第15話 シズだって反省するんだもん。その①

やられた……


やられたわ……あの女に。


塾を終えて自分の部屋へと戻ってきた私は、投げつけるように鞄をベッドの上に置く。込み上げてくるのは、屈辱的なほどの敗北感と強い怒りの感情。


なにが……なにが……


私はゆっくりとベッドに近づくと、ウサちゃん人形の首を両手で掴んで持ち上げる。


「なーにが、『手作りおにぎり』よッ!!!」


きーっ! と私はありったけの力を指先に込めた。その衝撃に、ウサちゃんの耳がピコンと立つ。


「くーあの女めッ! 乳を押し当てるだけでは飽き足らず、今度は胃袋から誘惑していこうっていう魂胆ね! 許せないッ!!」


私は思わずそんなことを小さく叫ぶと、今度はウサちゃんごとベッドにダイブした。


「悔しい悔しい悔しいッ!! 幸宏くんに手料理を最初に食べてもらうのは私のはずだったのにッ! 静が作った料理を最初に食べて欲しかったのに!」


うぇーんと弱気になった心が泣き声をあげて、私は両足をバタつかせる。そしてウサちゃん人形を幸宏くんに見立てると、胸元で思いっきり抱きしめた。


「私だってお姉ちゃんみたいにおっぱいも大きいし、おにぎりだって作れるもん! 何なら幸宏くんに食べさせてあげるもん! なのに……なのに何でいつもお姉ちゃんばっかり良いとこ取っていくわけ⁉︎」


怒りの衝動を抑えることができない私は、ぎゅーっとウサちゃん人形を抱きしめている両腕に力を込める。


「こんなことになるなら、お姉ちゃんが作ったお弁当を朝一で受け取っておくべきだった。そうすれば幸宏くんの口にお姉ちゃんが握ったおにぎりが入ることは……」


悔しさのせいで強く目を閉じても瞼の裏に浮かんでしまうのは、嬉しそうにお姉ちゃんの作ったおにぎりを食べていた幸宏くんの姿。しかも、素手で握っていたお姉ちゃんのおにぎりを彼が「美味しい」と褒めていたのも気に食わないッ!


「何が『具材の味が引き立つように』よ! たかが握って終わりのおにぎりでしょ? それで料理ができますアピールなんてやめてほしいんですけど⁉︎」


これ以上声を大きくすれば向かいの部屋にいるお姉ちゃんに聞こえてしまうと気づいた私は、少しでも荒ぶる心を落ち着かせようと仰向けになると大きく息を吸った。そして、制服のスカートのポケットからスマホを取り出す。


「ふんっ、まあいいわ。手料理を最初に食べてもらうことは出来なかったけれど、連絡先は手に入れることができたし、それに関してはお姉ちゃんに感謝するわ」


私はそう言ってスマホの画面をタップしていくと、登録したばかりの彼のページを開けてみる。そこには彼が育てているのか、サボテンの写真がプロフィール写真になっていた。


「ふ……ふふ……」


岩本幸宏とたしかに表示されている名前に、思わず笑みがこぼれる。これで……これで……


「これで私はいつだって幸宏くんと繋がることが……」


ぽわんと頭の中に浮かぶのは、まるで付き合いたてのカップルのように毎日連絡を取り合う自分たちの姿。


「幸宏くん今何してるー?」とか「まだ起きてる?」とか、四六時中彼と繋がることができるのだ。そしてしまいには彼の方もどんどん我慢できなくなってきて……



『どうしても静の声が聞きたくて、今から電話しても良いかな?』



きゃぁあっっ!!


危うく声が出そうになるのを咄嗟に両手で口を塞いで我慢して、私は心の中で盛大に叫んだ。


どうしよ! そんなこと言われたら眠れなくなっちゃう! むしろ私のほうが聞きたい! ずっと聞きたい! 何なら寝息でもいいから、一晩中ずっと繋がってたいッ!


