライラさせる事が多かったみたいなんだ。勿論それが全ての原因って訳じゃ無いんだろうけど、家の空気は悪くて、文句を言い合ってるのをいつも耳にしてた」

 誕生日プレゼントすら選べない程に。強く覚えているそれ以外にも、きっと色々な場面で両親に面倒臭い思いをさせていただろう。

 堰き止めていた水が流れ出る様に、身の上話を口にする。こんな事を話しても仕方無いと思いつつも、似た境遇のケミーに共感し、されたいと思ってしまっていた。

「小学生の時に、クラスの女の子を連れて家出みたいな事をしたんだ。夜通し連れ回して家に帰ったら、父親に物凄く怒られてさ。母親はもう呆れてる感じだった。それがキッカケだったかは分からないんだけど、そこから段々離婚の話をする様になっていった」

 俺はその日から、父親に恐怖心を抱く様になった。今回俺が異世界に召喚された事でずっと家に帰らないのも、また同じ様な事をしていると思われていそうでヒヤヒヤしているのだ。

「あ」

 ……話していて思い出した。

 今日の朝見た夢の事。


 ーーどっちがいい? 柳

 ーー選んで。柳が決めて。


 心を抉る、残酷な要求。俺の意思を尊重しているのだと思っていた。だけど本当は、どちらも俺を求めていなんじゃないかという不安が、今でも拭い切れずにいる。

 結局どういう風に決まったのかは曖昧だが、俺は父親と生活をする事になった。離婚する以前から植え付けられていた恐怖心から、俺はいつまでも二人での生活に馴染めずにいたのだ。

 パラパラと数滴の雨粒が落ちた。城を囲う湖に、まだらに水の波紋が描かれていく。


「……それじゃあそろそろ行く。トア姫にごめんなさいって謝っておいて下さい」

「あぁ。……引き止めちゃって悪かったな」

 話が大いに脱線してしまったが、とりあえず聞きたい事は聞けた。だけどやっぱり、話をすればするほど疑問が増えていく。これじゃあ俺達は身の危険を感じるままだし、どうするのが一番最適な解決策か分からない。

「あ、ちょっと待って」

 リッシュは具体的に何がしたいのか。

 ロジーさんは何をするつもりなのか。

 そしてケミーは……あの赤銅の竜は……。

「最後に教えてくれ。ケミーは、赤銅の竜の継承者なんだろ? 一昨日荒野に現れた時も、今日北スラムで暴れてた時も……資質が不十分で使役が出来てないんだって、リッシュが言ってた。そもそも何の理由があって、あのタイミングで竜を召喚したんだ? 全然姿を見なかったけど、その時ケミーは近くに居たのか?」

 あれだけリッシュに信頼を寄せているケミーが、リッシュを危機に晒していたあの場面で傍観していたのはどう考えても不自然だった。

 だが……この質問が新たな謎を生んでしまう事になる。

 ぶるぶると首を振るケミー。「……え」呻き声にも似た俺の小さな呟きが、深夜の闇に溶けていくのを感じた。


「……一昨日も今日も、僕は召喚なんかしてない」



 頭の混乱を落ち着かせるのに数分を要した。その間に、ケミーは「それじゃあ」と姿を消してしまっていた。一つずつ確実に疑問を解決しようと思っていたのに、結局また分からなくなってしまった。

 どういう事だ。あの赤銅の竜は、ケミーが召喚したんじゃ無かったのか。

 正統な継承者じゃないと、召喚出来ないと言っていた。まともに使役が出来ないと。という事は、使役が出来ない事を理解しながら、それでも召喚した全く別の誰かが居たという事か?

 ケミーに向けてホバットまで飛ばしたリッシュや、わざわざ強制送還したロジーさんはその誰かには当て嵌まらないだろう。

 新たな可能性にゾッとする。リッシュやロジーさんの他に脅威的な存在が、今もまだ姿を見せずどこかに存在しているという事なのか。

 頭を抱えた。これはもはや、話し合いで解決出来る問題では無いような気がする。

 突然異世界に転移して、だけどちゃんと順応しているはずだった。それなりにこの世界の常識に慣れてきて、楽しむ余裕さえ出て来ていたのに。

 部屋に戻った俺は、初日と同じ様な不安を改めて感じる。そして変に冴える頭を無理やり抑え付ける様に……。

 静かに瞼を落としたのだった。

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修羅場の続きは異世界で。 ピコピコ @picopicoz

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