第30話 僕の美的センスに乾杯!

「ウェェルカムっ! 青春の申し子たちよ!!」


「…………」

「…………」


静さんが多目的室の扉を開けた瞬間、薄暗い部屋の中から飛び出してきたのはこの学校随一の変質者……もとい、演劇部顧問の万城寺先生だった。


「……先生、こんなところで何をしているのですか?」


あれほど僕に奇跡的な笑顔をずっと見せていた静さんが、その表情を一瞬に無にして、氷柱のような言葉を顧問へと放った。


が、年中頭の中がファンキーモンキーな先生にとって静さんの氷柱もバナナのようなものなのかひょいと簡単に受け取る。


「ふはは! 君たちの熱き魂が文化祭に思う存分発揮できるように新たな秘策を練っていたところだ!」


「……」


万城寺先生の言葉に静さんは心の底から鬱陶しそうな表情で顧問の顔をじっと睨んでいた。どうやらこのリアクションを見る限り、彼女にとってもこの場所に万城寺先生がいたことは予想外だったのだろう。


いつもは存在が暑苦しくて口を開けば「青春青春」とうるさいので出来れば遭遇することを避けたい先生だけれども、今このタイミングだけは心底思う……ナイスプレー、万城寺ッ!


僕は脱獄を成功させた死刑囚のごとく盛大にほっと胸を撫で下ろした。きっと『ショーシャンクの空に』の主人公も最後はきっとこんな気持ちだったに違いない。


そんな超どうでもいいことを考えて現実逃避を計っていたら、家宅捜査の刑事がごとく静さんが多目的室にズカズカと足を踏み入れる。そして、足元に散らばっているものを見てすぐに足を止めた。


「……万城寺先生、これは一体なんですか?」


張り詰めた様子で話す静さんに違和感を覚えて、僕も教室の中を覗き込むと同じように床を見た。どうせ万城寺先生のことだ。またしょーむないことを……


他人事のように呆れながらそんなことを考えていた僕は視界に飛び込んできたものを見て、他人事ではいられないことにすぐに気付く。


それは、大量のポスターだった。


見覚えのある『演劇部』と大きく記された3文字。そして、見覚えのある絵のタッチ。


けれど……そこに描かれている絵にはまったく見覚えのないデザインのものばかりだった。


「ニューリリースっ! 前回大好評だった演劇部ポスターの第二弾! 今回はチャレンジ精神を前面に押し出してコピック使用だ!」


「…………」


開いた口が塞がらない、とはこういうことを言うのだろう。僕も静さんも硬直状態で痛い大人を凝視していた。


「いやー、先生の描いた芸術的ポスターがあんなにヒットするとは思わなかったよ! 男子生徒からは色んなアングルで静ちゃんと莉緒ちゃんを描いてほしいとお願いされるし、女子生徒に関しては『あの男前の主役生徒は誰なんですか⁉︎』って連日のように問い合わせを受けているからね! これは困ったよ」


わっはっは、と困っていると言いながら大笑いしている教師を、僕は完全に冷め切った目で見つめていた。というより、そのポスター効果によって困るのは先生ではなく、あらぬ期待をかけられた僕の方ではないでしょうか?


と、もちろんそんな切実な嘆きを心の中で叫んだところで誰にも届くわけはない。僕は肺に含んだ空気をたっぷりとため息に変えて吐き出すと、呆れた口調で口を開いた。


「万城寺先生、困ってるのは僕の方ですよ。先生があんな偽造したポスターを作ったせいで、僕なんて毎日叩かれてるんですからね! それに僕のこと知ってる人からすれば誰もあんなポスターほしがりませんし、余計舞台見に来てくれる人が減っちゃいますよ。ですよね静さん?」


「そ、そうね……」


絶対にこれ以上の被害を受けたくないと思った僕が同意を求めると、なぜかぎこちない返答をする静さん。ってあれ? 静さんなんか今ポスター一枚ポケットに隠さなかった? 僕の気のせい?


「ノンノンっ! それこそ君の思い込みだよ岩本くん! このポスターの真の目的はジーエーピー……つまり『ギャップ』を狙う作戦だ! ポスターの君を見て興味を持ってくれた人は舞台の上で活躍する君を観てさらに気付くはずだ。あの似顔絵なんかよりも本当の君の方がもっと素晴らしい、デス!」


「…………」


先生、句読点付ける位置間違ってませんか? デスがどうしても『Death』に聞こえちゃって死刑宣告されているとしか思えないんですけど?


そんな僕の違和感など一切気にせず、ヤク中教師はまだまだ妄言を吐き続ける。


「それに静ちゃん莉緒ちゃんの二大美女と肩を並べて同じポスターに映るなら多少の脚色は必須。本来の君で勝負しちゃうとそれこそデスマッチ行きになっちゃうからねッ」


からねッ、じゃないよこのエセ教師! さっき言ってたこととすでに矛盾してるから! 自覚あるならポスター貼るなよ、僕出すなよ!


クーデターのこどく心の中でそんな主張を力強く叫ぶも、「いや、それだったらその……」と口先だけはチキン。だってさっきから黙ってる静さんが怖いだもんッ!


「……万城寺先生、岩本くんの意見は一理あると思います。あまりに現実を歪曲させ過ぎたポスターは生徒たちの混乱を招き、またポスター自体も悪用される恐れがあります。そうなってしまっては描かれた人も傷つく可能性が高いでしょう」


「静さん……」


僕の真正面に立ち、真っ向から顧問に正論を突きつけてこの身を守ってくれる静さん。その勇ましい姿に思わずほろりと涙腺が緩みそうになる……って、男として思いっきり立場が逆なんですけど。


そんなことを思いながらも、ここは演劇部の部長である静さんに任せようと黙って気配を消していると、「うーん」と唸っていた万城寺先生が口を開く。


「オケーイっ! ならこうしよう。先生がデザインした様々なポスターの中から君たちが厳選しピックアップしたものを公認ポスターとして校内にゲリラで配布する! それでどうだい?」


え? 公認なのに配布方法はゲリラなの? それって学校的には公認なの?


ほんとにこの先生が顧問で大丈夫なのかよ……と心配になってきたら静さんが冷静に言葉を返す。


「わかりました。それでいきましょう。ではさっそく破棄すべきポスターは回収させて頂きます」


まるで機械のごとく一方的に話し終えた静さんは、すぐに室内の床をぐるりと見渡すと目星をつけたポスターを素早く回収していく。


はやッ! と僕が驚いて静さんが次々と拾っていくポスターを見てみると、どうやらそれは男子生徒からのリクエストが盛り込まれたもののようで、静さんと莉緒さんのちょっとアハンでウフンなデザインが描かれていた。……ヤバい、めっちゃ欲しいッ!!


「万城寺先生。一応警告しておきますが、いくら生徒からの意見を取り入れるとはいえこういった卑猥なデザインのものを次回から作成した場合は教育委員会に即訴えます」


「オケーイっ! 肝に命じておこう静ちゃん! 次回からは内々に内緒で作るように気をつけよう。トップシークレッツっ!」


え? 今の忠告聞いてました? というよりもはやこのまま教育委員会に訴えたほうがいいんじゃないの?


僕が驚いて目をパチクリとしている間も静さんにとってはいつものやり取りなのか、顧問の言葉を無視して彼女は黙々とポスターを拾っていく。なるほど、どうやら僕を守ってくれたわけではなく、己の身を案じてのあの発言だったらしい。


ですよね、と思わずため息を漏らしてふと足元を見てみると、そこにも何枚のポスターが落ちていた。


舞台でどうやって表現するつもりなのか、その中には砂浜で素肌眩しく水着姿の静さんと莉緒さんがビーチバレーをしていて、それを僕が双眼鏡で覗いているデザインのポスターまであった。これじゃあ僕が完全に変質者じゃないかッ!


……ということで、これは厳重に僕が保管しておくことにしよう。


そう思い僕も素早くそのポスターを拾い上げた瞬間、ギロリとこちらを睨んできた静さんと目があってしまう。僕はすぐさまポスターを静さんの方へと差し出す。


「こういったデザインも僕の見解上、健全な高校生男子の育成には悪いと思います」


「あら、岩本くんありがとう。手間が省けるわ」


「……」


あまりの恐怖心のせいか、自分でも驚くほどスムーズに即席ででっち上げた言い訳を伝えることができた。


いや、言い訳じゃない。初恋の人の水着姿など、たとえコピックで描かれたポスターであったとしても、他の男どもにこんなものを見せるわけにいかない。だから僕が瞼の裏に焼き付けて墓場まで持っていく!


