後編

 黒星はトクロへと傭兵として雇われたことを伝えた。

「お前の個人契約だ。俺は手伝わんぞ」

 トクロは黒星が無駄に火中の栗を拾う真似をするのを良く知っていた。

 今回もまた黒星の好奇心が暴走しているのだとトクロは思った。厄介ごとに好き好んで巻き揉まれたくないトクロは黒星が個人的にやっている事だと不干渉を決め込む事にした。

「おぉ、まぁ俺の小遣い稼ぎと暇つぶしだからな」

 トクロはため息が出てしまう。

「で、コランダムだっけ?」

「あぁ、なんか知ってるだろ?」

 黒星はトクロから情報の補強の為にこの町の情勢について尋ねていた。

 トクロは荒事をあまり好まず、スラムのそれも運び屋や情報屋をやっているとは思えないほどの穏健派である。さらには周囲やモノを常に疑っている節もあった。当然この町の事も調べているのだろうと黒星は踏んでいた。

 トクロはまたため息をついて紙を取り出した。

 相も変わらず紙と言うクラシカルな手段でデータを保存する所が実にトクロらしい。

 紙束を読み込むトクロに黒星は困った様に片眉を上げた。

 いつまでも紙束を持ち歩く所が黒星にはイマイチ理解できないのだ。電子データとして保存しておけば検索機能で一瞬で求める情報にたどり着けるのに、と思ってしまう。

 だが、いつ消えてもおかしくない電子データと言うモノがトクロは信用できない。そんなトクロの行動に何度も救われている黒星はもうトクロに電子データへの移行は進めない。

 それに黒星も昔の組織に居た頃は重要なモノは紙に記していたのだ。

 トクロは黒星に一枚の紙を渡してきた。

 手書きの文字を読む。読み慣れたトクロの筆致は頭の中に直接流れてくるかの様に情報を取り込める。

「大方俺の知ってる情報と同じだな」

 トクロの情報で自分の情報に確信が持てた。

 中には黒星の知らない情報ももちろんあった。それをもとに黒星はさらに情報を強化していく。

 情報を知れば死なずに済む。黒星の中には常にそんな意識が有った。

「お前も雰囲気は掴んでるから首突っ込んだんだろうけど、あと数日もすれば確実に火が点くぞ」

 着々とマルマロスが抗争を畳み掛ける準備をしているのは察している。

「分かってる。まぁ俺も詫び入れさせなきゃいけねぇしな」

 一応は銃を向けられたのだ。黒星は自分にも闘争への参加権は有ると思っている。

 トクロはそんな黒星にため息が尽きない様だ。

「お前は昔からそうだよな。初めて会ったときもそうさ、まぁお前達はメンツが命だったからか?」

 黒星と初めて会ったときの様子を思い出す。

 黒星達極東人は何かにつけ体面を重んじる者ばかりだった。

「そうさな。だが俺はそんな意識は薄くなっちまった」

 昔の様に侮られたと感じれば地の果てまで追い詰める。そんな黒星は今は鳴りを潜めていた。

「ほどほどにな。死ぬんじゃねぇぞ」

 トクロはシルバーのケースを投げ渡し、後ろ手に手を振りながら去って行ってしまった。

 黒星は残った煙草を吸い、吸い殻を踏み消した。

 シルバーのケースを開く。

 見慣れた加速剤アクセルアンプル。ガラス製のアンプルを金属製のケースが覆っている。

 低純度とは言わないが、高純度とは言えない。そんなありふれた加速剤が三本入っていた。

「…今回は結構きついのか」

 自分が想像するより相手の戦力は高いのだろうと。トクロから渡された三本の加速剤が示している気がした。

 比較的残らない。比較的高値で取引される加速剤を入手してくるトクロの手腕に感謝しながら黒星は緋鯉の店へと向かって行った。




   ‡




 緋鯉の店には相変わらず人影はない。

 客層が合わないのだ。それを分かって店を出して居る緋鯉は閑古鳥の鳴き声でも楽しんでいるのかもしれない。

 黒星が堂々と扉を開け入店してきた。

「よぉ」

 緋鯉の返事は無い。

 返事は無かったが、昨日座ったただの丸椅子だったものにクッションが置かれていた。

 クッションの置かれた丸椅子に座り込み、ナイフを組み立てる緋鯉を眺める。

 彼女は座り込んだ黒星に一瞥もくれず、淡々と黙々とナイフを組み立てていた。

 飛び出しナイフであろうナイフを組み上げる。

 緋鯉は刃に付着した余計な油をふき取り、グリップに仕込まれているスイッチを押した。

 仕込まれたバネの力で勢いよく刃が飛び出す。ただそれだけ。

 緋鯉は丁寧に装飾された箱へと油紙に包んだナイフを仕舞った。

「意外と早かったわね」

「あぁ、もう聞いてるかもしれないがアイツコランダム       の傭兵引き受けたぜ」

「あら? 引き受けたの?」

 黒星にコランダムへと関わる様に圧を掛けていたとは思えないほど、緋鯉はさらりと流してしまう。

 だが昔からの性格を知っている黒星は予想していた反応と同じ反応だと、変わっていない緋鯉に安心感に似たものを覚えた。

 そんな黒星の絶妙に口角の上がった表情にクスリと笑ってしまう。

 緋鯉は黒星の表情に昔の記憶が掘り起こされている様だった。 

「それで何時いつなんだ?」

 緋鯉はやはりと、黒星の質問を待っていたようだった。

 緋鯉もまたクラシカルな情報媒体である紙を取り出す。

 四つ折りにされた紙を開く。

 トクロの予想とは一日ずれていたが、訪れて数日の町で住人と一日違いと言う精度で予測を立てられる能力は流石と言ったところだ。

 黒星はどちらかの情報をもとに動くわけでは無い。おおよその予定が立てられれば良いのだ。

「ありがたく受け取ろう」

 残り数日の猶予がある。

 何か目的があって訪れている訳では無い町でやる事など無いのだ。

 古い友人。それも女性に再開したが温かさを感じたい時間でもない。本当にやる事が無い黒星は、カウンターにもたれかかったまま煙草を吸うしかなかった。

 煙草を吸えど大量の時間が消費される訳が無い。

 灰皿はすでに埋まり、巻紙も減っていた。

 緋鯉は何も言わない。

 彼らの関係はそんな関係なのだ。

 ただ、緋鯉は埋まってしまった灰皿を黒星が目を離した隙に取り換えていた。

 二人だけの空間で昔に戻った様に錯覚してしまう。

 互いに過去の自分に近づいて行っている気がした。

「そういえば、さ」

 ジャケットからは短刀の柄が覗いている。

 緋鯉は短刀の柄を横目にもう一振りの刀について尋ねた。

「あんた、アレどうしたの?」

 黒星は〝アレ〟が何を差しているのかすぐに分かった。

 緋鯉に再開した時、短刀を受け取った時、聞かれていなかった事自体おかしいのだ。

 黒星は渡世人だった。そして賭場を受け持つ時に受け取った短刀と出入りの為にと持たされた小太刀があった。

 短刀は緋鯉に預けてあったが、小太刀は緋鯉には預けていない。

 緋鯉は無類の刃物好きであり、その中でも極東以外では見る事の無い刀と言うモノに惹かれていた。そんな緋鯉は小太刀の行方が気になっていて当然であった。

「面倒くさい所に預けてある」

 黒星は煙草を灰皿に揉み消しながら言う。

 振り返らない黒星の態度に緋鯉は察した。

「返してもらうの?」

「あぁ、まずは拵えだ。全部別の場所に置いてある。アレは捨るつもりだったんだがな…捨てられなかった」

「まぁ良いわ、全部揃ったら見せて。また、あの拵えと刀を見たいわ」

 緋鯉は忘れられない。

 黒い鞘に柄巻き、銀のこじりと縁頭。ハバキも銀で揃えられた合口拵え。黒と銀の小太刀。

 緋鯉は黒星が小太刀を振るう姿が忘れられないのだ。

 黒星は話を切るように席を立った。

「腹減った」

 黒星は「食事を用意しようか?」と言う緋鯉の言葉を遮って店から出て行ってしまった。


 店に取り残される緋鯉。いや、元々店に居た緋鯉は取り残された訳では無いのか。

 どちらにせよ久しぶりにあった友人の予想に反した行動で呆気に取られてしまった。

 とは言え、黒星も一人の男。自由気ままにどこかへ行ってしまうのは当然なのだ。それに初めて緋鯉の元を訪れた時も突然だった。




   ‡




 コランダムの事務所の中。

 ペリドットは各方面への電話に明け暮れていた。

 多くは父の台からの親交があり、話は早く進んだ。何より助力しろと言う類のモノでは無く口を噤んでくれと言うだけの連絡は二つ返事で聞き入れてもらえた。

 そして埃を被っていた武器たちの整備。弾薬の補充。

 今のコランダムにはやる事は尽きない。

「ペリドット。なぜあの男を?」

 書類仕事に追われているはずのタンザは手を止めている。

 ペリドットは雇った事だけを伝えていただけだった。

 手を止めているタンザに仕事を再開しろと言いたいが、説明していない自分にも問題はあると、そうペリドットは感じた。

 それに主要な面々は今ここに居る。

「強いからです」

 まず一言目にそう言った。

 タンザたちは首を傾げた。

 強いと言っても所詮一人。わざわざ雇う理由にはならない。

「それと、あの黒星    のせいでコランダムとマルマロスの抗争は確実になりました」

 ペリドットが告げる。

 エメリーが首を傾げた。

 エメリーは黒星の行動が原因。そう聞き及んでおり、なぜコランダムに影響が出る事を想像できていないのだ。

「まぁ抗争が早まっただけなんですがね…」

 元々いたずら…と言えるかは分からないがその程度であった事が、黒星の手によって武力と武力に正面衝突が避けられない事態に発展した。

 そのために現在こうして万一街中で抗争が起こった際に、他のマフィアからの干渉を受けないと言う条約を交わしているのだ。

 もうじきにマルマロスは街中で何かをやり始めるだろう。

 黒星の行動のせいでマルマロス行動は大きく変わっていた。

「当事者であり、私たちが払える少ない対価で雇える者が彼だけでした」

 やはりペリドットも戸籍持ち。多少スラム思考になってはいるが、無関係の者を死ぬかもしれない事に巻き込みたくはないのだ。

 それに黒星は緋鯉の旧知と言う事もあり、ペリドットにとって巻き込まない手は無かった。

「じゃ、仕事終わらせましょうか」

 話が長くなってしまった。

 止まっていた手を動かすようペリドットは手を叩いた。




  ‡




 黒星は空腹をしのぎに大通りをさまよっていた。

 歩きながら何人かのスリをぶちのめしたお陰で金はある。何を食っても困らないほどには持って居る。

 昼間の繁華街はイマイチ人が居ない。当然、店を開けている飲食店は少なかった。

 たまに来る客引きも女を買う気の無い黒星から手を引いていく。

 女では無く飯を食いに来たのだ。

 人の疎らな繁華街では、良い店を見つけるはなかなかに難しい。人に尋ねようにも客引きの娼婦しか姿が見えない。

 どうしようかと道を歩いていた。

「ん?」

 客引き娼婦以外の人を見た。

 シャッターが閉まる何かの店の前。路肩に大きな椅子。

 靴磨き屋であった。

 黒星は歩き疲れきた気がし始めた。靴磨き屋による口実として椅子に座りたい自分が居ると考える事にした。

 靴磨き屋の前まで歩くと店主、と呼んで良いか分からないが初老の男が椅子に座るよう促す。

 革張りの椅子に腰掛け、フットレストに足を乗せる。

 何も言葉は交わされていない。

 店主は黒星のトラウザーズの裾を曲げ、黒星のショートブーツの紐を解く。店主は大きなブラシで埃や汚れを落としていく。どんどんと汚れが落とされていく。塗り込んであった靴墨も落とされ、少しかさついた見た目へと変わった。

「お客さん」

 店主はクリームと靴墨を取り出して居る。

「艶消し《マット  》だ」

 店主は頷き、黒星の靴磨きを再開した。 

 表情を変える靴を見ているのも楽しいが、黒星はいつまでも見て居られると言うほど靴磨きを見るのは好きではない。

 だが、この店主には興味をそそられる。

 何も無かったが為に立ち寄った靴磨き屋。

 客である自分との間で交わされた言葉は一言。よく言えば寡黙、悪く言えば無愛想、だが多くを口にしないその姿勢が黒星には心地いい。

 心なしか足の疲れも取れた気がする。少しばかり抜けていた気分が取り戻された。

 少々上機嫌となった黒星は周囲を見渡した。

 見覚えのある人影が見える。

 煙草を咥えたガーネットだった。

 黒星からは目視しているが、ガーネットは黒星に気づいていないらしい。

 それもそのはず、ぎこちない動作で煙草を咥えているのが丸わかりなのだ。強く吸いすぎて舌が焼ける。煙が目に入り目頭を押さえる。

 なれていない素人と言わずして何というのだ。

 煙に巻かれているのが丸わかりだ。

 黒星は声は掛けない。黒星は古い馴染みや依頼主以外に積極的にかかわる必要を感じないのだ。

 何より人と関わる事が苦手なのだ。

 黒星の店主への勝手な好意によって取り戻されていた上機嫌さは、過去の事を思い出させ表情を消させてしまう。

「お客さん」

 店主が声を掛けた。

 すでに靴紐は通され、靴は艶が抑えられながらも鈍く輝いている様に見えた。

 フットレストから降り、代金を支払おうとポケットの中の札束に手を触れる。

 だが、こんな露店には値段表など無いのだ。

 そんな黒星を察してか、店主は指を一本立てた。

 黒星は十枚の札を取り出し、椅子に置いた。

 店主は何も口にしない。

 おそらく正解なのだ。

 黒星は多くを語らないその店主をいたく気に入った。

 靴磨き屋から立ち去り、あても無く路地を歩く。

 壁に背を付け煙草を巻く。

 火を灯し煙を吐く。

 何となく緋鯉の元を飛び出してきた。何か理由があったわけでは無いのだ。だが、あのまま緋鯉のもとに居たくはなかった。

 もう緋鯉に甘えるのは止めようと思っていた。

 だから飛び出した。

  間違ってはいなかったと思ってはいる。それに今こうして考えているのだ。また甘えようとは思わないようになる。

 煙草を踏み消して路地を立ち去る。

 少しは人の声の聞こえる場所まで出てきたようだ。

 大きな音や声はしないが、確かに声や音は聞こえる。客入りは少ないが店もチラホラとやっている様だ。

 ごく最近見た姿が目に入った。

 ガーネットがテラス席にて何かを頬張っていた。

 黒星は苦笑してしまう。

 街中ではまだ武力衝突に発展していないが、確かに抗争中である。そんな中、テラス席と言う襲撃の恰好の的と言える場所で無防備に何かを頬張る姿は黒星からすれば何か裏があるのではないかと疑うほどに滑稽と言えた。

 黒星が過去に経験してきた抗争は片時も武器を放さず、食事、睡眠、排泄、すべてを二人以上が警戒する中で行ってきた。

 今は一人だが、それでも周囲への経過を怠っては居ない。

 敵意、殺意には敏感なのだ。自分へ害となる視線を感じとる能力は極東時代に養われ、研ぎ澄まされたその感覚は曇ってはいない。

 黒星の視線にも気づかないガーネットの背後に周り、黒星はガーネットの肩を叩いた。

「ひゃっ!」

 ガーネットは肩をすくめて大きく驚いた。

 黒星はそのまま固まってしまったガーネットに落胆するとともに、ずいぶんとヌけた女だと面白がる。

「よぉ」

 驚いているガーネットの正面の椅子へと勝手に座る。

 ガーネットは目の前に座った黒星を認識し、また驚いていた。

「黒星さん?」

「お? どうかしたか?」

「どうしてここに?」

「無自覚、無警戒の可哀想な女が居たから立ち寄った」

「ぁ…」

 ガーネットは先ほどの自分の行動を振り返った。

 大口を開けて頬張る姿。肩を叩かれるまで他者の接近に気付かなかった事。思わず顔を伏せたくなってしまう。

 ガーネットが恥ずかしがっているのを見て、黒星は少しは抗争中の自覚があったのかと僅かに安心した。

 ガーネットは更なる粗を見せない様にと姿勢を正した。

 黒星は笑いながら煙草を咥えた。ガーネットは黒星の咥える煙草に視線を寄せてしまう。

 当然視線に敏感な黒星はガーネットの視線に気づく。

 ガーネットはすでに視線を外して皿に残っていた残りを食べていた。

「そう言えば煙草吸うのか?」

「ぶへっ!」

 吹き出しそうになってしまう。

 ガーネットは黒星に煙草を吸っていたところを見られていたのかと赤面してしまう。今、自分の顔を見せる訳には行かないとガーネットは下を向いたまま、言い訳をしようとした。

「いや…えぇと「男か? 止めとけ、煙草なんて吸うモノじゃない」

 黒星に遮られ諭されてしまった。

 ガーネットは黒星の真似をしていたからこそ何も言えなくなってしまう。初めての感情に振り回されて好きな人の真似をしてみた。

 だが好きな人からその行為を否定された。

 一瞬衝撃に似た感情に襲われたが、黒星の自分では無い誰かを見ている様な声色に冷静になった。ポケットの中の煙草を奥底へと押し込み、黒星の目を見た。

 一瞬だけ目が合う。

 だが黒星は目をそらして煙草を吸った。

「何か…あったんですか?」

 目を意図的に反らされたことは分かって居た。

「…」

 返事は無い。

「すみませ…」

 言葉が止まってしまう。

 目の前には黒い穴が見えた。

 黒星はtt‐33を構えていた。

 ガーネットは考えを巡らせる。今できる事を考える。今この場から生き延びる方法を考える。考える。だが、どうしようも無い。

 一度だけとは言え黒星の実力を目にしている。

 ガーネットは決して弱い訳では無い。だからこそ何をしようとも黒星の放つ弾から逃れる事は出来ないという事が分かってしまう。

 黒星の触れてはいけない何かに触れたのかと、記憶を探り取り繕おうと必死で考える。

 だが、何も思いつかない。

 むしろ取り繕おうとしてまた何かを刺激するのではないかと言葉が出なかった。

 顔を伏せ撃鉄が落ちるのを待つ以外にガーネットが取れる行動は無かった。

 一向に銃声は響かず、ガーネットは恐る恐る黒星の顔を伺う。

 黒星の瞳はガーネットでは無くガーネットの後ろを見ていた。ガーネットは何が有るのかと振り向く。

 そこには息を荒くした男が三人立っていた。

 その内一人は粗悪な機械義肢の腕を付け、ナイフを持って居た。

「え…?」

 思わず驚きの声が漏れてしまう。

 だが黒星と三人の男はそんな声には反応しない。ナイフを向ける三人に拳銃を構える黒星。この三人は黒星を襲おうとし、返り討ちにあったマルマロスの人間たちである。先ほどこの中の誰かが黒星の姿を見てしまったのだろう、走って来る姿は些か滑稽ではあったが、三人の男が敵意を持ってこちらに向かってきた。黒星としては殺傷範囲キルゾーンに入った瞬間に撃ち殺しても良かったが、勝手の知らない町で雇われの身である黒星が発砲するのは良い事では無いと判断した。

 何より黒星よりも弱いガーネットの存在が足を引いた。黒星はナイフを持ったごろつき程度ならば簡単にあしらえる。たとえ薬を使って痛覚を麻痺させた者であっても始末をつける事が出来る。つまり黒星は三人に捨て身の相打ちを警戒した。

 三人の男はナイフを構えにじり寄ってくる。

 黒星は撃ってしまうかと考えるが、相手が薬物使用者ジャンキーかもしれないと言う可能性を捨てきれない。もしそうなればガーネットが刺される可能性が高い。

 打開案が浮かんでこない。

 すべてを暴力と言う力で解決してきた黒星にとって今の様な状況を打破する案は相手を殺す事のみ。

 眉を寄せ、道の傍に唾を吐き捨てる。

 ガーネットの隣に立つように移動した。

「…おい、ガーネット、もう抗争が始まっても良いか?」

 雇用主である組織の構成員に許可を求める。

 あくまで黒星は雇われなのだ。

 ガーネットは三人の男と黒星を交互に見返す。顔を顰め徐々に渋面と言える様な表情に変わってしまう。

 自分の一存で武力衝突の引き金が引かれてしまう。

 そう思うとガーネットは黒星の言葉に返答を出来ずにいた。

「うっ!」

 ガーネットは黒星の左手で顎を掴まれた。

 黒星はガーネットに一瞥もくれない。それだけ切迫した状況だと言う事がガーネットにも伝わった。

「わ、わかっ」


——ダダッ ダンッ ダダダッ


 ガーネットが返答を終える間もなく、三人の男は地に付していた。

「あ…」

 黒星の足元には薬莢が転がっていた。

 一発残る弾倉を抜いて延長弾倉を差した。

 机の上には厚くセル札が叩きつけられる。

「立て」

 黒星に命ぜられるままガーネットは立ち上がる。黒星の言う通りに立ち上がると、黒星はガーネットの手を引き、早々に路地に身を隠した。

 黒星が何処へ向かって居るかは分からない。だが黒星に握られる手がすくみ、この男の後を追うしかないと思ってしまう。

 ただ黒星の背中を追っていただけだったせいかあまり走った気がしなかった。黒星の手は離される。

 やっと走ってきた場所を確認した。見覚えのあるコンクリートガレージ。コランダムの事務所であった。

 なぜ正面から入らないのか、と思ったが先ほどの事が有った今、正面では何が起こるか分からない。まだマルマロスには殺しの事はバレてはいないと思うが、用心に越した事は無い。

