第14話 序章〜宴の後で3〜
「ヤナギの為なら、私がそっちの世界に行ったっていいって思ってるわ」
トアはまるで家に遊びに行くような気軽さで言う。だけどその発言の軽快さとは裏腹に、その目には覚悟を決めた強い意志を宿している。
「いやいや! トア、さすがにそれは」
「もう決めたのよ。ヤナギが私と結婚するのを躊躇う理由が、世界が違うからっていう事なら、そんな境界線私が踏み越えてやればいいのよ」
情熱を伴う我儘は、この上ない程の力強い意志となる。トアはそんな言葉を体現するかのように平然と言ってのけた。だけど、それはつまり。
「この国は……どうするんだ?」
トアは国王の一人娘だ。産まれたその時から地位と名誉が約束されていると同時に、その立場や将来には重い責任が伴っている。そんな彼女が国を、この世界を捨てて別の世界の住人に嫁ぐなんて事が許されるのだろうか。
召喚術がある程度当たり前の文化となっているこの世界では、もしかしたらそういった事は多少なりとも起きているのかもしれない。もはや異世界というものに対する認識が、召喚術が身近なものでない俺達とは決定的に違うはずだし、船や飛行機で行き来するよりも気軽に往復出来るのも事実だ。……まぁ召喚の際の、乗り物酔いの最上級みたいなあの苦痛を気軽と呼んでいいかは疑問だが。
そういう出会いも、召喚術という文化の下に生まれた一つのコンテンツだと思う。
だけどトアの場合は全然別問題だ。国が動くと言っても過言では無い気がする。あの寛大な国王でさえ、そこまで容認するか怪しい。
「そんなの、知った事じゃないわ。私には私の人生があるの。今の私はヤナギが全て。召喚術を学んだのも、引き籠ってた真っ暗な部屋を飛び出したのも、何もかも全部ヤナギの為。ヤナギと一緒になれるなら、この世界も召喚術も放り出したって構わないわ」
こんなにも近い距離で、真っ直ぐ目を合わせながら見下ろされている。薄い茶色のサラサラの髪がトアから下りてきて、視界を覆い隠す。そうしていると狭い空間に2人っきりのようで一層鼓動が早くなる。
その状態でしばらく沈黙が続いた。今まで一度だって女の子とこんなに密着した事が無かったので、俺の心臓は爆発しそうな程ドキドキしていた。トアはじっと見ているだけで何も言わない。もしかして、こいつも緊張しているのだろうか。
不意に。
「あの2人は、優しいわね」
トアが呟く。なんだか急に寂しそうな、頼りない程優しい口調に変わった。
「突然この世界に喚び出して、2人の想い人であるヤナギまで奪おうとしてる私に、まるで普通の友達みたいに接してくれたわ」
さっきまでの嬉々とした笑みとは違う、優しい表情だ。というか、俺は奪うとか奪われるとかいう対象に居るのか。
「いっぱい文句を言われたけど、嫌わないでくれている気がする。自分勝手な思い込みかもしれないけど、それが本当に嬉しかったわ」
勝手な召喚で巻き込んでしまった事。トアは何も気にしない素振りで強気に話していたけど、本当は罪悪感に苛まれていたのかもしれない。嫌われる事に怯えていたのかもしれない。それでも堂々としていたのはプライドの高さ故か、必死の防御壁だったのか。
絵里も千佳もああいう性格だからな。相手の気持ちを考えるし、そう簡単に人を嫌ったりしない。それは、ずっと見てきた俺が良く分かってる。
「2人は、そっちの世界でのヤナギの話をしてくれたわ。微分は理解が早いのに、積分になるとすぐ投げ出すとか、地理も歴史も古文も漢文も苦手なくせに、小論文だけは何枚でも書き続けてるとか」
俺がヒストさんとトイレに立った時か。会場に戻ったら、俺の話で盛り上がってたもんな。
「進級して初日に教室を間違えたとか、放課後の掃除当番忘れて先生に怒られたとか」
おいおい。俺の評価を下げるような事を言うなよ。いや、上げられても困るんだが。バカだよねーと笑ってる光景が目に浮かぶ。
その時。
「私、あの2人と友達になれたみたいで嬉しかった。でもそれ以上に……悔しかったのよ」
その大きな瞳が、潤っていくのが見て取れた。これはマズイ。反則だ。
「私は、そこに居なかったんだって。思い出が一つも無くて、羨ましかった。いいなぁって思いが、どんどんどんどん膨らんでいった。ズルいって、悔しいって」
ついにポロポロと滴が落ちる。俺の頬に落ちて、真横に線を引いていく。
「私も、ヤナギの側に居たいよ」
さっきまで幸せそうに笑っていたのに、今はその端正な顔を歪ませて泣いている。本当に、ころころと表情が変わる人だ。
……ダメだ。こんな風に弱い所を見せられたら、守ってあげたくなるじゃないか。トアを、特別に想ってしまいそうになるじゃないか。
情けなく床に放られていた両手が、静かに上がる。トアの背中に回って、まだ触れないで宙に浮いている。
寂しさに泣いているこの女の子を、抱き締めてもいいのだろうか。
守ってあげたい、慰めてあげたい。
今だけでも、精一杯想いを受け止めてもいいのだろうか。
そうしたらどうなる? 絵里や千佳への裏切りになる? そもそも俺の気持ちはどこにある? 絵里や千佳の気持ちは……。
頭と心臓がパンクしそうだった。葛藤の渦が止まること無くグルグルと回っている。
その時ドアが勢い良く開き、
「あーーーーーー!!!!」
城中に響き渡るかのような、絶叫。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます