第11話 僕は少しでもミジンコから脱したい

三度あることは四度ある。


ことわざ辞典には載っていない。


なぜならこれは、僕が今この瞬間即席で作った造語なのだから。


と、そんなどうでもいいことを一瞬思ってから、僕は目の前で起こっている奇妙な現象を凝視した。


いつもと変わらぬ朝の教室……


のはずが、空席である僕の席の周りに人だかりが出来ている。オール男子。しかも、只ならぬ殺気を放ちながら。


「……」


これは何かの間違いだろう。


そう思い込もうとした僕は、開けたばかりの扉を閉めてトイレに向かおうとした。


……が、もちろん逃げられるわけはない。


「やっときたか、裏切り者め……」


真っ先に僕のことを見つけた高砂が、いつになく低い声で言い放つ。それを合図に、血に飢えた獣のような目をした男たちが、僕のことを一斉に睨みつけてきた。


「ひいっ!」


朝一から命の危機を感じた僕は、小さく叫び声をあげると、急いでこの場から逃げだそうと両足にぐっと力を込めた。


が、いつの間にか背後に忍び寄ってきていたクラスメイトの男子たちによって捕まえられてしまう。


「ちょっ! な、なんだよこれっ」


僕は捕らえられた宇宙人さながら、両腕をしっかりとホールドされた状態で自分の席へと連れて行かれる。そこに待ち構えているのは、ダースベイダーよりも数倍悪そうな顔をした高砂だ。


「席につけ」


「……」


君は教師か。


思わず心の中で突っ込むも、もちろん口にすることはできない。僕は黙ったまま彼の言葉に従う。


「一体これはどういうことだ?」


なぜか僕が一番聞きたいことを彼が言ってきた。


いやそれ、こっちの台詞なんですけど?


まったくわけがわからず僕は目をパチクリとさせて高砂の顔を見ていると、彼はバン! とハンコを押すように一枚の紙を僕の机に叩きつけてきた。


「貴様はいつから青春のど真ん中に足を踏み入れたんだッ!」


「…………はい?」


今日は厄日だ。そうに違いない。


状況はいまだ理解できないし、元友人の言葉がまったくもって意味不明。


もしかして得体の知れないドラッグがこのクラスに出回っていて、彼を筆頭にみな頭がおかしくなっているのかもしれない。そうだ。きっとそうに違い……


少しでも状況を整理しようと勝手にそんなストーリーを作っていた時、僕は高砂が突き出してきた紙をチラリと見て思わず息を止めた。それどころか、心臓が止まりそうになった。


それは、一枚のポスターだった。


A4サイズぐらいのポスターの真ん中にはデカデカと『演劇部』と記されていて、その上には『君も青春のど真ん中へ!』と今まさに高砂が言っていた台詞が吹き出しとなって載っていた。


いや、そんなことはどうでもいい! それよりも……


「な……なに、コレ?」


僕はそのポスターを両手で持ち上げると、幽霊でも見たかのように目を見開く。


プルプルと震える指先が掴んだものには、あまりにも信じられない光景が映っていたからだ。


『今世紀最大の傑作舞台、ここに誕生! 脚本と女優にはあの美人双子姉妹による夢の共演が実現! そして主役は……』


「……い、岩本……幸宏」


そこに記されていた名前を僕はぼそりと呟いた。


自分の名前を見てこんなにも憂鬱になったのは、生まれて初めてだ。


しかもポスターには、誰が描いたのかわからないけれど、3人の似顔絵までご丁寧に載っている。


そのクオリティの高さといえば静さんと莉緒さんの美しさはそのままに、そして僕の似顔絵は「誰だよコイツ?」と突っ込みたくなるほどイケメン化されてしまっている。


それはもう整形どころでは到底たどり着けないような極地まで。


「さて、詳しく話しを聞かせてもらおうかイケメン主役の岩本くん」


「……」


200%皮肉めいた言い方で、僕の机に両肘をつけた高砂が言った。それを合図に周りにいる男たちもズンと一歩近づいてくる。そんな状況に、僕は心の中で必死に抗う。


ちょ、ちょ、ちょっと誰だよこんなポスター作った人!!