 黒星が窓を叩いた。

 窓には人影が写る。鍵が開けられ、窓が開いた。

 黒星は銃を構えながら窓を開けた誰かに姿を見せた。

「——ッ!!」

 窓を開けた誰かは、何かを言おうとした口を黒星にふさがれる。

 黒星はガーネットに先に入る様ハンドサインを送り、ガーネットが入ったと同時に窓の中へと体を滑り込ませた。

 窓を開けた誰か——タンザの口を塞いでいた手を取り払い、早急にペリドットに連絡をつけるよう言った。

「な? な⁈ なんだ?」

 タンザが何かを言おうとしてすぐに行動に移さない。

 先ほどの事もあり、前々から気に障る言動の多いタンザに言葉が強くなってしまった。

「無駄口叩く前にさっさと動けや」

 昔の様な口調が出てしまう。

 タンザは脱兎のごとく部屋を飛び出し、ペリドットを呼びに行った。

 黒星は窓を閉めた。

 近場にあったベッドに倒れ込みtt‐33の弾倉を入れ替えた。

「ん? なんだこの部屋?」

 手近な窓を叩いた為に、改めて部屋を見てみると何やら装飾と色の多い部屋である。黒星は自分の経験の中でこの様な部屋に立ち入った事が無い。単純に疑問に思ってしまう。分からない事は聞いてしまうのが早い。

 黒星はぼーっとしているガーネットに問いかけた。

「なぁ、この部屋は誰かの私室とかなのか? それとも何かの展示でもしてるのか?」

「? ここはタンザちゃんの部屋です…ね」

 今しがた出ていったタンザの私室と聞き、黒星は部屋の中を見まわしてしまう。マフィアの女がこの様な部屋に住んでいるのか、と黒星は新種の生き物を発見した気分になっていた。

「ん?」

 足音が小さく響いているのが黒星の耳に響いて来た。

 二人ほどの足音はペリドットとタンザが来たのだろうと簡単に予想できる。

 黒星は仰向けになっていた姿勢を正し、ベッドに座る。

 すぐにドアはノックされた。

「入ってもよろしいでしょうか?」

「あぁ」

 ドアがゆっくりと開けられる。

 ペリドットが少々申し訳なさそうな表情と共に入室してくる。その後ろでタンザは自分のベッドで我が物顔で座る黒星に驚愕していた。

「それでお話と言うのは?」

 ペリドットは黒星の隣に腰を据えると、黒星が突然訪ねて来た理由を聞いて来た。

「今日中に抗争が始まるぞ」

「え…? はぃ⁈ ぇ…」

 呆気にとられたペリドットが何かを考えこみながら固まってしまう。

 普段なら自分から溶けるまで待つ黒星だが、今は武力衝突目前、一分一秒が惜しい。黒星はペリドットを揺すり、すぐに武器や物資の手配をするように求めた。

「あ、あの…物資の手配は分かりましたが、この抗争はどういった流れで進めるのでしょうか?」

 黒星は抗争経験の無い者が大半を占める組織だという事を忘れていた。

 黒星は本来なら防衛、籠城としたいところだが、防衛、籠城経験の無い人間ではすぐに破綻してしまう。何よりこの建物が籠城には向いていない。

 黒星は今から一時間以内に装備を整え、少数精鋭でマルマロスまで乗り込む事を提案した。

 黒星の乏しい戦略知識では守れなければ攻めるのみである。

 そして戦術、戦略に明るくないペリドットは黒星の言う通りにするしかない。

「急いで支度します。行きましょう」

 ペリドットの後ろに続き三人はタンザの私室を後にした。

 



   ‡




 マルマロスの首領であるリオシュは頭を掻きむしっていた。

 あまりにも浅慮な部下の行動や利益を産まない部下たちにだ。

 もとよりマルマロスはコランダムの中の頭の悪い者達が集まった組織だった。コランダムに所属した方が利益になると考えられず、コランダムの販売ルートのいくつかを横取りする形で作られたのだ。

 コランダムの前首領が死んだと報告を聞き、頭の悪い幹部連中はコランダムを潰せる絶好の好機だと言い抜かす様になり始めたのだ。

 マルマロス前首領の娘であるリオシュは言う事を聞かず損益しか出さないとも言える核廃棄物の様な構成員達に頭を悩まされるばかりであった。

 ついこの間も構成員の一人が腕を撃たれ、機械化すると言う事で莫大な金を使ってしまった。しかも腕を撃たれた男の供述によってコランダムとの武力衝突を本格化しようと言う幹部までが出始めてしまった。だが、金も無く、人も居ない組織であるマルマロスに出来る事は精々籠城くらいである。

 父の姿を見て育った為に戦術や戦法の類を齧っている為に、マルマロスでは攻勢に出る事は出来ないとわかっている。

 暴走する二人の幹部は無視するとして、もし武力衝突が起きた時の為に自衛の用意をする事にした。

 リオシュは短機関銃の組み立てをしていた。

 大きな音を立てドアが開かれた。

 自分が女だとは言えここまで舐められたモノかとため息が出てしまう。舐め腐った野郎の面を拝んでやろうとドアへと目を向けた。

「ボス! やられました! 三人! 撃たれました!」

 最悪の知らせである。撃たれた現場の店の店主の話を聞いたと言う部下の話を聞いた。

 どう考えても此方に非がある。そしてコランダムの構成員にナイフを向けたと言う事が分かった。

「っ…ち 急いで声を掛けて、動ける奴は全員集めてここに来るように言って!」

 今動ける人間と言っても幹部の二人と少数。合わせても五十人にも行かないであろう。だが、それは攻めてくるであろうコランダムも同じく戦闘員として動ける人員は多くて五十程度であろう。

 リオシュは報告に来た男が走り去っていくのを見ながら短機関銃の組み立てを急いだ。早急に弾倉に弾を込めなければならないのだ。


 リオシュはコランダムに傭兵が雇え有れていると言う情報を知らない。


 



   ‡




 コランダムでは戦闘員、非戦闘員問わず銃の組み立てをしていた。

 短機関銃に減音器を装着する者、ドアブリーチング用の散弾銃の銃身を交換する者、山積みになっている弾倉に弾を込める者。

 黒星はそんな女たちを後目にtt‐33用の弾倉に弾を込めていた。

 通常八発の弾倉を延長した十二連弾倉を四本。今回の敵総数はおおよそ六十人と聞いている。黒星自身が手を下すのは極少数だろうが弾は大いに越した事は無い。

 黒星はベストのホルスターに弾倉を差して行く、最後にベストスリットにトクロから受け取った加速剤アクセルアンプルを差した。

 煙草をふかしながら女たちの準備が終わるのを待つ。

 ペリドットは今からマルマロスへと攻勢をかけるむねを周辺マフィアへと連絡していた。

 黒星はぺリベット《クライアント》に依頼遂行の条件を確認した。

「特別な条件は有るのか?