ポスターを手放す瞬間、僕は悔しさを誤魔化すようにそんなことを強く思った。けれどそんな下心は、一瞬冷たい表情を見せた静さんの雰囲気によって瞬殺されてしまう。


「けれどこんなにポスターがあったら、どれを選べばいいのかわからないわね」


「たしかに……」


ぼそりと呟かれた静さんの言葉に、僕もすぐに同意する。というのも、冗談抜きでその量が尋常ではないのだ。


二クラスの生徒数ぐらいならゆうに入るだろう多目的室の床に敷き詰められたポスターたち。


しかもその一つ一つかデザインがまったく違うのだから、この制作だけにもどれだけの時間と労力が掛けられているのか見当もつかない。というか、ちゃんと教師の仕事してよ仕事。


呆れて右眉が無意識にピクピクと動いてしまう僕の後ろで、張本人が高らかに声を放つ。


「はははっ、なーにこれぐらい可愛い教え子たちのためなら朝飯前。明後日からのテスト準備なんて目じゃないさッ」


キラン、と前歯でも光らせそうなほど満面の笑みを浮かべる万城寺先生。いや、ポスター作るよりも朝飯食べるよりもまずはそっちを優先して!


さすがに今の発言は可愛い教え子にも伝わらなかったのか、静さんはため息をつきながら右手でこめかみを押さえている。この部活の顧問と部長の亀裂と溝は、マリアナ海溝よりも深そうだ。


「だがしかし、数に騙されてはいけない! 君たちは青春の運命によって引き寄せられた者たち。このタイミングで静ちゃんと岩本くんの二人が現れたのもきっと何かの導きがあったからだ! つまり君たちが選ぶものはどんなポスターであったとしても、それが青春なのだ!」


「……運命」


それまでオール無視だったはずの静さんがその言葉にピクリと反応する。そして隣にいる僕も、実は内心で同じ言葉を呟いていたりする。


たまには万城寺先生も気の利いた良いことを言ってくれるじゃないですか。……結論は意味不明だけど。


そんなことを思いながらチラリと横を見ると、偶然にも静さんも僕のことを見ていた。何だろう。言葉は交わしていないのに、今僕たち少しだけ繋がった気がする。


もしかして、これって実はさらに静さんとの仲を深めるチャンス?


一昨日の事件、そして今日の静さんの微笑み事件と立て続けに驚愕犯罪に巻き込まれてきた僕だけれども、まさかの万城寺先生のファインプレーによってここで一気に起死回生を狙えるかもしれない。


ほら言うでしょ、喜ぶ前はあえて落としたほうがその喜びは大きいって。だからきっと僕と静さんの関係も……


ゴクリと唾を飲み込みそんなことを一人思っていると、コホンと小さく咳払いした静さんが口を開く。


「ま、まあこれが『私たち』の『運命』なら、こんな展開になってしまったのも仕方ないわね。だからここは『二人っきり』で真剣に決めたほうがいいと思うのだけれど、岩本くんはどう思う?」


「え?」


その言葉に一瞬ドクンと心臓が高鳴る。静さんが妙に強調した単語がやたらと意味深に感じてしまうのだけれど、これは、まさか……


こんな状況でも僕の純粋無垢で一途な恋心は期待を抱いてしまうようで、これから始まるかもしれない静さんとの良好的な二人っきりの時間に思わず頬が熱くなる。そこに、絶妙なタイミングで万城寺先生が口を開いた。


「それはベストアイディアだ! アツイ青春が始まるのはいつだって男女の出会い、それすなわちボーイミーツガールっ! ここは二人っきりになって真剣に決めるなり、真剣に斬り合うなりもう好きに決めてくれッ!」


「…………」


うわー、この人最低だ。一瞬で僕の淡い恋心を恐怖色に染めてきたよ。あれだけ花畑しか咲いてなかったはずの僕の頭の中が、一瞬にして墓だらけになっちゃったよ。


斬り合うどころか静さんに滅多斬りにされている自分の姿がふと浮かんでしまい、僕はブルリと肩を震わす。隣では静さんが「真剣に……」とそこだけピックアップしてぼそりと呟いているので、僕ら二人っきりになって良好的な関係を築けるかどうかはまだグレーゾーンだ。


「ではポスターのデザインが決まり次第報告してくれッ! それまで先生は職員室で待機している。アディオスっ!」


そう言って万城寺先生は颯爽と多目的室を出て行ってしまった。後に残されたのは僕ら二人と、巨大な沈黙。え? これさっそく真剣で斬られるとかそんな前兆じゃないよね?