そんなことを一人妄想して、今度は興奮で足をバタつかせていた私は、ハッとあることを思い出した。


「そういえば私……恥ずかしかったせいで連絡先を交換する時に幸宏くんにキツイこと言っちゃったけど……彼、メッセージ送ってきてくれるのかな?」


ふとそんな不安が胸の中によぎり、私は彼とのメッセージ画面を開けてみる。もちろんそこには、まだ私たちの新しい関係の始まりを告げる言葉は交わされていない。


おそらく奥手でちょっと挙動不審な幸宏くんのことだ……あんなこと言ったからなかなかメッセージを送ってこないかもしれない。だったらここは私の方から送って親睦を深めるほうが……


そう思った私は、たどたどしい手つきでメッセージを打ち始める。……が、まったくと言っていいほど文章が浮かばない。


「拝啓、なんてつけたら手紙になっちゃうよね? それに幼なじみでクラスメイトなんだし、堅っ苦しい文章は変に思われちゃうかも……それだったらフランクに、『やあ』とか付ける? いやいや、なんか台詞みたいでそれも変な気も……」


私はぶつぶつと言いながら、何度もメッセージを作っては消去し、そして作り直すという作業を続けていた。普段ならテストでも作文でもすらすらと川の流れのように文章が思い浮かぶ私が、たった2、3行のメッセージを作ることに四苦八苦する。


これがあの幸宏くんに読まれると思うと、なんだかラブレターでも送る気分だ。


「ら、ラブレターって……私、何言ってんだろ」


思わず両頬が熱くなり、私はスマホを離すと咄嗟にほっぺたを手のひらで隠す。ドクドクと早鐘を打つ心臓は、まるで「早くメッセージを送れ」と急かしているように感じてしまう。


私はそんなことを思うと、再びスマホを手に持った。


そうだ、私が幸宏くんと連絡先を交換した後、お姉ちゃんも彼と連絡先を交換していた。つまり、お姉ちゃんと幸宏くんもまだメッセージのやりとりをしていなかったということだ。ということは……ここで私が先にメッセージを送ることができれば、それはつまり、彼とのメッセージの『初体験』を独り占めできるということ!


「こ、これは……何としてでもお姉ちゃんに負けるわけにはいかない」


私は決意を新たにすると、今度は素早い指先の動きでスマホの画面をタップしていく。


読みやすく、かつ違和感もなし。そして、ほんの少し……ほんの少しだけ、相手が私のことを気になってしまうような言葉遣いを……


「『今日は岩本くんと連絡先を交換できて嬉しかったです。』……と、」


きゃっ! ちょっとこれは大胆過ぎるかな? 岩本くんもさずかに私の気持ちに気づいちゃう?? 嬉しかったよりも、『ありがたいです』とかの方がいい??


私はベッドで身体をコロコロと転がせながら、このメッセージが届いた時の幸宏くんの顔を想像していた。と、その時。胸元に抱き寄せていたスマホがピコンと鳴った。


も、もしかして⁉︎


まさか彼からメッセージ? と思った私はすぐにスマホの画面を視界に映す。そして、絶句する。


そこには、『演劇部秘密の作戦会議グループ!』という中二病みたいなネーミングのグループ名が表示されていて、立案者である姉からメッセージが届いていた。


『一生の思い出に残るような舞台にするため、アイデア大募集!(ハート) シズもユッキーもどしどし送ってね!(ハート×2)』


「……」


なんでまだ正式に入部するかどうかもわからないお姉ちゃんが勝手に仕切ってるのよ。それにまずこのグループにメッセージを送るとすれば、部長である私からでしょ?


やれやれほんとに勝手な人だな……と大人な態度でため息をついた時、「しまった!」と私は肝心なことに気づき慌ててスマホの画面を見た。直後、ピコンと音を立てたスマホとともに見事に不安が的中する。


『莉緒さん、初めてのメッセージありがとうございます。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします!』


「……」


私は今見てしまった光景を記憶もろともシャットダウンするかのように、即座にスマホをスリープモードにする。


自分たちにとって一生の思い出となる舞台ができるかどうかの初のラインメッセージでの打ち合わせ。部長である私は、『既読スルー』という選択肢を選んだ。

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