「一人、と言うか首領の女を生かして捉えて下さい」

「なんでだ? お前の敵だろ?」

「口出し無用です」

「まぁ良いが、あいつ等には言ってあるのか?」

 黒星は後ろで弾倉に弾を込める者達を差す。

「いいえ、言っても納得しない人たちも多いでしょうから」

「まぁ、分かった」

 ぺリベットからは黒星の想像していなかった条件が飛び出してきた。だが、黒星はソレを聞いた以上ぺリベットの出す条件をクリアするしかない。

 黒星はペリドットに準備を再開するように言い、準備を急がせた。

「もう…いいか」

 黒星は煙草を揉み消しながら立ち上がる。

 今回攻勢に参加させる二十五人の戦闘員を小型トラックへと乗せる。マルマロスへは二台に分けたトラックが左右から向かう手はずになっている。

 黒星はトラックの助手席に乗り込んだ。何やら小さな紙袋を持って居る。

 黒星は荷台やもう一台のトラックに全員が乗り込んでいる事を確認する。バラクラバから見える目と目を合わせる。

 全員が黒星に頷き返したと同時に、黒星はトラックを出すようハンドサインを送る。

 揺れるトラックの中で黒星は窓を開け、小さな袋の中身を一つ取り出して居る。あと五分もしない間にマルマロス達の待ち受ける場所まで到着する。

 黒星は運転を急がせると、トラックに乗る前に伝えた作戦を復唱する。黒星の考えが一応なりとも頭に入っている事を確かめた。

 もうすぐ。

 もうすぐマルマロスの待ち受ける場まで付く。

 反対側から回り込んでいるトラックからの連絡を待つ。

 時を置かずして入電。

 黒星はトラックをゆっくりと進めるよう通信した。

 トラックはマルマロスの防衛地点を左右から挟むようにして進む。荷台のトラックはバリケードを作る様に急停車した。

 トラックの荷台からは半数を残し、駆け降りる。黒星は誰よりも早く走る。

 無言の中で足音だけが響く。

 黒星はドアの隣の壁付近に立ち、耳を塞いだ。片手には先ほど持っていた袋の中身を持って居る。すでにピンは抜いてあり、何時でも使える状態になっている。

 散弾銃の銃声が二発。

 強装の散弾が頑強なドアの蝶番を吹き飛ばす。同時に散弾銃を手にしていた銃手も跳ねてしまった。だが、一瞬のうちに回収され、ドアの前。マルマロスからの射線上には誰も居なくなった。

 鍵の名残の抵抗があったが、黒星はドアを蹴り倒した。

 黒星の手から袋の中身—閃光手榴弾―を投げ込んだ。

 強烈な光と音の波がドアから漏れた。

 光が弱くなり始めた瞬間、短機関銃を持った戦闘員が一斉掃射した。

「「「あぁぁあああああ!」」」

 減音器によって空気の漏れる音の様な銃声と人を殺すと言う行為を誤魔化す大声が鳴り響く。弾倉が空になった隙を見せないよう何人かが短機関銃を構える中で弾倉の交換を済ませた。

 黒星は今の掃射で仕留めた人数を数え、戦闘員に弾倉交換リロードが終わり次第四人一組で各部屋を制圧するようハンドサインを出した。

「行け!」

 黒星は各階に戦闘員が散らばる第一目標が居るであろう部屋へと向かって行く。黒星がこの建物の構造を知っているわけでは無い。何となく、と言う経験則で建物の中を移動していく。

 階段に差し掛かった。


——ダァアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!——

 銃声が繋がり一つの長い音として聞こえる。

 黒星よりも前に出てしまった戦闘員の足に被弾した。

 短機関銃よりも大きな音は相手が持って居る銃が突撃銃あるいは軽機関銃である事を知らせてくる。

 黒星は一瞬顔を出し階段の上を確認した。

 階段には何も見えなかった。おそらく手すりのコンクリート製の壁に隠れているのだろう。それほど長い連射と言う訳でも無く発砲をやめたのは所持している銃が突撃銃である可能性が高い。

 色々な可能性を考慮した上で、黒星は地面に伏せる負傷した戦闘員を引きずり込んだ。

「゛あぁっ!」

 怪我の手あ手当をさせる。その間に黒星は現状の打開策を考える。

 吹き抜けの階段は双方の射線が通ってしまう。

 吹き抜けの中では閃光手榴弾も効果が薄い。

 もし投げても向こうからの掃射で何人かが負傷もしくは死亡の可能性が高い。

 黒星は唾を吐き捨てる。

 仕方が無い。

 黒星は傍にいた一人から再装填済みの短機関銃を借りる。残ったものには自分を避け手当たり次第に発砲しろと命じた。

 黒星は吹き抜けの階段をゆっくりと上る。

 下に居る部隊が階段の手すりの下。コンクリート製であろう壁を撃ち続ける。

 そうする事によって注意を下に向け黒星の接近に気づかせないのだ。

 もうすぐ折り返しである。ここを曲がれば階段の裏に居るであろう団体とご対面する事になる。

 すでに確認してあるが確認せずにはいられない。

 短機関銃の薬室に銃弾が装填されていることを確認した。

 左手に短機関銃、右手に拳銃tt‐33

 息を吐く。少し息を吸い躍り出る。


——ダァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッツ!


