第10話 シズ出陣!
何で……
家の扉の前まで辿り着いた私は、苛立つ気持ちを抑えることもできず、まるで刃物のように鍵を差し込む。
何で……何でなの?
扉を開けて見慣れた玄関が顔を出すと、そこには最近まで無かったはずのもう一つの黒いローファー。
大きさデザインともに自分が履いているものとまったく同じなのを見ていると、まるで私たちの関係を見ているようだ。
「……」
私はその瓜二つのローファーを玄関の隅に置くと、自分の存在を主張するかのように脱いだローファーを堂々と真ん中に置いた。本当は隅っこに置いやった存在に唾の一つでもペッと吐き出したいところだけど、品のある乙女としてそれはやめておく。
そのまま廊下に足を向けると、私は目の前にある階段を睨むように見上げた。ローファーがあるということは、今日はファミレスには行かず先に帰ってきたということだろう。
「……なんであんなやつと」
憎しみをバターみたいにたっぷりと塗った声でぼそりとそう呟くと、私は殺人鬼のごとく一歩一歩静かに階段を上がっていく。
登りきった先に見えたのは、まるで睨み合うように向き合っている二つの扉。これまたデザインがまったく一緒なのが気に食わない。
そんなことを思うと、再び胸の奥から怒りの感情が湧き出してくるのを感じて、私は鞄の取っ手を掴んでいる指先にグッと力を込める。もしもこの状況であの扉からやつが現れたら、私は思わずこの鞄で殴ってしまうかもしれない。
さすがにそれはマズいと思った私は、少しでも冷静さを取り戻そうと大きく息を吸う。そしてゆっくりと廊下を歩く。
近づいてくる二つの扉。その内の一つがあいつの部屋だと思うと、こみ上げてくる怒りがさらに激しさを増す。
「……」
ここは一度きつく言っておくべきではないのか?
そんな考えが一瞬頭をかすめ、私は右手側の扉の前に立ったが、それはあまりにも自分らしくないと思い、ドアノブを握ろうとしかけた右手をそっと降ろした。
生まれるのが数十分遅かったとはいえ、気持ちは私の方が『お姉さん』なのだ。品があって知的で、どんな時も冷静で大人なのは、この私の方なのだ。
呪文のように心の中でそう呟いた私は、キリッとした目で見えない相手を睨み付けると、くるりと背中を向ける。そして自分の部屋の前に立ち、ゆっくりとその扉を開けると……
「うわああぁぁん!」
扉を閉めてベッドにダイブするなり、私は叫んだ。
「幸宏くんのバカつ! なんで⁉︎ なんであんなにお姉ちゃんと仲良くなってるの⁉︎ なんで二人っきりでドリンクバーなんて楽しんじゃってるの⁉︎」
溢れていた怒りが急に寂しさにかわり、私はいつものように枕元にあるウサちゃん人形をぎゅっと抱きしめる。
「ずるい、ずるい、ずるいっ! 私だって幸宏くんのことユッキーって呼びたい! 一緒にファミレスだって行きたい! なのに……なのに」
ジタバタとベッドの上でもがき苦しんでいた私はのっそりと顔を上げると、少し滲んだ視界で扉の方を睨んだ。そして、「お姉ちゃんのバカっ!」と小声で呟く。
「せっかく念願だった幸宏くんと同じクラスになれたのに……せっかく話せるチャンスがやってきたのに……なんで突然お姉ちゃんが割り込んでくるのよ! しかも、たった一日であんなに仲良くなるなんて……」
再び枕に顔を埋めると、瞼の裏に浮かんでくるのはキャッキャいちゃいちゃと私の幸宏くんと仲睦ましげに楽しんでいる姉の姿。最速でハリウッドデビューした女は、教室でのデビュー戦も早いってわけ⁉︎
急に現れてしまった恋敵。しかもそいつは同じ屋根の下どころか、今も目の前の部屋にいる。
再びふつふつとこみ上げてくる怒りの衝動に身を任せるように私はベッドから降りると、姿見の前に立った。
そこに映るのは姉の莉緒と同じ身長(ちょっと私の方が高いと思うけど)で、同じ顔(ちょっと私の方が綺麗だとは思うけど)をした自分の姿。
「なのに……どうして幸宏くんはあんなにお姉ちゃんと……」
ユッキーのためなら一肌でも二肌でも脱ぐよーー
あれはどういう意味だったのだろう?
