第4話 序章〜後半3〜

 竜は上空からゆっくり羽ばたきながら下降してくる。その強靭な翼による風圧と睨み付ける無機質で鋭い眼光に、背筋が凍る思いだった。

 ……なんという、存在だ。太陽を覆い隠すような圧倒的な巨体が影に染まりながら、視界を埋めるように迫って来る。

 赤銅色をした体表の鱗はどれも固く尖り、触れるだけで大怪我をしてしまいそうだ。その鱗は、体長程ある大きな尻尾にも広がり、重厚さを感じさせるように垂れ下がっている。両足の爪は鋭利に太く、掴まれたらひとたまりも無いだろう。爬虫類を思わせるその双眼は獲物を冷酷に見つめていて、標的を確実に捉えている。

 今その視線の先には絵里が居る。このままじゃマズい。

「絵里! そんなのいいから、とりあえず逃げろ!」

 色々唐突過ぎて現実感が無いのはわかるが、身の安全だけは意識を追いつかせないと。

 絵里の手を引こうと近づいた、その時だった。

「完成! ……わっ!?」

 絵里がグラフをモチーフ(?)にした図形を完成させるのと同時、曲線に沿って光の粒子が飛び散った。そしてそのまま光量を増し、光の柱が空に伸びる。

「これって、さっき教室で見た光と同じ……」

 千佳の言う通りだ。という事は、もしかしてあの図形が原因で俺達は教室からこの場所に転移してしまったのだろうか。理屈が無茶苦茶でも、目前の竜の存在がファンタジーを全力で訴えているので、どんな仮説も可能性を感じてしまう。

「まさか! あの難解な図形を完成させたのか!?」

「何者なんだ、あの娘」

「これなら、もしかして」

 一団からどよめきが聞こえる。図形……? そういえば最初に聞いた会話でも、儀式とか言っていたような。

「詠唱だ!!!」

 一団の1人が声を張り上げた。と同時に、竜がついに絵里の背後に降り立った。羽ばたきに砂埃が舞い上がり、改めてその大きさと凶悪な姿に鳥肌が立つ。

「絵里! 早くこっちに!」

 慌てて絵里の手を掴み、こっちに引き寄せて走り出す。

 ゲームのようには無理だ。だって武器も防具も無い。本当に怪我しそうだし、回復薬で回復もしないし、やり直しも利かない。とにかく今は逃げるしかない!

「もう1人の娘! 古文書にある文を読むんだ!」

 さっきとは別の人が叫ぶ。なんだなんだ。

「古文書?」

 これかな、と言いながら訝しむように千佳が手にしていた古い本を開く。

「なにこれ、古代文字? 全然見た事ない。読めないよ!」

 走りながら千佳も叫ぶ。さすが運動部だ、この程度のダッシュは小慣れているのか。俺はすでに疲れてきた。ちなみに絵里もヘトヘトだ。絵里は完全にインドアタイプだからなぁ。

 その時、竜が再び羽ばたき宙に浮く。次の瞬間。

「ギャァァァアアアアァァァァアアアァァァァア!!!」

 耳を劈くような咆哮。地響きが視界を揺らし、破裂しそうなほど心臓が脈を打つ。

 恐い! これ程までにリアルに命の危険を感じた事は今まで無かった。猛獣の類とは違う、無慈悲な殺意を向けられているようだ。

「古代文字には我々が解読した読み仮名が振ってある! それを詠唱するんだ!」

 一団の1人が叫ぶ。むしろこっちに来いと言いたくなる。

 それより防御壁がそれなりに遠い。そこまで行けば安全なのかも定かでは無いけど。その手前には祭壇があり、恐らく竜への供物であろう食材が載せられている。牛が丸ごと横たわっている光景は、それはそれで恐ろしい。

 走りながら、千佳がその文章を口にした。

「えーと……。我、異界の力を求める! 誓約の名の下に祈りしは、天空より蒼き…………?」

 そこで急に止まった。千佳は開いたページを口を尖らせながら睨んでいる。

 どうした、と千佳の方に顔を向けた瞬間、影が過ぎ去る。と、同時。

「ッドカン!!!」

 数センチ後方、走ってきた道が砕かれていた。赤銅色の鱗は歪む事もなく頑強にそこに在り続け、ガラガラと岩の破片を押し退ける。振り回された竜の尻尾が、地面に叩きつけられたのだ。

 数秒遅かったら潰されていた。恐怖が倍増する。

「ここの解釈がおかしい。元の文と照らし合わせると、文法が間違ってる気がする。ここの綴りも言い回しも不自然だし」

 千佳はぶつぶつ呟きながら、本に集中している。本当にこの2人は、勉強する事しか頭に無いのだろうか。極限状態においての集中力の方向性が、いつだって思考と知識の追求なのだ。

「きっとこうだ! 我、異界の力を求める! 誓約の名の下に命じるは、天空より蒼き翼と、海原より深い真碧の瞳! 祈り願いし、召喚!!」

「うわ!」「きゃぁ!」

 千佳が言い切った直後、はるか後方に置いてきた絵里が完成させた図形から、今までとは比べ物にならない程の光が湧き上がった。あまりの輝きに、一気に視界が白一色に染まる。

 その直後、壁にぶつかった。どうやら防御壁に辿り着いたようだ。だが、あまりの眩しさに目が開けられない。絵里と千佳が俺にしがみ付く。

 どうなったんだ、何が起きた!? もしかして、また何処かにワープするのか? それとも竜をどこかに飛ばすのか?


 混乱の中浮かぶ様々な展開は、しかし予想を上回るさらなる窮地へと発展していく。

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