 短機関銃の連なる銃声が一連の音になり響き渡る。

 いつの間にか下からの射撃音が聞こえなくなっていた。

 短機関銃の掃射に被弾し隠れていた敵の何人かは無力化できた。

 残る敵を拳銃tt‐33で打ち抜いていく。

 敵に近づき敵の近場にある銃器を蹴り飛ばし、外傷の少ない者を足で転がし、確実に無力化している事を確認していった。

 下に待機させていた部隊に階段を上る様指示する。

「おい、上がってこい。あと死体はちゃんと死体袋に詰めろ。嫌な奴は居ねぇな?」

 死体に触れる、人を殺すと言う事に当然の忌避感のある者達へと黒星は釘をさす。あからさまに嫌がっていると分かる表情は今までの黒星の周囲との温度差を感じさせ少しばかりの怒りを覚えさせた。

「死体袋一つ寄こせ」

 黒星は死体を袋に詰めている者から死体袋を一つ受け取った。

 死体袋をベルトの間に挟み、両手を開けさせ、まだ弾の残る拳銃を再装填した。

「先に行く。ここを解決し次第、他部隊の援護に回れ」

 黒星は返事の有無を確認せず早々に歩いて行ってしまった。




   ‡




 タンザとガーネットは黒星の指示のもと短機関銃を掃射した。

 階段の上に居るであろう敵に向かって引き金を引き続ける。敵の姿は見えない、壁の向こうに居る敵にはまだ銃弾は届いていない。

 人を殺と言う経験はしてこなかった。

 タンザもガーネットもペリドットの代からの構成員である。先代の頃からの構成員と違い、抗争の経験も無く、人を撃った事も無い。

 黒星に言われるがままに引き金を引くことしか出来なかった。

 自分の意志で引き金を引くことが出来なかった。

 事実先ほど撃たれた者を救助すると言う行動に出る事が出来なかった。

 黒星に視線を送るだけで一歩も動くことが出来なかった。

 だから今、こうして壁を撃ち続けている。

 隠れていた敵の血飛沫が上がる。壁に吹き付けられた血飛沫が見えてしまう。

 手が止まってしまった。見えてはいないが、確かに人が死んでいる。

 誰かが銃を構えなおす音がした。

「おい、上がってこい。あと死体はちゃんと死体袋に詰めろ。嫌な奴は居ねぇな?」

 階段の上から黒星の姿が覗いていた。

 タンザとガーネットは何も言わず死体袋を持って階段を上った。 

 階段では五、六人の敵が折り重なり死んでいた。一番手前に居たであろう死体は腕や肩が抉れ欠損が激しい。死体たちはこちらを向いている面だけでも欠損が見られたが、黒星の射線方向、射出口となった後は銃弾の衝撃派の影響で体内から爆発したかの様に目も当てられない事になっていた。

 形の残っている部位だけを死体袋に集める。人の脂と血の匂いは鼻腔の奥に居座り胃の中で暴れだす。思わず嫌悪感が表情に出てしまう。

 そしてこんな状況を作り出した黒星に向けて見当違いな視線を向けてしまう者もいた。

 黒星が死体を集めるでもなく銃の再装填をしている事も原因だろう。だが黒星の怒気を発していると言わざるを得ない表情はこの場を支配する。


 戦闘中の戦闘員の援護をしつつ、どんどんと奥へ進んで行く。

 廊下の角に着くたびに閃光手榴弾を投げる。

 そして掃射。

 この流れを繰り返す。

 やがて黒星は他の面々と別れる。部屋の数や味方の援護なども有り、どうしても一人にならざるを得ない。

 どちらにせよ最後は一人で済ませるつもりだったのだ。

 遅かれ早かれ一人にはなっていた。

 もう廊下に曲がり角は無い。

 扉も一つだけである。

 もう一本道。

 大きな扉。

 唯一ある部屋がターゲットの居る部屋と見て間違いは無いだろう。

 黒星は扉をノックする。

 と言っても扉の前に堂々と立ったりはしない。

 ノックの返事が鉛なのだ。

 穴だらけになった扉を蹴り、蝶番を残した枠が倒れる。再装填されたtt-33を正眼に構え歩いて部屋に入った。

 一人の女と、二人の男が居た。

「誰が頭だ?」

 黒星は銃を突きつけながら尋ねた。

 生憎と返事は無い。

「おいおい、困るぜお話しようぜ… 殺すヤツが決まらねぇ」

 三人の頭を銃口でなぞっていく。

 なぞられている内二人の男が女を黒星へと差し出してきた。

「ちょっ! な、なによ!」

 二人の男に銃を突き付けられ、ぐいぐいと押し出される。

 彼女は男たちに人身御供として差し出されたのだ。

「何だ? こいつが頭か?」

 差し出される女を見て黒星が尋ねた。

 二人の男の内、一人が頷くのが確認された。

「おい、女。銃捨てろ。弾倉は抜いてボルトも引け」

 黒星はマルマロスの頭目だと言う女に銃を捨てるよう命令する。ただ銃を捨てられ拾われれば面倒な事になる。弾倉を抜き、ボルトを引く。薬室の中か弾を抜くことにより、もし拾われたとしても数秒の猶予が生まれるのだ。

「女、両手を後ろで組んで地面に伏せろ」

 銃は突きつけない。黒星は女に後ろ手を組ませ直ぐには立ち上がれない様にした。

「おい、あの二人はなんだ」

 十中八九黒星の想像通りに事は進んでいるが、仕事である。確認を怠ってはならないのだ。

「あ、あのふたりは、幹部…です」

 黒星はその言葉を聞き、拳銃を持つ二人に視線を向ける。

 二人の男は首を縦に振り、女の言葉を肯定した。

 これで殺す相手は決まった。

 特に何かを告げる必要はない。

 

——ダッダダダッ

 

 四発の銃声が響いた。

 倒れたのは男二人。

 二発ずつ叩き込まれた銃弾は二人の男の頭を半壊させた。

 7.62ミリの弾頭は頭の中で空洞を作り射出創は周囲の組織を巻き込んだ爆発の様になっていた。

 脳漿飛び散るさなかで黒星は咄嗟の抵抗を出来ない様にしていた女へと次の要求を突き付けた。

「おい。武器は他に隠してるのか?」

 眼に見える武器を放棄させたが、今から隠し持っていた銃で「ズドン!」では話にならない。こうして銃を構え、警戒している中では拳銃であれナイフであれ対応できるのだが、次に来る筈の状況では女を常に警戒するわけにはいかない。

 銃を付きつけながら女の上着を脱がせ、靴も脱がせる。

 だが、表情を動かさず、黒星の言う事を聞く女に黒星は疑念を抱かずにはいられない。

 面倒くさくなった黒星は女のシャツを剥ぎ、女を下着姿にした。

 一丁の小型拳銃を持って居たがそれだけだった。

「もう何も持ってないな」

「見れば分かるでしょ…」

「俺の知ってる女は皮下に即効性の毒アンプルを隠していた」

 黒星を殺そうとした過去の犯人たちの手口を考えると、黒星は皮膚も剥が無ければいけないのかもしれない。

 黒星は死体袋と結束バンドを取り出す。

 女の両手を後ろにし、親指どおしを繋ぐ。同じく足の親指も結束バンドで繋いだ。

 死体袋を広げ、女を死体袋へと入れる。

「今から袋を開けるまで一言も発するな」

 生きている敵。そしてそれは仲間を危険にさらした相手の親玉。見つかれば殺されるに決まっている。

 黒星は良きて連れてこいと言うペリドットの指令を守る為に女に死体のふりをしろと言う。

 女も状況は分かって居るのか、何も言わず死体袋の中に寝転がる。

 黒星は死体袋のジッパーを閉め、死体袋を担ぐ。

 落ちていた女の拳銃をベルトに挿し、死体の残る部屋を後にした。

 すでに銃声のしない建物の中を歩き、トラックまで向かう。道中死体を回収している者に追加で死体が増えたと言い、回収するよう言っておいた。

 この建物を取り壊すにしろ、改装するにしろ死体を残しておいては買い手がつかない。死んで腐れば後処理に時間がかかるのだ。死体が新鮮なうちならば、血を処理するだけで済む。