これじゃあ僕だけ完全にイジメの対象になっちゃうよっ! サギだよサギ!


こんな岩本、この学校にはいないからっ!


一体誰の仕業なんだ⁉︎ と過呼吸になりそうな状態でポスターをくまなく見ていた時、ふと右下に『written by』という横文字を見つけて僕は慌てて目をやった。



青春ティーチャー



「…………」


そのペンネームを見た瞬間、僕の脳裏に丸ぶちサングラスのエセ教師の姿が一瞬で浮かんだ。というより……教師が何勝手に校内でゲリラ告知してるの⁉︎


「ありえない……」と愕然としたまま声を漏らす僕に、高砂がバン! と再び机を勢いよく叩く。


「ありえないのは俺たちの方だ! 今までミジンコのような存在感で学校生活を送っていたお前が、突然舞台で主役だと⁉︎ しかも、あの町田静さんと莉緒さんに囲まれて一緒に青春のど真ん中を突っ走るだって⁉︎」


「い、いやこれには事情が……」


「何が事情だこんちくしょう! おい岩本、今日こそハッキリ言え! いくらだ? いくら払ったんだ⁉︎」


興奮のせいでまともにコミニケーションが取れなくなった相手は、そのまま勢い余って立ち上がる。


「クソォっ! 俺とリゲイル監督の最新作の映画を観る約束をすっぽかしたと思ったら、貴様はあんなお美しい方々とよろしくやってたってわけかっ!」


「お、落ち着けてって高砂! それに僕がいつ君と映画を見る約束を……」


「ええい、黙れ黙れ黙れっ! かつて莉緒さんが出演していた映画を作っていた監督の作品は全て観るというのが、同じクラスメイトである男の責務だろッ! それをお前は公開初日に観に行くこともせず、リアル莉緒さんどころか静さんとも楽しんでいたなんて……。処刑だ……今すぐコイツを処刑しろ!」


まるで革命を起こすジャンヌダルクさながら、高砂は右手を高らかに頭上へと向ける。

その瞬間周りにいる男たちも右腕をあげて「うぉー!」と野蛮な声をあげた。


普段僕と一緒でミジンコのような存在感しかないはずの彼が教室中の男子たちをまとめている姿を見ていると、それ自体がすでに革命的変化だ。


って、違う! 今はそんなことを考えてる場合じゃないッ!


あまりにありえない状況のせいで現実逃避しかけた意識を僕は慌てて元に戻す。そしてすぐに反論しようと咄嗟に口を開くが、高砂によって刺激された男子たちが次々と心無い暴言を浴びせてくる。


「こんな陰キャラのやつが、静さんや莉緒さんと釣り合うわけないだろっ!」


「こいつが舞台に上がるってなら、俺が舞台をジャックしてやる!」


「ミジンコはミジンコらしく、こっぱミジンコにしてやろうか……くく」


「マジで他クラスの分際でいきがってんじゃねーよ、岩田」


「……」


ちょっと待って、後半二人おかしくない?


何こっぱミジンコって? ミジンコの新種? あと大谷くん、悪口は許すからせめて僕が同じクラスだというのはそろそろ覚えて!


様々な方角から多種多様な暴言を浴びせられ、僕の心は完全にグロッキー状態だった。


誰もいない校舎裏でリンチされるのも嫌だけど、公衆の面前で微生物扱いされるのもかなり辛い。


高砂に関しては怒りのあまり完全に理性を失ったのか、「俺だけがお前のミジンコだと思っていたのに……」とわけのわからないことを呟いている。


これ以上ここにいると本当に危ないと思った僕は、何とかして逃げれないかと視線だけ動かして辺りを見回す。


が、いつの間にか他クラス他学年の男子生徒まで混じった城壁は、猫一匹逃げれそうな雰囲気はない。


ヤバい……このままだとマジで殺される……


どこからでもナイフが飛んできてもおかしくない状況に、僕は恐怖のあまり思わず目を瞑る。


これじゃあ舞台に上がらなくても悲劇の主役だ。これも元を辿れば何もかもあのクレイジー教師のせいで……


真っ暗になった世界の中でそんなことを思っていた時、ガヤガヤと好き放題言っていた男子たちが突然ピタリと静まり返った。


え?


