第12話 おにぎりか地獄
いつもなら訪れるたびに嬉しいはずの休み時間が、今日はその始まりを告げるチャイムの音を聞くだけで憂鬱になった。
否、絶望的なほど生気が失われていく。
「……」
ついに始まってしまった四時間目の授業。いや、近づいてしまった処刑の時間と言った方がいいだろう。
早口早書きで有名な村田先生の授業を受けながらも、右手で握っているシャーペンの先端がノートの上で止まったまま。今は世界の歴史なんかよりも、僕の歴史が終わろうとしていることの方がはるかに重要な問題だ。
「ほんとにどうしよう……」
僕は誰にも聞こえない程度にそんな言葉を呟くと、事業に失敗した社長みたいに頭を抱える。
絶対に怒られる……それどころかビンタされるよね、僕?
チラリと横目で窓際の席を見ると、艶やかな黒髪を耳にかけて美しい横顔で授業を受けている静さんの姿。
この後間違いなく拷問が始まろうというのに、その顔を見てしまうとついついドキリと心臓が跳ねてしまう。……恋とは本当に恐ろしい病だ。
結局朝の一件以降、僕がなぜ多目的室に呼ばれたのか、その理由を静さんから明かされることはなかった。
一時間目の終わりに一度だけ彼女が僕のところに訪れて来たけれど、「こんなポスター、あなたには必要ないわよね?」と高砂が突き出してきたポスターを回収しに来ただけ。
その時の冷めきった静さんの視線を見て、僕が演劇部に関与してしまったことで彼女がどれぼど怒っているのかを改めて知ってしまった……
違う……違うんだ静さん……僕だってこんな展開はこれっぽちも望んでいなかった……
せっかく莉緒さんにも協力してもらい、静さんと仲良くなろうと思ったのに、これじゃあお近づきになるどころか余計関係が悪化してしまう。
そんなことを心の中で嘆きため息をついた時、弱った僕にトドメをさすかのように、昼休みの始まりを告げるチャイムの音が教室に鳴り響いた。
解放感に満たされるクラスメイトたち。
そして、圧倒的絶望感に支配される、僕。
いっそこのまま「ごめんなさーい!!」と叫びながら窓から飛び降りてやろうかと、チラリと窓際の方を見た時、ちょうど立ち上がった静さんと目がバッチリと合った。
「……」
特に笑顔も言葉も交わすこともなく、彼女はノートだけ手に取ると、スタスタと教室の扉へと向かっていく。
その際、教卓のところで一瞬立ち止まった静さんは、ギロリという音がピッタリ似合うような視線を僕に送ってきた。
そして、再び扉の方へと向かい教室を出て行ってしまう。
……きっとあれは、「遺書は書けてる?」という意味の視線だ……そうに違いない。
静さんの姿が見えなくなった扉の方を見つめて、僕はゴクリと唾を飲み込む。
まさか、好きな人に気持ちを伝える手段が『ラブレター』ではなく『遺書』になるなんて、コロンブスもビックリの発想だろう。
……って、そんなことを考えている場合ではないッ!
僕はぎゅっと瞼を閉じると無い頭をひねって必死に打開策を考えた。
が、浮かんでくるのは静さんから思いっきり往復ビンタを食らっている自分の情けない姿だけ。しかも、なぜかそんな姿が妙に様になっているのが非常に心苦しい。
ヤバい……ほんとにヤバいよこの状況! どうすればいいの、僕⁉︎
心の中ではあわあわと叫び声をあげながらも、身体は恐怖のせいでピクリとも動かない。すると突然、そんな自分の視界が真っ暗になる。
「うわっ!」
思わず本当に叫び声を上げてしまった僕は、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになり、慌てて机を掴んだ。すると背後からクスクスと誰かが笑う声が聞こえてくる。
「もう、ユッキーってほんと大げさだなッ!」
「……」
犯人は莉緒さんだった。
莉緒さんが両手で僕の視界を隠してきたのだ。
じゃあ、さっき後頭部に感じたふにゃりとした柔らかい感触は……
僕はそんなことを考えて、今度は違う意味でゴクリと唾を飲み込む。
ゆっくりと瞳だけ動かすと、視線を莉緒さんの顔から離して、はちきれんばかりに大きく膨らんだシャツの胸元へとそっとズラす……そして、慌てて首を振った。
違う違う、違うッ! 僕はこんな状況で一体何を考えているんだ!
今は莉緒さんの胸に気を取られている場合じゃない!