純粋に演技の世界で、という意味だったのだろうか?
それとも、それぐらいの覚悟を持って幸宏くんに近づいたということなのだろうか?
だったら私が彼と仲良くできないのは、その覚悟の違いなのか?
「違う……そんなはずないもん。だって……だって私の方が……」
プルプルと震える唇で続きの言葉を呟こうとするが、本人がいなくても恥ずかしさのせいで声にはならない。
結局、吸い込んだ空気は言葉の代わりにため息となって唇からこぼれ落ちる。
「……でも何度考えたっておかしい。いくらオープン過ぎるお姉ちゃんとはいえ、相手は無口で大人しくて話しかけたら挙動不審になる幸宏くん。ずっと一緒に過ごしてきた私の方はまだちゃんと話しもできてないのに、お姉ちゃんは名前で呼んでもらえるほどあんなにすぐに……」
そんなことを呟けば呟くほど、胸の中に込み上げてくるのは悔しさと、その奥から顔を出すのは忘れもしない苦い思い出。
あの日、まだ私が小学生だった時、幸宏くんに言われたあの一言がきっかけで、私は自分を変えようと思ったのだ。
彼が自分なんかに興味を持っていないとわかったあの日から、私は何としてでも幸宏くんを振り向かせようと女子力を磨いてきたのだ。
幸宏くんが好きそうな……いや、正統派女子が好みの男子なら誰もが憧れるような女の子になろうと決めて。
そんな血の滲むような私の頑張りを……お姉ちゃんは何も知らないくせに。
私は再びキリッとした目つきで鏡の中を見つめる。そこに映るのは今日までの努力によって磨き上げられてきた自分の姿。
今の私なら、幸宏くんを振り向かせるだけの魅力が十分あるはず。なのに……どうして幸宏くんは私じゃなくてお姉ちゃんの前であんなにデレデレした顔を見せつけてくるの?
お姉ちゃんみたいな茶髪よりも黒髪の女の子が好きだって昔言ってたから、このサラサラで艶のある髪をキープしてきたのに。
ギャルより清楚な子が好きだって友達と話しているのを聞いたから、ナチュラルメイクで毎日登校してるのに。
胸だって、子供っぽいと思われたくないから毎日こうやって……
そんなことを思いながら、両手で自分の大きく膨らんだ胸元を挟んだ時、私はハッとあることに気がついた。
そう言えば……お姉ちゃんが幸宏くんと喋る時はいつもやたらと距離感が近い。それはもうムカつき過ぎて吐き気がするほど。
てっきり幼なじみ相手にお姉ちゃんの人懐っこさが全開で発揮されているのかと思っていたけれど、それにしても幸宏くんのあの異様なまでに伸びた鼻の下は怪しい……怪し過ぎる。まさか……姉はスキンシップをはかるフリをして……
そんなことを思った私は、自分の胸を挟んでいる両手にぎゅっと力を込めた。
「これを……これを使ったのね!」
怒りに任せてぎゅっと力強く押しても、それはプリンのような柔らかい感触となって返ってくる。
育ち盛りの男子高校生にとって破壊力抜群の女子の武器。
私にとっては肩こりの元凶だけれども、きっとお姉ちゃんはこの大きさと柔らかさを利用して……
「くー!!
私は一人そう小声で叫ぶと、さらに力を込めて胸を押してみた。制服の上からでもわかる盛り上がるそれは、高校生にしてはかなり大きな方だ。
同じ大きさを持つお姉ちゃんがこれを武器にしてあんなに幸宏くんと仲良くなれたなら……それだったら私も……
「…………」
……だったら私はどうするの?
ふとそんなこと思い、私は思わずピタリと手を止めた。
そしてそっと瞼を閉じると、自分なりのアピール方法をいくつか想像してみる。
さりげなく当ててみるのか、それともわざと押し付けてみるのか……
「だ、ダメよシズ! これじゃあ下品なお姉ちゃんと一緒じゃない! 私はこんな方法なんて使わなくても幸宏くんの心を……」
ふーっと興奮してしまった自分の心を落ち着かせようと大きく息を吐く。姿見に映る私の顔はいつの間にか耳まで真っ赤だ。
今日の今日まで恋愛経験がまったくない自分にとって、そんな荒技に出るのはまさに清水の舞台から飛び降りるレベル。
でも……それがきっかけで幸宏くんが私に振り向いてくれたら?