不思議に思った僕はうっすらとだけ目を開ける。するとぼやけた視界の中では男子たちがせかせかと身体をずらしながら道のようなものを作っている。


もしかして……逃してくれるの?


そんな淡い希望を抱いた刹那、僕はその道の先にいる一人の人物を見て思わず息を止めた。


「ま、町田さん……」


むさい花道の先に見えたのは、凛とした美しい薔薇のように立っている静さんの姿。


野蛮な男たちも彼女の殺気だった雰囲気に飲み込まれてしまったのか、誰一人として声を出さず、何なら静さんに向かって敬礼でもしそうな勢いだ。


「…………」


あれ……?


処刑執行人って、もしかして静さんなの??


いつも以上に鋭い眼つきで僕のことを睨みながら、静さんは一歩一歩こちらへと近づいてくる。その覚悟めいた表情は、本当に人を殺すと決めている顔のようにも見える。


ひいいっ!


僕は思わず椅子から転げ落ちそうになるのを机を掴んで必死に支える。


隣では、あれだけジャンヌダルクのように威勢を放っていた高砂が今はもとのミジンコへと気配を戻し、何なら数学の教科書を開けて無関係を貫こうとしている。


そんな彼の姿に一瞬呆れるも、すぐに意識は目の前に迫ってきている恐怖に支配されてしまう。


あぁ……たぶん静さんは、あのクレイジー教師のせいで僕が主役に抜擢されただけでなく、こんなデタラメなポスターまで勝手に作られて相当怒っているに違いない。


それどころか、目元が少し暗いところを見ると自分が部長を務めている演劇部をネタにされてショックも受けているのだろう……


僕はなんて罪な男なんだ……、と被害者でありながらそんな罪悪感に苛まれていると、目の前で立ち止まった静さんが僕のことを静かに見下ろした。


「岩本くん」


「は、はい!」


殺傷力抜群のその冷たい声に、僕は思わず背筋を伸ばした。チラリと隣を見ると、なぜか背を向けている高砂まで背筋を伸ばしている。


「……今日の昼休み、一人で多目的室に来るように」


「は……はい?」


予想外だった静さんの言葉に、僕は目をパチクリとさせた。すると「あなた日本語理解できないの?」と言わんばかりにギロリと彼女が睨みを利かせた。


「いいわね? 必ず一人で来るのよ」


「…………」


あまりの恐怖に声さえ出せなくなった僕は、コクコクと首だけを動かす。それを見た静さんは、はあと小さくため息をつくとそのまま背を向けて自分の席へと戻っていく。


「……」


僕に何の用があるんだろう、静さん……。


ゴクリと唾を飲み込みそんなことを考えるも、その答えはすぐに思い浮かぶ。


誰もいない密室で、静さんのような美女と二人っきり。


それは、つまり……


「こ……殺される」


僕は震える唇でぼそりと呟いた。あれほどの殺気だった雰囲気、それに昨日に引き続き演劇部をバカにするようなこのポスター。


どれもこれも僕のせいではないけれど、僕のせいで静さんは機嫌が悪くなっている。それが2日目にして限界に達し、ついに彼女は行動に起こしてしまったのだ。


そんな僕の事情と行く末を察したのか、周りに群がっていた男子たちが哀れみのような目を向けては次々と去っていく。


それはまるで安楽死に送られる野良犬を見るように。


これで僕の初恋も命も終わった……


今度は虚しいほど人っ子ひとりいなくなった環境の中で、僕は机に両肘をつくと頭を抱えた。


するとそんな僕の肩を、振り返ってきた高砂が優しく叩く。


「まあ、なんだ……お前が良いヤツだってこと、俺はわかってるよ」


「高砂……」


その言葉に、僕の視界がじわりと滲んだ。やはり、なんだかんだ言っても最後まで味方になってくれるのは、同じ時間を過ごしてきた友人だけなのだ。


すると僕の心の声が伝わったのか、彼はその口元で優しい笑みを浮かべると、そっと唇を開いた。


「だから……心置きなく死んでこい」


「……」


たとえ同じ微生物だったとしても、自分の方が少しは人間らしくありたい。


目の前のミジンコを見て、僕はそう思った。

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