 死体は後日回収するために入り口付近に積まれていた。

 死体を持ち込もうとする黒星を不思議に思ったのか、死体を積んでいた中で一人が声を掛けてくる。

「あれ? 死体はこっちですよ?」

「あぁ? あぁ、コイツは回収しなきゃいけないんだ」

 この場の監督者である黒星がそう言うのを聞き、すぐに仕事へと戻って行く。

 黒星は先にトラックへと死体袋を積む。

 トラックの中には怪我人が座っていた。

「すまんが、死体積むぞ。あんまり近寄るなよ」

 黒星は声を掛けるが、鎮痛剤の作用で意識が薄いのか返事は無かった。

 トラックの助手席へと乗り込む。黒星はトラック運転手へと状況を確認する。

「状況は? 死傷者の人数は?」

「…怪我人十八名、死亡者二名です」

「思ったより死ななかったな」

「…そう…ですね」

 思ったより沈んだ様子の運転手に黒星は眉を顰める。

「どうした? なんでそんなに沈んでる?」

 女は答えなかった。

 黒星は無理に聞くつもりもない。

 手を拭き、煙草を吸い始めた。

 

「怪我人収容終わりました」

 運転席の窓からそう聞こえてくる。

 怪我人を優先的にトラックへと収容した様だった。

 すでにコランダムでは医者が待機しているはずである。

 黒星はトラックを出すよう言う。

 怪我人に負荷を与えないようゆっくりとトラックは走って行った。




   ‡




 トラックは後ろ向きに駐車した。

 残っていた面々が観音開きの扉を開けると、ストレッチャーを持った人が駆けつける。

 黒星は怪我人の移送が終わるのを待ち、残されていた死体袋を背負った。

 医者と話すペリドットを待つ。

「おい、用は済んだか?」

 黒星はペリドットを急かす。死体袋が肩に食い込むのだ。無用な痛みは負いたくはない。

 ペリドットの後に続き、別室へと移った。

 黒星はソファーに座り込むと、死体袋も座らせた。

「注文通りだ」

「あ、ちゃんと覚えておいてくれたんですね。てっきり殺してしまって死体の確認かと…」

 鼻で笑ってしまう。

 黒星には今までこなしてきた仕事の積み重ねがある。失敗するとすれば単身で一個中隊を相手取るかそれ以上の事か、どちらにせよこんな小娘に失敗したと思われた事に失笑が漏れたのだ。