それどころか、もしも男の子のスイッチを入れちゃったら??
たとえばそう、二人っきりの時に……
『なあ静……』
『どうしたの幸宏?』
『俺さ……やっと気付いたんだ。自分の本当の気持ちに……』
(ここで彼の壁ドン!)
『え?』
『莉緒よりも、お前のほうがずっと魅力的だってことにさ……』
『ゆ、幸宏……ダメだよ。ここ、学校だし……そんな……そんな』
きゃぁああっ! そんなの恥ずかしくて死んじゃう!!
彼の手によって淫らになっていく自分を妄想してしまった私は、まるで発情してしまった猫のようにその場でバタバタと足踏みをしてしまう。
だって、あの奥手でちょっと挙動不審な幸宏くんが積極的にそんなことをしてきたら、私、私……
「もう……好きにして下さい」
熱くなったほっぺを両手で隠して、私は思わずそんな言葉をぼそりと呟く。
その時、部屋の扉の向こうからカチャリという音が聞こえてきた。
いけないッ!
私は慌ててハッと我にかえると乱れた制服を直し、急いで扉の方へと近づき耳を澄ませた。
すると薄い木板越しからは姉が階段を降りていく音が聞こえてくる。たぶん、リビングに向かったのだろう。
「……」
助かった……、と私はほっと胸を撫で下ろした。いくら双子の姉とはいえ、こんなにも無防備すぎる自分を見せるわけにはいかない。
それに……
「幸宏くんに振り向いてもらうためには、何としてでもお姉ちゃんに勝たないといけない……」
そんな言葉と一緒に脳裏に浮かぶのは、突然演劇部の場に現れた幸宏くん、とそのおまけ。
彼が入部してくれると聞いた時は思わず飛び跳ねてしまいそうなぐらい嬉しかったけれど、それはあくまでも姉とセットでということだった。
ただでさえ転校初日から教室で幸宏くんとイチャついていたお姉ちゃんのことだ。これで部活まで一緒になってしまうと……
「お……おぞまし過ぎる……」
最低最悪な妄想をしてしまい、私は自分の身体を両腕で抱きしめるとブルリと肩を震わせた。
耐えられない……お姉ちゃんと幸宏くんが私の目の前で四六時中イチャついているなんて。
「……ぜったいに負けられない」
私は力強くそんなことを呟くと、ぎゅっと指先に力を入れた。
そして、自ら宣戦布告したあの言葉をもう一度胸に刻む。
絶対服従――
そう……勝てばいい。勝てばいいのだ。今度の舞台で姉の演技よりも自分の作った物語のほうが優れていると証明できれば、私が部の権限をすべて握ることができる。
それはつまり、姉は演劇部に入部することも近づくこともできず、幸宏くんだけを入部させることができるということ。
しかも!
幸宏くんにも今回の勝負の条件は了承させているので、部活においては彼は私に従うことしかできない。
幸宏くんを思い通りにできる……
イケない自分が心の裏側から顔を出し、思わずゴクリと喉を鳴らしてしまう。そんなシチュエーションになれば、お姉ちゃんには邪魔をされず、思う存分私の魅力を彼に伝えることができるはず。
これはもう……何としてでも勝つしかない!
私はそんなことを思うと自分の机へと近づき、普段は開けることが滅多にない一番下の引き出しに手を伸ばす。
一瞬、トラウマにも似た嫌な記憶が頭をよぎるも、私は息を止めてそれを無理やり抑え込む。そして、ゆっくりと引き出しを手前に引っ張った。
「……」
中から現れたのは、見るからに使い古されたノートたち。
まるで、自分の記憶を無理やり閉じ込めたような引き出しの中から、私はそっと右手を伸ばすと、そのうちの一つを静かに取り出した。
『脚本』という2文字が真っ黒なペンで塗りつぶされた、一冊のノートを。
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