FLS

環道 沙樹

第1話

「ぅあ…!?」


 咄嗟に声が出る、と同時に周りからの視線が刺さる。


「ぇ、あ、ご、ごめ」


 後ろには驚きからか口をはくはくとしているEがいた。

 頭が回らない。目頭が熱くなる。こんな歳になってまで何やってるんだ、俺。


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(う〜寒いな……なんで今日やるんだよ……)


 俺は今日、自分の職場の学校の行事であるマラソン大会に参加をしていた。2学年の常勤教師になってしまったからである。

 昨年講師だった頃は参加する必要がなかったため、自宅のコタツでぬくぬくとテレビを見て家族と過ごしていたのをよく覚えている。


 周りには1、2学年の生徒約400人が寒い寒いと嘆きながらマラソン大会が始まるのを待っていた。


「せんせーたちはいいよね〜。私たちが必死に走ってる間、マフラーとかつけてあったかいまま過ごすんだもん」


「それな!本当H高校バカ!アハハ!」


 そんなわけないだろう。こちとら本来の集合時間である9時よりも早い8時頃に集合し、生徒会の先生方と一緒に打ち合わせやテントなどの設営をしていたのだ。S県にある実家から通勤をしている自分にとっては起床時間も早く通勤時は地獄のような時間だった。

 こっちだって頑張ってるんだからあったかくしててもいいだろ…。そう心で嘆くも、生徒達の不満は止まらなかった。


「は〜いそれじゃあみんな整列して!開会式やるから!」


 なんだ、うるさいぞ。声のする方を見てみるととある体育科の女性教師がメガホンを通し生徒達に集合指示を出していた。


「なんだよ〜」


「え、上脱ぐの!?寒いじゃ〜ん!」


「走るのやだ〜!休もうかな…」


「うほ、彼処にEがいる!うほ…」


 様々な声が聞こえてくる。聞きたくない声も聞こえてきた気がするが。そんなことはどうでもいい。早く開会式を終えてとっとと走り出してくれ。こちとら凍えそうなんだよ。そう思い、早く行けと促すよう生徒達を見やる。


「走る前にトイレ行こ!漏れたらやだし笑」


「あ、いく〜!」


 とある生徒がそう言い残し友人と共にトイレへ向かった。


(あ、わかるかも。なんか走ってると急にトイレ行きたくなっちゃうよな。)


「俺もトイレ行きたいな…冷えたのかな」


 近くに誰もいなかったので自然と独り言が漏れる。と同時に、意識を向けてしまった尿意が迫ってきた。

 あ、やばいわこれ。そう思い自分はソレを漏らしてなるものかと言わんばかりに脚をクロスさせ、流れを堰き止めていた。


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 は〜トイレ行きたいトイレ行きたいトイレ行きたい…脳内ではその言葉のみがぐるぐると回り続けていた。

 頼むから早く開会式終われ〜…そう思っていた矢先、後ろから衝撃が走る。脚が崩れる。どうやら膝かっくんをされたようだった。


「ぅあ…!?」


 自分でも聞いたことのない声が出てしまった。それと同時にソレもまた出てきていた。太腿を温かいソレが伝っていくのがよくわかる。目頭が熱くなる。もうダメだ、これ。


「ぇ、あ、ご、ごめ」


 後ろからはEの声がした。本当だよ。ごめんだよ。というかごめんじゃ済まないよ。

 周りから沢山の視線を浴びる。笑い声が微かに聞こえてくる。さっきまで話をしていた主任も話すのをやめてしまっている。正真正銘、全員に見られている。

 あぁ、この歳になってまで何やってんだ、俺。もう27だぞ。恥ずかしさで顔を上げられない。もうこのまま灰にでもなって消えたい。この事件のせいで俺の社会的地位は底辺にまで下がったことだろう。元々底辺だったが。

 早く何事もなかったかのように開会式を続けてくれ。俺をその哀れんだ目で見ないでくれ。頼むよ。

 あぁ、俺は何やってもダメだ。つう、と頬に涙が伝う。


「……ごめん」


 不意に耳元で囁かれたそれに、身体がビクリと反応する。


「…………」


 驚きと恥ずかしさのあまり、言葉を返すことができなかった。何やってんだ、早く、返事を___


「…トイレ、いく?」


 Eが優しい声で問いかける。コクコクと頷き、トイレへ向かう。後ろの方ではEが先生方に事情を伝えているようだ。申し訳ない。こんな罪悪感に見舞われたのは久方ぶりだった。


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 事件の現場からトイレまでは歩いて直ぐの距離だった。Eにも申し訳なかったので、多少早歩きでトイレへ向かったので自分が先にトイレに着く形になった。とりあえず、声を掛けてくれたので御礼を言わなければ。


「あの…Eせん」


「S先生」


 言葉を遮られる。顔を上げるとそこにはいつもの優しい笑顔ではない、Eがいた。


「S先生、あの、さっきの」


 何を言われてしまうのだろうか。気持ち悪い、大人の男としてどうなのか、だろうか。何にせよ、罵倒の違いない。


「……さっきの、すげえ可愛かったです」


「…え?」


「だから、可愛かったんですよ。俺、S先生のことが好きなんですよ。さっきのも、わざとでした。今膝かっくんやったら、面白いことになるだろうな〜って思って! 笑 そしたら案の定、というかそれ以上に面白い結果になって! 」

 Eは心底嬉しそうに話している。自分の顔から血の気がひいていくのがわかる。冷や汗が出てきた。こいつは本当にやばいやつなのでは?先ほど漏れたしょんべんも相まって身体中が寒い。Eが続ける。


「いや〜でも、むしろ漏らしてもらえて良かったです。今回の件で、S先生の地位は明らかに下がった。H高校トップで人気の先生が、まさかみんながいる前でお漏らししちゃうなんて、さすがにみんな引いちゃいますよね笑

 でも、そのおかげで今、貴方を好きな人は僕だけになりましたよ。

やっと…やっと貴方が手に入るんだ……。ずっと…大学時代からずっと頑張ってきたんだ……ああ、感極まって泣きそうだ」


 大学時代から……?確かにこいつとは同じ大学、学部だったがその頃話したことなど一度もない、筈だ。もし本当なら、俺は、ずっとこいつに付き纏われていたのか…?

 恐怖で身体が言うことを聞かない。それをいいことにEはこちらに歩み寄ってくる。


「あぁS先生……俺のMessiah……。これからは僕が、貴方を一生涯愛し続けます」


 そう言ってEは、俺の目を手で塞いだ。彼の手は生きているのかどうか疑ってしまうほど冷たくなっていた。次第に眠くなってくる。脳内にはEの声しか入ってこなくなる。


「Forever love, S.」


 その声を最後に、俺は眠りについた。

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FLS 環道 沙樹 @fall_cat0906

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