そんなことを考えて恐る恐る静さんの方を見てみると、心なしかいつもより桜色に染まっている彼女の唇が小さく弧を描く。


「……さて、これで邪魔者はいなくなったわ。やっと本題に入れるわね」

「……」


ダメだ……どう考えても今の台詞からこれから甘酸っぱい思い出が作れそうにない。くるりとこちらに身体を向けて武者のごとく間合いを詰めてきた静さんに僕は慌てて口を開く。


「と、と、とりあえず万城寺先生が言ってたし、先にポスターのデザインをき、決めよう! ぼ、僕も静さんにどうしても伝えたいことがあるし、話しはそれからってことで……」


そう、謝罪とか謝罪とか謝罪とか……。そんな二文字しか頭の中に思い浮かばない僕に、静さんは何故か一瞬恥ずかしそうに顔を逸らすも、すぐに冷静な表情を作って言った。


「わかったわ。岩本くんがそう言うなら先にポスターのデザインから決めましょう。その後にその……あなたのき、気持ちを聞かせてもらうわ……」


「……」


静さんの言葉が後半になるにつれて小声になってしまいうまく聞き取ることができなかったが、やはりここは誠意ある気持ちで謝罪しておくことがベターだろう。そんなことを改めて胸に刻むと、僕は小さく頷く。


その後、僕と静さんは二手に分かれて各々が選ぶベストポスターを探すことになった。


が、早いとこ本題に入りたいのか、「制限時間は5分で」と静さんからリミットを授けられてしまい、僕は大慌てで足元に広がるポスターを見ていく。


あの先生……、舞台のコンセプトほんとにわかってる?


明らかに舞台の内容とは関係のない様々なポスターのデザインを見るたびに、僕は思わずため息をついた。


青春! とあれだけ連呼しているくせに、趣向を凝らしたポスターからは青春を感じ取れるデザインのものがあまりにも少ない。代わりにフォースの力を感じ取れるようなポスターは見つかったけど……って、いつ僕が舞台の上でヨーダになるって言った?


呆れて呆然とポスターを眺めている僕に、今度はライトセーバーのような鋭い言葉が背中に突き刺さる。


「岩本くん、まだ見つからないの?」


その言葉に慌てて振り返ると、すでに候補のデザインを見つけたのか、一枚のポスターを握りしめた静さんがズカズカと向かってくる。そのあまりの迫力に、僕は「ひっ」と小さく叫び声を漏らす。


「早く本題の話しに入りたいんだけど、まだデザインは決まらないの?」


そう言ってずいっと僕の前で立ち止まる静さん。これは真剣に斬られると思った僕は、「き、決まりました!」と思わずでまかせを言ってしまう。


直後、慌てて足元に広がるポスターに視線だけ走らせると、視界の隅でまるで自分を呼んでいるかのようにコピックで描かれた静さんが僕に向かって手を伸ばしているのが見えた。


これだ! と直感的に思った僕は、そのポスターを急いで掴む。


「こ、これです!」


運命の一枚、と言わんばかりに僕はぎゅっと目を瞑ると、そのポスターを静さんへと差し出した。


「…………」


訪れる静寂。世界の時間が止まったかのような沈黙に違和感を感じてそっと瞼をあげた時、静さんの無機質な声が鼓膜を揺らした。


「……へー」


夏なのに冷気をたっぷりと感じてしまうその声に、僕は思わず「え?」と声を漏らしてしまう。そして、自分が差し出した選んだポスターをもう一度よく見てみる。


「…………」


それは確かに運命を決める瞬間を描写した一枚だった。


そのポスターの中では、僕は気を失っている莉緒さんをお姫様抱っこで抱えて逃げていて、その背後にいるのは、なぜか巨大なキングコング。そしてその毛むくじゃらの強靭な右腕には、僕に助けを求めて必死に手を伸ばしている静さんの姿。……おい万城寺、青春どこいったんだよ?


「いや、その……これは……」


キングコングに対面したチキンさながら、僕は口をパクパクと動かしながら必至に言い訳の言葉を探した。たしかにコピックで描かれていた静さんは僕のことを呼んでいたが、僕はこんな展開を望んでいないし呼んでいない。


なんでだよ! どうなってんだよ! と心の中で盛大に叫んでいると、目の前にいる静さんが抜刀のごとく腕を振りぬきそのポスターを奪った。そして、僕の目の前でキングコングをビリビリと引き裂く。


「ひいぃッ」


あまりの恐怖に膝がガクガクと震え始め、僕は思わず両手で頭を抱える。そんな僕の目の前で、キングコングを秒殺で倒した静さんがけがれたものを払うようにパンパンと手を叩いた。


「……岩本くん」


「は、ひゃいッ!」


相変わらずの僕の噛みっぷりとダメっぷりに静さんは小さくため息をつくと、今度は呆れたように口調を開く。


「これからはもう少し美的センスを磨いてから何事も選んだ方がいいわよ」


「……」


静さんはそう言うとくるりと僕に背を向けて、振り返ることもなく多目的室を出て行ってしまった。


静さんに対する美的センスは完璧なはずなのに……


そんなことを胸の内で一人悔やむも、その後僕が静さんのあの美しい微笑みを見ることは二度となかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

僕のヒロインは今日、双子になる。 もちお @isshi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