安城理沙-1


その日、家を出たのは午前六時半過ぎだった。


片手には夏休みの宿題と昼食のお弁当、それからタオルとスクール水着の詰まったバッグを持っていた。


小学校の校庭で毎朝 行われるラジオ体操が終わった後、プールが開放される午後まで、教室で宿題をやろうと思っていたからだ。


夏休みは残り僅かだというのに一部のみ手をつけて忘れ去っていたドリルたちを終わらせるためには、誘惑のない学校に一日中身を置くことが一番だと思ってのことだった。


成し遂げられたのなら残りの日数を好きなことに振り分けられる自由が待っている。


この狙いをあくびと共に飲み込み、私は正門から校庭へと入った。


七時を報せる音楽が空に響き渡る。


ラジオ体操は数十分ほどで終わり、その後は係の保護者から専用のカードにスタンプをもらう。

スタンプを全て集めると何か特典があったような気がするけど、それが何だったかは知らない。


その日を境に残りの日々は学校へ寄り付くことはなかったので、特典を得ることはできなかった。


出勤していた先生に事情を話し、三階にある六年二組の教室を開けてもらうと自分の席で宿題に取りかかった。


最初こそ冷え気味だった教室の空気は

時間が進むにつれて熱を孕むようになり

手に何度かドリルのページがくっついた後で

四つの窓を全開にした。


少し前は靄がかかっていた空にはいつの間にか青色が広がっていて、校庭を歩道から隠すように並ぶ木々からは蝉の鳴き声が聞こえていた。


黄土色の校庭は、手前の方でおじさんが花壇の手入れをしているだけで、夏の朝の下に閑散としている。


ふと時計を見ると、プールが開く時間までサッカーをする男子たちの姿が思い起こされ、静かなうちに進めてしまわねばと慌てて机に戻った。


十時頃になると、予想通り騒がしい男子たちの声が耳に入ってきたが、特に気が散ることはなかった。

学校にいるという少しばかりの緊張感のおかげで家ではすぐにやってくる飽和状態になることはなく、午後までシャープペンを走らせることができた。


満足げな私は教室で水着に着替え、プールへ向かうため階段を下りる。

プールの入り口で前日から約束していた同級生と合流し、それから二時間ほど遊んだ。


同級生と別れた後、私は濡れた体をバスタオルで包みながら再び教室に入る。


着替えを済ませ、濡れた頭にタオルを巻くと

お母さんが作ってくれたお弁当を取り出し

遅めの昼食をとった。


私の好きなものばかりだった。


昼食を終えた後

まだ少しだけ残っている宿題を片付けるため

ドリルを開く。

しかし満腹感と疲労からか

頭の芯をくすぐる眠気が沸き起こり

耐えることなく背もたれに身を預けて

うな垂れた。


窓から流れてくる夏の風だったのか

優しく肌を撫でられる感触が心地良かった。



人の気配を感じて目を開けた。


すると同時に担任の長谷神先生の顔が視界に入ってくる。

教室は薄闇で、昼の暑さの熱に焼かれてしまったかのように色を失っていた。


私は、教室で宿題もやらないで居眠りをしていたことを咎められるかもしれないと寝ぼけ半分で考えた後、不意に自分の体を見下ろして

反射的に悲鳴を上げた。


途端に片膝立ちだった長谷神先生が

飛び退くように立ち上がり

慌てながら何度も


「落ち着いて」


と連呼する。


露わになっている胸をはだけていたシャツで隠しながら身を丸めると仄かに漂ってきた生臭い刺激臭に脳が揺れ少しだけ床へ嘔吐した。


床に散らばった自分の吐瀉物を見つめながら

狼狽している長谷神先生に


「出て行け」


と声を張り上げる。

とりあえず裸を見られている状況を崩したかった。


そう叫ぶと長谷神先生は早口で


「そうだね、そうだよね、ごめんね、ごめん、廊下で待ってる、待ってるから」


と言い残し、足早に教室を出て行った。


扉の閉まる音が空気に散ると薄暗さの中に静けさが生まれ、一人になったことを実感して少し落ち着く。


投げ捨てられていたキャミソールを拾い、着直すと、掃除用具ロッカーから雑巾を取り出し床を拭った。


停止していた思考は雑巾で床を擦る度に動き出し、自分の身に起こったことを表す明確な言葉を探し始める。


言葉は浮かんでは消え

結局は事実だけをなぞる文章だけが

説明文のように頭を回るだけだった。


長谷神先生が眠っていた私の服を脱がせた。

長谷神先生が眠っていた私の服を脱がせた。

長谷神先生が眠っていた私の服を脱がせた。

長谷神先生が眠っていた私の服を脱がせた。

………。

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