早く……早く静さんが待っている多目的室に行かないと……
そんなことを思い慌てて立ち上がろうとした僕に、楽しそうに肩を震わせていた莉緒さんが「ハイっ」と右腕を伸ばしてきた。
「……なに、これ?」
不意を突かれて目をパチクリとさせる僕の視線の先には、莉緒さんのほっそりとした綺麗な指先に包まれている小さなお弁当箱。それは女の子らしく、ベビーピンクの色をしていた。
「お弁当、作ってきたの。食べる?」
「「「……え?」」」
思わず呟いたはずの自分の言葉が、なぜかクラス中の生徒たちの声とかぶる。もちろんその大半が、男子だ。
「ど、ど、どいうこと?」
一瞬にしてパニックに陥る僕に、莉緒さんはまたもクスクスと笑った。
「ほんとはシズの分にって、朝自分のお弁当を作るついでに作ったんだけど、あの子食欲なくていらないって言ってたから。だから、代わりにユッキーに食べてもらおうと思って」
「……」
これは、夢なのだろうか?
もうすぐ往復ビンタを食らう自分が現実逃避で見ている幻なのだろうか?
あの莉緒さんの……元ハリウッドスターの……大女優の作った手作り弁当を食べれるだって?
わなわなと両手を震わせて放心状態の自分の視界の隅では、こちらを振り返って同じように呆然としている高砂の姿。
その唇がゆっくりと動き、「この裏切り者めっ!」と口パクで伝えている。……君には一番言われたくない言葉だ。
そんなどうでも良いことを一瞬考えて、少しでも冷静さを取り戻そうとした時、再び莉緒さんのけらりとした明るい声が聞こえた。
「お弁当って言っても時間がなくておにぎりしか作れなかったんだけどね。あっ! でも具材は色々と入ってるから飽きないと思う! それに、美味しくなれ〜って私がたっぷり愛情込めて握ったから」
り、莉緒さんが……莉緒さんが握ったおにぎりだってぇぇえ!!!
てへぺろと言わんばかりに軽快なリズムで告げた莉緒さんの言葉に、僕の心臓の鼓動とクラスメイトたちの殺気めいた視線が一瞬にしてピークを迎えた。
あまりの衝撃と興奮に、快晴の真っ昼間にも関わらず、僕は雷に撃たれたのかと思った。
そんな自分の視界に映るのは、本当に僕を撃ち殺そうとするスナイパーみたいな顔をしているクラスメイト達の姿。皮肉にも、その恐怖のおかげで舞い上がりすぎた心が少しだけ冷静さを取り戻す。
そうだ……僕は静さんのところに早く行かないといけないんだ。それに、自分にはいつか静さんの手料理を食べるという使命が……
差し出された小さなお弁当を見つめながら僕は心の中で誘惑と戦っていた。すると無反応な僕を見て、莉緒さんが少し寂しそうに口を開く。
「そっかー……ユッキーが食べてくれないなら他の人に……」
と、莉緒さんがその台詞を呟いた瞬間、クラス中の男たちが「ハイっ!」と一斉に手を挙げた。
その積極性と勢いの凄さ、まるで金貨を前にした海賊。
しかも高砂に関しては自分のキャラと立場を捨ててでもよっぽど食べたいのか、何故か机の上に立って両手を挙げている。
「……」
莉緒さんが作ったおにぎりをこんな野蛮な奴らに食べさせるわけにはいけない。そう思った僕は、「た、食べますっ!」と慌てて返事をすると急いで弁当箱を受け取った。
「良かった! ユッキーだったら食べてほしいなって思ったから」
そう言ってニコリと天使のような笑顔を浮かべる莉緒さん。
その姿が眩しいくらいに可愛すぎて、もはや拝んでしまいそうになるレベルだ。
だ……ダメだっ! 僕には静さんという心に決めた人がいるんだ。だから正気を取り戻せ、幸宏!
両頬が熱くなっていくのを感じながら、「そ、そっか……」と僕はぎこちなく返事を返す。すると莉緒さんがもう一つお弁当箱を取り出し、それを僕の机にそっと置いた。
「それじゃあ一緒に食べよっか! 私もうお腹ぺこぺこで我慢できないよ」
「え……えぇっ⁉︎」
突然のお誘いに僕は思わず目を見開いた。同じく、クラスメイト全員も目を見開く。
そりゃそうだ。
普段高砂ぐらいしか一緒に食べる相手がいないこの僕が、いきなりクラスの頂点、いや世界の頂点に立ったことのある女の子とお昼ご飯を一緒に食べることになるなんて!
あまりの衝撃にクラス中がどよめき僕にクレームをぶつけてくる中、そんな状況も一切気にせず「よいしょッ」と莉緒さんは近くにある椅子を引き寄せるとそこに座った。
莉緒さんが握ってくれたおにぎり、そして一緒にランチ。
ディズニーなんか目じゃない夢のようなシチュエーションが実現したわけだけれども、残念ながら今の僕にはそれを楽しめるような時間は残されていない。なぜなら……
「ご、ごめん……莉緒」
「え?」
ぼそりと呟いた自分の言葉に、莉緒さんはきょとんとした表情を浮かべて僕の顔を見上げる。
僕はそんな彼女に向かって、恐る恐る唇を開く。
「じ、……実はその……」
「?」
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