「俺はお前が思うより長く名を刻んでる」

 黒星の笑みには危ない光が垣間見え居ていた。

 ペリドットはこれ以上黒星に踏み込むのは危険だと判断する。早々に事後報告と要求していたモノの引き渡しを済ませるのだ。

 黒星は死体袋のジッパーを開ける。

 憔悴しつつも反抗的な目を向ける女。

 ペリドットはその女に駆け寄る。

「リオシュ!」

 黒星は初めて女の名を知った。

 死体袋に詰められた女、リオシュはやはりかペリドットとは顔見知りだったようだった。そしてペリドットの態度からは敵対組織と言う関係以外の関係の方が色濃い事が伺えた。

 黒星としてはもう義理は果たしたつもりだ。緋鯉の顔を潰す事も無い。

 これ以上長居するつもりも無く、金を受け取り次第帰るだけだ。

 黒星は報酬の話へと移ろうとするが、何やらペリドットたちは立て込んでいる様だ。

 黒星は煙草を巻くに値するか否かを迷う。

 巻いて話が終われば巻き損に、巻けば時間を潰せる。

 そんな事を考えている間に話は終わったらしい。

 何時もの事であるが、思案すると言う事が一番の時間つぶしである。

「話は終わったか?」

 ペリドットに問いかける。

 黒星は無駄な時間がそれほど好きではない。

「あ、えぇ、えっとまずお金ね…」

 ペリドットは封筒を取り出し黒星へと手渡した。

 封筒を掴む。手触りから約二センチ。黒星が普段請け負う仕事の報酬としては少ない。報酬が低くされている訳ではなくペリドットが相場を知らない可能性の方が高かった。

 言うべきか迷うが、それを遮る様に扉が開いた。

「仕事は終わった?」

 緋鯉が黒星へと問いかける。

 黒星は言葉にせず返事をする。緋鯉もその返答をきちんと受け取っていた。

 黒星には緋鯉の意図する事が分からなかったが、わざわざ今現れたのだ、何かこなすべき事が有るのだろう。

 緋鯉は黒星が持って居た封筒を手に取り中身を改めた。

 緋鯉は何とも言えない笑みを浮かべる。黒星にだけ見えるように唇の前に人差し指を構えて「し~」っと言って緋鯉はペリドットへと耳打ちをした。

 ペリドットはめを見開くと黒星への謝罪を口にした。

 報酬が不当に低かった事に対する謝罪であろう。黒星はこの様な事にはなれているし、ペリドットのいる環境からこの様な事態になる事は想像できていた。

 黒星はペリドットへと気にするなと言う意味を込めて手を振り、席を立とうとした。

「あ、あのすみません」

 引き留められる。

 黒星は今までの経験で類似するモノは無い。

 報酬は受け取った、仕事もこなした。これ以上ココにとどまる理由が無い。

 不可解に思いながら振り返る。

「なんだ?」

「もう一つ、もう一つ頼めないでしょうか?」

 追加依頼である。

 断ろうと口を開くが、緋鯉の姿が黒星の口を閉じさせる。

 義理を立てたのだ。緋鯉の顔を潰す訳にはいかない。黒星にとって面子メンツを守る事は絶対なのだ。

 誰が受けても困難だと言える仕事は断るが、誰でも出来る仕事を断る訳には行かない。

「はぁ……言ってみろ」

 ペリドットはその言葉に頬を緩める。

 黒星としてまだ受けると言って居ない為にペリドットの表情を直視するのが些か難しい。

「えぇ…と、あの、その、リオシュを何処でもいいのです、町の外へと連れて行って貰えませんか?」

 黒星は予想通りの注文にため息が出そうだ。大方知り合いが死ぬのは嫌だ、だがもうその知り合いはこの町には居られない。そんなところだろう。

 トクロに確認を取らなければいけないが、金さえ積めば了承してくれる。

「追加で三百」

 黒星は仕事を受けるにあたって最低の条件を提示する。コレはどうしたって曲げる事は出来ない。運送屋として荷の安全を保障する最低限の条件なのだ。

 緋鯉の視線を無視し、ペリドットへ払うのか払わないのかを迫った。

「少々、お待ちください…」

 ペリドットは何かを思案しながら、部屋を後にした。

 残された三人。

 緋鯉は困ったような笑みを浮かべながら黒星の隣へと腰を下ろした。

「ごめんね、最初に言っておけば良かった」

「まぁいい、ペリドットが世間知らずなのは分かってた」

「どうするの? 受けてあげるの?」

「金を受け取る以上は仕事はする」

 黒星は足を組んで緋鯉の肩を抱き寄せる。

「もうっ」

 黒星は緋鯉の耳元で何かをつぶやくと緋鯉の肩を放し、頬杖をつく。

「お前は良いのか? 何だったか? あ~… り、リオシュ?」

 リオシュに声を掛ける。

 黒星は運送屋、荷物がなんと言おうと仕事である以上送り届ける。

 だが人間を運ぶのは面倒くさい。反抗の意思があるのであればやり方は変わってくる。

 下着姿で佇むリオシュは首を縦に振り頷く。

 手下も居ない、悪名高い組織のトップがこの町で生きて行くことは出来ないと言う事は分かって居た。それにこの状況で何かを意見を言える程リオシュは強くないのだ。

 下着という肉体的にも精神的にも抵抗心を削ぐ格好。今まで生き残れた臆病さもあいまってリオシュは借りて来た猫である。

 とは言え、リオシュとてスラムの住人。両手両足を縛られた下着姿の若い女を放っておいて談笑に耽る黒星と緋鯉に少々苛立ちを募らせる精神力は持って居た。

 黒星と緋鯉はその視線に気づいていたが、相手をする必要はないと切り捨て、ペリドットが訪れるのを待っていた。

 数分もしないうちに扉は開かれる。

「お待たせしました」

 ペリドットは額に前髪を張り付かせ、息を切らしていた。

「待っちゃいねぇよ」

 黒星は手を出す。

 ペリドットは黒星の差し出した右手を手に取った。

 二人の頭に疑問符が浮かぶ。

「ん?」

「え?」

 黒星が困惑していると緋鯉が押し込み笑いで肩を叩く。

「く、黒星、常識が違うのよ、っぷ」

 黒星は緋鯉の言葉を聞いて舌打ちと共に頭を掻きむしった。

「あ~、金だ、金」

「あっ」

 ペリドットはやっと黒星の差し出された手の意味を理解した。

 目を見開き茹蛸の様に顔を真っ赤にする。

 ペリドットは顔を反らし黒星へと金を渡した。

 黒星はペリドットから受け取った金を先ほどの封筒に入れるとポケットにしまう。

「あ、あの」

 ペリドットが黒星を呼び止める。

「なんだ?」

 黒星はすでに金を受領し、もう用は無いはずだった。

「確認はしないんです…か?」

 何のことか分からなかった。

 もしかしてと、黒星はリオシュの拘束を解くとを裸に剥き、外傷が無い事をアピールしてみた。

「な、なにを?」

 ペリドットの反応は突然女を裸に剥く変質者に向けられるモノだった。

 どうやら違うらしいと黒星はまた思案する。

 黒星は緋鯉に視線を向けるが緋鯉も何か確認事項があったかと思案していた。

 その時、全裸に剥かれ、下着すら着用を許されなくなったリオシュが黒星の肩を叩いた。

「その、お金、の事じゃ…」

 黒星はそう言われ疑問符が浮かんだ。

 黒星からすれば受け取った金銭をその場で確認すると言う事は相手を疑う事、つまり大変な失礼に当たる事だと思っている。

 とは言え、リオシュの言葉とペリドットの反応からは金銭の確認が正解なのだろうと言う事は分かった。

 だが、黒星は相手に対して失礼に当たると言う事をしたくはない。

 それに金銭が足りなかったとしてもその程度の相手だったと言うだけであり、そのあと仕事を受けない、相手を潰す、いくらでもやりようはある。

 黒星としては相手が三百万として渡してきたのなら三百万なのだ。

「別にいい」

 黒星は金銭の確認など必要ないと、リオシュを連れ行こうとした。

「ちょ、ちょっと」

「ん?」

 全裸のまま連れて行こうとする黒星にリオシュは抗議の声を上げた。

 仕方なしと黒星は下着を着させる時間を待つ、緋鯉は下着のままリオシュを連れ出そうとする黒星に一声かけると、自分が来ていたロングシャツを脱ぎ、黒星に渡した。

「あんた女の子よ?」

「…それ脱いだらお前はどうするんだよ」

 緋鯉はため息をつく。

「別に、ガーネットから何か借りてくわよ」

 緋鯉は黒星が断る理由を潰す。

 黒星は緋鯉のシャツを拒否する理由も無く、受け取ったシャツをリオシュに渡した。

 リオシュはシャツに袖を通し、緋鯉に一礼する。

 黒星は何気なく緋鯉を引き寄せる。無警戒な緋鯉に強引なキスをして部屋から立ち去って行く。

 リオシュは目の前で起きたとんでもない現象に気を取られるも、絶対に待ってくれないであろう黒星を追いかけた。




   ‡




「おい、黒星」

 トクロは嫌そうにルームミラーを覗く。

「なんだよ」

「荷物増やすなよ。燃費悪くなるだろ」

「仕方ねぇだろ」

「ッチ」

 後部座席に座るリオシュは険悪な雰囲気を醸し出す二人の会話には入れそうにない。と言うか険悪な原因である自分が口を出せる訳が無い。

「おい、女」

 トクロがぶっきらぼうにリオシュに話掛けた。

「は、はい」

 リオシュは荒野の中で下ろされるのかとびくびくと反応してしまった。トクロにそれが伝わったのか、トクロは下ろす訳じゃない、と前置きを付けた。

「仕事を取った以上はお前を送るが、妙な事するんじゃねぇぞ、俺は黒星と違って優しく無いからな」

「は、はい」

 トクロと黒星の間にあった険悪な雰囲気など直ぐに消え、黒星は煙を流し、トクロは排気を流していた。

 トクロは黒星からの話を聞き、二、三の町を超えて大きな街にリオシュを置いて行くことにした。

 近すぎれば弱みに付け入られる。

 新しい人間として生きて行くに誰もリオシュを知らない土地が望ましい。それは優しくないと言ったトクロの優しさだった。

 黒星達は大きな街へとつくと、リオシュを下ろした。

 裸足にロングシャツだけで放れるトクロでは無かった。

 自分が使っていたサンダルをリオシュへと渡した。

 そんな様子を眺めていた黒星にトクロの視線が突き刺さる。

 黒星は溜まっていた煙を吐き出し、リオシュの下に寄る。

 ラバーバンドで巻かれた十万セルの札束にリオシュが持って居た銃を渡した。

「あ…」

 リオシュは見覚えのある銃に驚きの声が出た。

 黒星はリオシュと言葉を交わす事無く、助手席へと乗り込んだ。

「やっぱアイツは甘いねぇ、リオシュだったか? まぁ元気にやりな」

 トクロはそう言い残し、キューベルワーゲンを走らせて行った。

 リオシュはトクロから受け取ったサンダルを履き、黒星から受け取った十万を握りしめ、拳銃をパンツに挿した。

 この町で生き残るために早々に仕事を見つけなければ、そう胸に秘め、リオシュは堂々たる足取りで街へと向かって行った。




   

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