第13話 序章〜宴の後で2〜
窓の外をぼんやりと眺める。昔から、こうやって静かに月を見ているのが好きだった。
自分の中にある片付かない感情が、整理されないままそれでも許されるかのように溶けていく、不思議な浮遊感に浸れるからだ。
だけど今日はそうもいかないようだった。
沈殿した感情はいつまでも溶けずに、内側に停滞している。
不意にドアをノックする音が届いて、開いた隙間から絵里が顔を出す。
「じゃあ私達、お風呂行ってくるね。なんか大浴場みたいに広くて、男女でちゃんと別れてるらしいから、柳君もすぐ入れるみたいだよ」
「わかった、ありがとう。少ししたら俺も行くよ」
絵里と千佳の楽しそうな話し声が遠ざかるのを、窓の側から離れずに聞いていた。
『そんなのダメ』
泣きそうな顔で、そう呟いた千佳が頭に蘇る。絵里は少し怒った顔で、責めるように俺を見ていた。
『どんな理由でも、柳がトア様と結婚するなんて嫌だ。でもそれ以上に……』
抱えていたクッションに力がこもる。
『……ねぇ、柳君』
言葉を詰まらせて俯いてしまった千佳の代わりに、絵里が話を続ける。
『私達が元の世界に無事に戻れたとしても、そこに柳君が居なかったら、そんなの何の意味も無いんだよ』
胸が詰まる。いつも明るくて賑やかなこの2人にこんな風に真剣になられたら、どうにも参ってしまう。
やっぱりこの2人は頭が良い。説明する必要無く、こっちの意図を理解している。
俺の事は後でどうにかするとして、巻き込まれてしまった2人だけでもって思ったんだけどなぁ。
『…………』
膨れっ面で睨んでくる。意思は固そうだった。
2人のその責めるような両目から、今にも涙が零れ落ちそうな雰囲気があって、それはズルいよなぁと思う。男の意思なんて、そんな反則技の前では簡単に崩されてしまうんだ。
『わかった! ごめんな、2人の気持ち考えてなかった。この提案は無かった事にしよう。どうにかトア様を説得して、3人一緒に元の世界に帰ろう』
良かれと思って出した結論だったけど、こんなにも想ってくれる2人の気持ちを無下にする訳にはいかない。つまり結局俺は、同じ事をまた繰り返している。特別な誰か1人を選ぶ事無く、問題を先延ばしにして曖昧なままその場を凌いでいるのだ。
とりあえず色々と保留にして、その場は解散する事になった。
元の世界では今日は金曜日だったし、土曜日は1日ダラダラと、日曜日は朝からゲームを買いに行く予定だった。今となってはどうでもいい事ばっかりで、少なくとも早急に元の世界に帰る理由は俺には無い。まぁ、無事に帰れる保証があるからこその余裕だ。トア様を説得する目処は立っていないけど……。
絵里と千佳はどうなんだろう。さっきの言葉が本心だとしても、ご両親とか土日の予定とか色々と、帰りたい理由だってありそうなもんだけど。
お風呂に行った2人を見送って数分経った頃、再びドアがノックされた。こんな時間に絵里と千佳以外に誰だろうと訝しんだ矢先、応答する前にドアが開く。
「やっと……2人っきりになれたわね」
彼女が現れた。窓の側に居た俺に向かって猛スピードで突撃してくる。
「うぉっ!」 ドタン!!
そのままの勢いで俺を押し倒し、嬉々とした表情で馬乗りになって俺を見下ろす。
トア様だ。
「ずっと……ずーーっとこの時を待っていたわ、ヤナギ。改めてミノンアーチ国にようこそ! 私は今すっごい幸せよ!」
嬉しそうに俺を抱きしめてくる。フワフワしたドレスの下に、頼りない程の華奢な腕と肩を感じる。だけど感触はとても柔らかく、ミントだろうか、清涼な匂いがする。
盛大にドキドキするからやめて欲しい。絵里も千佳も、ここまで大胆な接触はしてこないから耐性が無いのだ。
「と、トア様。苦しいから一回離れましょう! 俺もトア様にまた会えて嬉しいですよ!」
半年前、俺はトア様に会っているのだ。あの時は眼鏡をしていたから、気付くのに時間がかかったけど。
「ヤナギ、いつまでもそんな風に呼ばないで。なんか距離を感じて寂しいわ。あの2人みたいに呼び捨てがいい。それと敬語もやめて」
「いやー、そんな事言われても……」
以前会ってるとは言えまだ2回目だし。そこまで親しい関係にはなってない気がするけど。
「呼んでくれないと送還しないわ」
「ぐ」
なんて女だ。いつまでもそれを切り札に使ってくるつもりか。キラキラした目で期待している様子も無邪気で可愛く見えるからズルい。
「わかったよ、トア。……これでいい?」
途端、今まで以上の満面の笑顔で喜んだ。子供みたいだ。第一印象の淑やかで気品溢れるイメージは何処へやら。
「ヤナギ、私ね」
笑顔のまま、だけど真剣な声のトーンで俺に告げる。それは、考えてもいなかった予想外の提案だった。
「ヤナギの為なら、私がそっちの世界に行ったっていいって思ってるわ」
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